スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大栄 利哉(おおさかえ としや、2007年4月23日 - )… 大栄 利哉(おおさかえ としや、2007年4月23日 - )は、福島県いわき市出身のプロ野球選手。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 いわき市立永崎小学校時代から軟式チームで野球を始め、石川義塾中学校では軟式野球部に所属。 学法石川高等学校では捕手兼投手としてプレー。 3年時夏の県大会は4強で敗退。日本代表としては2025 WBSC U-18野球ワールドカップに出場し準優勝を達成。1学年先輩に福尾遥真がいる。 2025年のドラフト会議において、東北楽天ゴールデンイーグルスから4位指名を受けた。 高校通算13本塁打、振り切るスイングで広角に弾き返す左打者。 遠投115m&最速143km/hの強肩が持ち味。
福尾 遥真(ふくお はるま、2006年4月6日 - )は、千… 福尾 遥真(ふくお はるま、2006年4月6日 - )は、千葉県市原市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校3年生の時に「オール五井ヤップオーシャン」で野球を始め、市原市立五井中学校では「京葉ボーイズ」に所属していた[信頼性要検証]。 中学卒業後は、福島県の学校法人石川高等学校に進学。1年の秋からメンバー入りを果たし、3年春に第96回選抜高等学校野球大会へ出場すると、初戦の健大高崎戦で4打数3安打を記録したが、チームは敗れた。これ以降、福尾が甲子園の舞台に立つことはなかった。2学年先輩に黒川凱星、1学年後輩に大栄利哉がいた。 その後、9月19日にプロ志望届を提出し[信頼性要検証]、10月24日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから育成6位で指名された。
黒川 凱星(くろかわ かいせい、2004年4月5日 - )は… 黒川 凱星(くろかわ かいせい、2004年4月5日 - )は、千葉県千葉市稲毛区出身のプロ野球選手(内野手)。ベースボール・チャレンジ・リーグの千葉スカイセイラーズ所属。 千葉市立西小中台小学校6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに所属。千葉市立朝日ヶ丘中学校時代はボーイズリーグの京葉ボーイズに所属した。SUBARU硬式野球部所属の海老根優大はマリーンズジュニアおよび京葉ボーイズの同期にあたる。 学校法人石川高校進学後は一年次の秋から遊撃手のレギュラーを掴み、以降三年次の夏まで専ら8番遊撃手として出場を続けたほか、二年次秋からは主将も務めた。チームは2020年から2年連続で秋季県大会3位となり東北大会に出場したが、そちらではいずれも1回戦で敗れている。
尾形 崇斗(おがた しゅうと、1999年5月15日 - )は… 尾形 崇斗(おがた しゅうと、1999年5月15日 - )は、宮城県黒川郡富谷町(現:富谷市)出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 富谷町立富ケ丘小学校3年生から「富谷スーパーキッズ」で軟式野球を始め、富谷町立あけの平小学校6年生から富谷町立富谷第二中学校時代は「仙台広瀬ボーイズ」に所属。同ボーイズでは東北選抜に選ばれ、東日本報知オールスター戦で優勝を果たした。 福島県の学校法人石川高等学校に進学後は1年生の夏からベンチ入りし、2年生の秋にはエースとなった。甲子園出場経験は無いが、1年生秋には秋季東北大会において準々決勝に進出。3年生の春の春季福島大会では、最速147km/hを計測し注目を集めた。
川越 英隆(かわごえ ひでたか、1973年6月8日 - )は… 川越 英隆(かわごえ ひでたか、1973年6月8日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 小さい頃から野球に興味を持ち、幼稚園の時に駄々をこね父兄同伴で小学生の野球チームに参加を認められたことがある。その頃から投手を務め、相模原市立桜台小学校、相模原市立相模台中学校を卒業後、甲子園出場を目指して福島県の学校法人石川高等学校に野球留学した。娯楽の無い環境で野球に打ち込み、3年時には第63回選抜高等学校野球大会、第73回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場するも両大会共に2回戦敗退。 高校卒業後は、監督の河原井正雄から熱心な勧誘を受け東都大学野球連盟所属の青山学院大学に進学した。
伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は… 伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(外野手)。 学法石川高時代は、2年夏、3年春の選抜と甲子園に出場。チームメイトに諸積兼司と作山和英がいた。 高校卒業後は、作山とともに東北福祉大学に進学。4年次は主将を務めて春に最多打点、最多本塁打、全日本大学野球選手権で初優勝する。秋はベストナイン。この年は日米大学野球でMVP。 1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。 ルーキーイヤーの1992年、緒方耕一、川相昌弘、ロイド・モスビー、原辰徳が故障によりスタメンから外れるという緊急事態に急遽一軍昇格で即1番ライトでスタメンに抜擢されると、5打席で二塁打2本2四球という鮮烈デビューを飾る。
作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は… 作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(投手)。 学法石川高では、2年生時の1986年に夏の甲子園に控え投手として出場。2回戦(初戦)で東洋大姫路高の長谷川滋利、島尾康史の継投に抑えられ敗退。この試合ではリリーフとして起用され甲子園初登板を果たす。翌1987年には春の選抜にも出場。1回戦で先発するが池田高に敗れる。高校同期に伊藤博康、諸積兼司がいた。 高校卒業後は、高校同期の伊藤とともに東北福祉大学に進学。仙台六大学野球リーグでは在学中7回優勝。1991年の全日本大学野球選手権大会では決勝で関大と対戦。延長17回の熱戦を制し優勝投手となる。
諸積 兼司(もろづみ けんじ、1969年5月29日 - )は… 諸積 兼司(もろづみ けんじ、1969年5月29日 - )は、福島県会津若松市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投左打。 学法石川高校時代に昭和61年夏、昭和62年春と甲子園大会に連続出場した。2年夏は長谷川滋利(東洋大姫路)と対戦するも敗れた。高校の同期に伊藤博康、作山和英がいる。その後、法政大学では4年春に首位打者、盗塁王となり、秋まで2季連続でベストナインを受賞。大学では同期に高村祐、3学年後輩に稲葉篤紀がいた。日立製作所では1年目の東京スポニチ大会で3本塁打するなど活躍して首位打者、新人賞、2年目は優勝に貢献してMVP、同年は都市対抗野球にも出場し、社会人野球・年間ベストナインとなった。
松井 達徳(まつい たつのり、1965年6月25日 - )は… 松井 達徳(まつい たつのり、1965年6月25日 - )は、福島県白河市出身の元プロ野球選手(外野手)。 学法石川高では、一塁手として1983年に夏の甲子園出場。3回戦で横浜商業高の三浦将明投手に抑えられ、3-19の大差で敗退。この試合ではエース小椋政彦の後を受けリリーフとして甲子園初登板を果たした。 高校卒業後は、法政大学へ進学。東京六大学リーグで在学中4回の優勝を経験。1986年秋季リーグでは打率2位を記録し、ベストナイン(一塁手)を受賞。4年生時には1987年秋季リーグで優勝するが、直後の第18回明治神宮野球大会決勝で筑波大に延長10回の熱戦の末に敗れた。リーグ通算82試合出場、260打数75安打、打率.288、5本塁打、40打点。
長谷川 達栄(はせがわ たつえい、1964年11月15日 -… 長谷川 達栄(はせがわ たつえい、1964年11月15日 - )は、福島県南会津郡只見町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 学法石川高時代は、2本柱の投手陣で臨むが3年夏は準優勝で甲子園出場はなし。 1982年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズより6位指名され入団した(契約金1,500万円)。アンダースローからの速球で押してくるタイプの投手であり、変化球はカーブ・シュート・シンカーを持っていた。 一軍登板を果たすことなく、打者転向の話もあったというが1985年限りで現役を引退した。引退後は家業の農場を継いだ。 2016年の学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となった。
遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )… 遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者、野球評論家。現役時代は横浜大洋ホエールズのエースとして活躍した。元プロ野球選手の遠藤政隆とは従弟にあたる。マネジメント会社は株式会社レガシージャパン。 学法石川高校では1972年、2年生時に中堅手、控え投手として夏の甲子園予選東北大会決勝に進出。東北高と対戦し6回からリリーフに立つが3-6で敗退。翌1973年にはエース、四番打者として福島大会決勝に進むが双葉高に1-2で惜敗、甲子園には届かなかった。 卒業後は東海大学工学部に進学。原辰徳は野球部の3年後輩にあたり、在学中は共にプレーしている。
近藤 重雄(こんどう しげお、1942年10月15日 - )… 近藤 重雄(こんどう しげお、1942年10月15日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 学校法人石川高等学校では、1960年夏の甲子園県予選で準決勝(東北大会代表決定戦)に進むが、双葉高に延長11回敗退。この予選では7試合64回を投げ、夏の地方大会記録となる110三振を奪った。 卒業後は日本コロムビアへ入社。1964年の第35回都市対抗野球大会では決勝まで進出し、日本通運の田中章と投げ合うが惜敗。準優勝に終わったが、大会での活躍ぶりが認められ久慈賞を受賞した。同年10月には東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された、社会人野球選抜と米国大学選抜との試合にも登板している。
阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明… 阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手(投手、左投左打)・解説者。 小学校出のプロ野球選手。福島県熱海小学校から社会人野球の全福島日東紡へ入団。在籍時に阪急ブレーブスなど複数球団のスカウトマンだった宇高勲にスカウトされ、1949年に阪急ブレーブスへ入団。 1949年は2勝に終わる。同年オフのセ・パ両リーグ分立に伴って、セ・リーグの新球団である西日本パイレーツの選手集めのため、宇高が阪急の選手の大量引き抜きを行う。ここで、個人的に仲が良かったセ・リーグの鈴木龍二から「(引き抜きに)用心しろ」と忠告を受けた阪急監督の浜崎真二は1日中阿部に付いて離れなかったため、阿部は引き抜きを受けず阪急に留まった。