スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小和田 敏子(こわだ としこ、1947年11月17日 - )… 小和田 敏子(こわだ としこ、1947年11月17日 - )は、日本の卓球選手。元世界チャンピオンである。 山形県河北町出身。現姓・竹内。河北町立谷地中学校(現在の河北町立河北中学校)、山形県立谷地高等学校卒業。体育の教師になることを夢見て、両親の反対を押し切って中京大学体育学部に進学。 1969年の世界卓球選手権ミュンヘン大会では女子シングルスで優勝、混合ダブルスと女子団体で銅メダルを獲得し、輝かしい成績を収める。 1970年3月、中京大学卒業。同大学体育学部の助手となる。 1971年の世界卓球選手権名古屋大会では、同じ河北町出身の大場恵美子、そして大関行江、今野安子と共に女子団体で優勝を果たした。
大塚 文雄(おおつか ふみお、1940年7月20日 - )は… 大塚 文雄(おおつか ふみお、1940年7月20日 - )は、日本の民謡歌手。愛称は民謡界のフーミン。 山形県西村山郡三泉村(現・河北町)出身。2歳年少で1999年に『孫』で一世を風靡した大泉逸郎とは、生家が近く、子供の時から「民謡少年」としてよく知られていた。 1959年、山形県立谷地高等学校卒業後に上京し、当時民謡歌手の代名詞的存在だった初代鈴木正夫に入門。1966年、キングレコード専属歌手となり、山梨県民謡『甲州盆唄(通称・市川文殊)』、『正調粘土節』でデビューした。 1977年に発売した『祝賀の舞』は120万枚を売り上げる大ヒット曲となった。ピーク時には毎月5000枚~7000枚が売れ、2002年時点でも毎年3000枚前後を出荷しているという。
田宮 榮一(たみや えいいち、1932年〈昭和7年〉10月1… 田宮 榮一(たみや えいいち、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉2月16日)は、日本の警察官、コメンテーター。最終階級は警視監。日本テレビ客員解説員を務めた。表記は田宮栄一になっている場合もある。 日本統治時代の台湾で生まれる。 戦後、日本に復員して山形県西村山郡河北町で高校卒業まで過ごした。山形県立谷地高等学校を卒業後、中央大学法学部を経て1952年に警視庁採用。 所謂「ノンキャリア」として、採用時の巡査から警視監(現役警察官としては警視長)まで昇任を経験。田宮以外にもノンキャリアで警視監まで昇任した者は他にも居るが、その数は非常に少ない狭き門であり、特に刑事畑出身の者は事件捜査で多忙を極める関係上、昇任試験の勉強をする時間的な余裕がなく、昇任しにくい傾向にある。
大場 恵美子(おおば えみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代… 大場 恵美子(おおば えみこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。世界卓球選手権金メダリスト。 山形県河北町出身。山形県立谷地高等学校卒業。 中京大学在学時の1969年度、全日本学生卓球選手権大会では小和田敏子と出場した女子ダブルスで優勝。全日本大学対抗卓球大会では中京大を優勝に導き、敢闘賞に選出された。 谷地高職員時の1970年度、名古屋市で行われたアジア卓球選手権シングルスで銅メダル。伊藤繁雄と出場した混合ダブルス準決勝で長谷川信彦 / 小和田組に敗れ銅メダル。 1971年度、名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権シングルスで16強。伊藤和子と出場した女子ダブルスで林慧卿(英語版) / 鄭敏之(英語版)組 (中国)に0-3で敗れ16強。