スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石塚 祐輔(いしつか ゆうすけ、1987年6月19日 - 、… 石塚 祐輔(いしつか ゆうすけ、1987年6月19日 - 、土浦三中→茨城県立土浦第三高等学校→筑波大学)は、茨城県のスプリンター。ミズノ所属。 中学時代は野球部に身を置いていたが、俊足をかわれて陸上の大会に参加していた。中3時の2002年にジュニアオリンピックの400mRの茨城県代表として3走を務め、チームの準優勝に貢献。中学時の100m自己ベストは11秒43、個人の実績は関東中学3位。 2003年、高校入学後は陸上部に所属。5月時点では高校の県大会でも入賞どまりであったが、7月に100mで10秒台、200mで21秒台に到達したのを皮切りに急成長。秋までにはそれぞれ10秒60(高1歴代6位)、21秒42(参考)、同年10月の国体で大会新(21秒39)で準優勝を果たすまでになった。
大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨… 大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。 かつてヤクルト、南海でプレーしたプロ野球選手大塚徹は父親。 土浦三高では1年春からレギュラー。2年の新チームから主将をつとめる。主将として参加した2001年秋の県大会で準優勝。関東大会でもベスト8に残っている。2002年春の選抜大会に21世紀枠で候補に残っていたが、部員の不祥事により部活動休止の憂き目にあっている。3年夏は県大会4回戦で敗退した。 2002年のドラフト11巡目でヤクルトに入団。高校通算打率.520、16本塁打。小柄な体格ながら意外性のある打撃と、身体能力が評価されての指名となった。
川尻 達也(かわじり たつや、1978年5月8日 - )は、… 川尻 達也(かわじり たつや、1978年5月8日 - )は、日本の男性総合格闘家。Fight Box Fitness代表。茨城県稲敷郡江戸崎町(現・稲敷市)出身。元修斗世界ライト級王者。ブラジリアン柔術紫帯。 日本人離れした強靭なフィジカルを生かしたテイクダウンからのパスガード・トップキープを武器としている。 小、中学生時代は野球を経験。高校生時代は陸上の800m走の選手であった。 茨城県立土浦第三高等学校、中央学院大学卒業。中央学院大学時代にPRIDE.1での高田延彦対ヒクソン・グレイシー戦を見たことと、桜井"マッハ"速人や佐藤ルミナに憧れて総合格闘家を志した。 アマチュア時代に三崎和雄にKO負けしたことがある。
茅場 孝史(かやば たかし、1961年12月4日 - )は、… 茅場 孝史(かやば たかし、1961年12月4日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(内野手)。 土浦第三高では小松崎善久とクリーンアップを形成、1979年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。 内臓疾患のため1981年に一時引退するが、1983年に復帰。しかし、一軍出場はないまま同年限りで現役を引退。 子息も同じ高校を経て、BCリーグの富山サンダーバーズでプレーしていた。その後は地元で親子揃って野球教室にも協力している。
小松崎 善久(こまつざき よしひさ、1961年6月23日 -… 小松崎 善久(こまつざき よしひさ、1961年6月23日 - )は、茨城県新治郡千代田町出身の元プロ野球選手(外野手)。 1961年6月23日に茨城県新治郡千代田町(現:かすみがうら市)に生まれる。土浦三高では捕手としてプレーし、1978年の秋季関東大会では1回戦で小川博を擁する前橋工にコールド負けを喫する。 1979年の春季関東大会では2回戦(初戦)で藤沢商に、同年夏の県大会でもそれぞれ敗れ、甲子園出場は果たせなかった。 1979年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから2巡目で指名され、入団する。 1982年から外野手へ転向したが一塁手としても起用された。 1985年に一軍初出場を果たした。
上原 博之(うえはら ひろゆき、1957年1月25日 - )… 上原 博之(うえはら ひろゆき、1957年1月25日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師。主な管理馬にGI競走で5勝を挙げたダイワメジャーがいる。所属場は美浦トレーニングセンター。茨城県土浦市出身、茨城県立土浦第三高等学校を経て中央大学法学部卒。 同じく美浦トレーニングセンター所属の調教師・上原佑紀は息子。 1957年、千葉県我孫子市に生まれる。1歳の時に茨城県土浦市に転居し、以後土浦で育った。父親は農協系の団体職員で獣医師資格を持ち、この影響もあって幼少の頃から動物好きだった。土浦第三高等学校では父の勧めで馬術部に所属。3年次には主将を務め、1974年の茨城国体では県代表選手として個人準優勝、団体で優勝を経験している。
中川 富雄(なかがわ とみお、1955年7月6日 - )は、… 中川 富雄(なかがわ とみお、1955年7月6日 - )は、NHKの元シニアアナウンサー。 茨城県出身。茨城県立土浦第三高等学校を経て獨協大学外国語学部卒業、1979年に入局。北見局〜秋田局時代には単身赴任を経験。自身の子育て経験を基に講演活動なども行ったこともある。2014年札幌局に異動、2015年60歳となり定年を迎え、アナウンサーリストから名前が消去される。その後の去就は不明。
幕内 秀夫(まくうち ひでお、1953年4月4日 - )は、… 幕内 秀夫(まくうち ひでお、1953年4月4日 - )は、健康・料理評論家。 伝統食と民間食養法の研究をする「フーズアンドヘルス研究所」を主宰。学校給食と子どもの健康を考える会代表。 ホリスティック医学を目指した「帯津三敬病院」で管理栄養士を務める。粗食をすすめていて、マスコミへの出演、本の出版多数。 茨城県生まれ。茨城県立土浦第三高等学校、東京農業大学農学部栄養学科卒業。管理栄養士。 幕内の著書『変な給食』における三重県松阪市の学校給食の献立を批判する記述が実際と異なる盛り付けを描写しているとして松阪市が2011年ブックマン社に抗議した。 2014年SAPIOの記事で「愛知県江南市の学校給食でやきそばと一緒にメロンパンが提供されている」と幕内が書いたことについて、事実誤認であるとして江南市が同誌に抗議し、同誌編集長が江南市を訪れ謝罪した。
大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 201… 大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 2018年7月13日)は、日本のプロ野球選手。サンケイアトムズ・ヤクルトスワローズ、南海ホークスでプレーした。茨城県土浦市出身。茨城県立土浦第三高等学校卒業。息子は元東京ヤクルトスワローズの大塚淳。 茨城県立土浦第三高等学校では、捕手として1962年秋季関東大会準決勝に進むが、宇都宮商に敗退。 1964年国鉄スワローズに入団。1964年、1965年と2年連続でジュニアオールスターに出場。しかし根来広光、岡本凱孝らの壁を破れず、1968年から外野手に転向。同年は23試合に先発出場、一番打者として16試合に起用される。その後もユーティリティープレイヤーとして先発、代打、守備固めなど、臨機応変に活躍。
寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」… 寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」、1939年1月17日 - 2021年6月18日)は、日本人のギタリストである。 作曲家、編曲家、音楽プロダクション経営者、実業家としての顔を持つ。 茨城県新治郡土浦町祇園町(現・土浦市)出身。ニックネームは「テリー」「エレキの神様」「寺さん」。1962年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。その後バニーズや第二期ブルージーンズなども結成した。1500校を超える高校を回り「ハイスクール・コンサート」を開催。ロシア、アメリカ合衆国、ブラジル、台湾などの各国でも公演を行った。代表曲は『太陽に叫ぼう』(ブルージーンズ)、『太陽の花』『悪魔のベビー』(バニーズ)など。
石上 滋夫(いしがみ しげお、1938年3月23日 - )は… 石上 滋夫(いしがみ しげお、1938年3月23日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。 土浦第三高校では、エース富島五郎を擁し1954年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、水戸一高に惜敗。 1956年に富島とともに南海ホークスへ入団。1958年には二塁手、三塁手として6試合に出場するが、同年限りで引退。
富島 五郎(とみしま ごろう、1937年7月31日 - 20… 富島 五郎(とみしま ごろう、1937年7月31日 - 2018年12月20日)は、茨城県出身のプロ野球選手。 土浦第三高校では、エースとして1954年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、水戸一高に惜敗。高校同期に石上滋夫がいる。 1956年に石上とともに南海ホークスへ入団。1年目から一軍で起用され4勝を挙げるが、その後はやや伸び悩む。1960年にはウエスタン・リーグで防御率1位を記録。1961年にも4勝、1962年には自己最多の40試合に登板するが、1964年限りで引退。引退後は日立電線の土浦工場に勤務した。
鈴木 義文(すずき よしふみ、1934年8月15日 - )は… 鈴木 義文(すずき よしふみ、1934年8月15日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。 土浦第三高校、全藤倉、東京ガスを経て1957年に中日ドラゴンズへ入団。1959年に退団した。