スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
撹上 宏光(かくあげ ひろみつ、1990年9月14日 - )… 撹上 宏光(かくあげ ひろみつ、1990年9月14日 - )は、日本の元陸上競技選手。福島県いわき市出身。いわき総合高校、駒澤大学卒業。コニカミノルタに所属していた。専門は、長距離種目。身長170cm 体重48kg。 東洋大学出身で富士通に所属する柏原竜二はいわき総合高校の1学年先輩にあたる。 中学時代はバスケットボール部に所属しており、陸上を本格的に始めたのは高校時代から。当時は柏原と同じく全国高校駅伝への出場経験がなく無名だった。 高校卒業後は駒澤大学に進学。1年時から駅伝のメンバーに入り、第41回全日本大学駅伝では5区で区間4位・2人抜きの走りを見せたがチームは7位に終わった。第86回箱根駅伝では当日エントリー変更で7区を任され区間4位・2人抜きの力走。
柏原 竜二(かしわばら りゅうじ、1989年7月13日 - … 柏原 竜二(かしわばら りゅうじ、1989年7月13日 - )は日本の陸上競技元選手、スポーツ解説者・ナビゲーター。現役時代の陸上専門種目は主に長距離走・駅伝競走。福島県いわき市出身。愛称は「かっしー」、「新・山の神」、「2代目・山の神」「山の神童」「山の竜神」。妻は、BS11アナウンサーの八木菜緒で、2児の父。 福島県立いわき総合高等学校、東洋大学経済学部卒業。身長174cm、体重55kg。 大学時代に世界ジュニア陸上競技選手権大会10000m7位、ユニバーシアード10000m8位など日本代表として活躍し、箱根駅伝では往路5区山上りで4年連続で区間賞を獲り3回区間記録を更新した。 小学校時代はソフトボール部に所属。
角田 美紗(かくた みすず、1987年6月27日 - )は、… 角田 美紗(かくた みすず、1987年6月27日 - )は、日本で活動するミュージカル女優である。福島県いわき市出身。劇団四季所属。 福島県立いわき総合高等学校で演劇を学び、高校時代にミュージカル南十字星を観劇したことにより劇団四季入団を目指すようになる。高校卒業後は上京し、自由が丘産能短期大学に進学し、短大卒業後は舞台活動を行っていた。 2010年に劇団四季オーディションに合格し、2011年4月に劇団四季へ入団する。2012年1月20日に上演されたライオンキングのアンサンブル2枠役で初舞台出演を果たした。
駒木 なおみ(こまき なおみ、1967年8月17日 - )は… 駒木 なおみ(こまき なおみ、1967年8月17日 - )は、日本の元グラビアアイドル、女優。 福島県いわき市湯本出身。実家は置屋。中学時代は東京の劇団に通っていた。 県立内郷高校(現:福島県立いわき総合高等学校)卒業後、デザイナー系専門学校:バンタンデザイン研究所へ進学する予定もキャンセル。美術系専門学校に独力で進学。普通の仕事をしていた(雑誌インタビューより)。高校時代は遅刻が多かった(同級生の証言)。親戚の経営する麻雀荘で働いている時に、1日10万円と言われて『週刊プレイボーイ』でヌード披露(「こまきね尚美」名)。これをきっかけに端役で映画デビュー。4年間は下積みで、足元を見られることもあったが肉体関係は拒否していたという。
紅 晴美(くれない はるみ、1953年12月26日 - )は… 紅 晴美(くれない はるみ、1953年12月26日 - )は、福島県出身の日本の女性歌手。 福島県いわき市出身。4人兄弟の末っ子。炭鉱町で育ったが、炭鉱の閉鎖後は厳しい生活を送る。演歌界では珍しい「シンガー・ソングライター」でもあり、作詞・作曲を行う。2002年からは福島で、2010年からは東京でもレギュラーのラジオ番組を担当。
矢部 徳美(やべ のりよし、1948年6月29日 - )は、… 矢部 徳美(やべ のりよし、1948年6月29日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 内郷高校では1年から遊撃手。1966年夏の甲子園県予選で準々決勝に進むが会津高に敗退。高校卒業後は常磐炭鉱に入社。同社の系列会社で構成する社会人野球チームであるオール常磐に入団、遊撃手として活躍する。 一番打者として1970年の都市対抗に出場。1回戦では電電東海を相手に逆転本塁打を放ち、勝利の立役者となる。2回戦で日本石油のエース三浦健二に完封を喫するが、小柄ながら好守好打の内野手として注目を浴びる。 1970年ドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け入団。1971年のジュニアオールスターに出場。
柳田 利夫(やなぎだ としお、1936年8月18日 - )は… 柳田 利夫(やなぎだ としお、1936年8月18日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 内郷高校(現:いわき総合高校)から常磐炭鉱を経て、1958年に大毎オリオンズに入団。 1959年には一軍に定着、二塁手として14試合に先発出場した。 1960年は開幕直後に遊撃手の八田正が故障欠場、新監督の西本幸雄に抜擢され、一番打者、遊撃手として起用される。この年の5月下旬に打撃練習をしようとグラウンドを通っていると、気づかぬまま素振りを続けていた榎本喜八のバットが柳田の顎を直撃。柳田はその場に流血しながら倒れこみ、その姿を見た榎本は自身の責任を感じ試合数分前まで顔面蒼白だったという。