スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨… 大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。 かつてヤクルト、南海でプレーしたプロ野球選手大塚徹は父親。 土浦三高では1年春からレギュラー。2年の新チームから主将をつとめる。主将として参加した2001年秋の県大会で準優勝。関東大会でもベスト8に残っている。2002年春の選抜大会に21世紀枠で候補に残っていたが、部員の不祥事により部活動休止の憂き目にあっている。3年夏は県大会4回戦で敗退した。 2002年のドラフト11巡目でヤクルトに入団。高校通算打率.520、16本塁打。小柄な体格ながら意外性のある打撃と、身体能力が評価されての指名となった。
茅場 孝史(かやば たかし、1961年12月4日 - )は、… 茅場 孝史(かやば たかし、1961年12月4日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(内野手)。 土浦第三高では小松崎善久とクリーンアップを形成、1979年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。 内臓疾患のため1981年に一時引退するが、1983年に復帰。しかし、一軍出場はないまま同年限りで現役を引退。 子息も同じ高校を経て、BCリーグの富山サンダーバーズでプレーしていた。その後は地元で親子揃って野球教室にも協力している。
小松崎 善久(こまつざき よしひさ、1961年6月23日 -… 小松崎 善久(こまつざき よしひさ、1961年6月23日 - )は、茨城県新治郡千代田町出身の元プロ野球選手(外野手)。 1961年6月23日に茨城県新治郡千代田町(現:かすみがうら市)に生まれる。土浦三高では捕手としてプレーし、1978年の秋季関東大会では1回戦で小川博を擁する前橋工にコールド負けを喫する。 1979年の春季関東大会では2回戦(初戦)で藤沢商に、同年夏の県大会でもそれぞれ敗れ、甲子園出場は果たせなかった。 1979年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから2巡目で指名され、入団する。 1982年から外野手へ転向したが一塁手としても起用された。 1985年に一軍初出場を果たした。
大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 201… 大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 2018年7月13日)は、日本のプロ野球選手。サンケイアトムズ・ヤクルトスワローズ、南海ホークスでプレーした。茨城県土浦市出身。茨城県立土浦第三高等学校卒業。息子は元東京ヤクルトスワローズの大塚淳。 茨城県立土浦第三高等学校では、捕手として1962年秋季関東大会準決勝に進むが、宇都宮商に敗退。 1964年国鉄スワローズに入団。1964年、1965年と2年連続でジュニアオールスターに出場。しかし根来広光、岡本凱孝らの壁を破れず、1968年から外野手に転向。同年は23試合に先発出場、一番打者として16試合に起用される。その後もユーティリティープレイヤーとして先発、代打、守備固めなど、臨機応変に活躍。
石上 滋夫(いしがみ しげお、1938年3月23日 - )は… 石上 滋夫(いしがみ しげお、1938年3月23日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。 土浦第三高校では、エース富島五郎を擁し1954年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、水戸一高に惜敗。 1956年に富島とともに南海ホークスへ入団。1958年には二塁手、三塁手として6試合に出場するが、同年限りで引退。
富島 五郎(とみしま ごろう、1937年7月31日 - 20… 富島 五郎(とみしま ごろう、1937年7月31日 - 2018年12月20日)は、茨城県出身のプロ野球選手。 土浦第三高校では、エースとして1954年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、水戸一高に惜敗。高校同期に石上滋夫がいる。 1956年に石上とともに南海ホークスへ入団。1年目から一軍で起用され4勝を挙げるが、その後はやや伸び悩む。1960年にはウエスタン・リーグで防御率1位を記録。1961年にも4勝、1962年には自己最多の40試合に登板するが、1964年限りで引退。引退後は日立電線の土浦工場に勤務した。
鈴木 義文(すずき よしふみ、1934年8月15日 - )は… 鈴木 義文(すずき よしふみ、1934年8月15日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。 土浦第三高校、全藤倉、東京ガスを経て1957年に中日ドラゴンズへ入団。1959年に退団した。