スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
桜井 青(さくらい あお、1971年6月28日 - ) は、… 桜井 青(さくらい あお、1971年6月28日 - ) は、日本のミュージシャン、アーティスト、デザイナー。インディーズ・レーベル密室ノイローゼ及びグッズ製作会社桜井商店代表取締役。 茨城県石岡市出身。建築系専門学校を卒業後、東京デザイン専門学校に入学。デザイナーとしても活動しており、近年は「ロケットマンブルース(RMB)」名義でデザイナー活動を行い、自身のリリース作品のジャケットデザインも手がけている。また2015年5月1日に数人のスタッフと共にライブグッズ製作会社「桜井商店」を設立。 レーベル密室ノイローゼおよびヴィジュアル系ロックバンドcali≠gariの創始者である。1990年代前半から2003年の無期限活動休止まで、拡散・多様化を極めるシーンの中をcali≠gariをメインソングライター兼リーダーとして牽引した。
谷島 洋司(やじま ようじ、1963年1月24日 - )は、… 谷島 洋司(やじま ようじ、1963年1月24日 - )は、日本の政治家。茨城県石岡市長(2期)。元茨城県議会議員(1期)。 茨城県石岡市出身。石岡市立瓦会小学校、石岡市立有明中学校、茨城県立石岡第一高等学校、立正大学経済学部、郵政大学校卒業。 郵政省主計課、関東郵政局勤務等を経て、1997年(平成9年)から2018年(平成30年)3月まで、瓦会郵便局長を務めた。 2018年(平成30年)12月の茨城県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選した。当選後自民党に入党。 2020年(令和2年)4月7日、当時の石岡市長今泉文彦がパーキンソン病の闘病による体力、気力の限界から辞職。谷島は、今泉の辞職に伴い4月26日に行われた市長選挙に立候補し、元市長公室長の佐々木敏夫らを破り初当選を果たした。
坪井 透(つぼい とおる、1950年(昭和25年)2月7日 … 坪井 透(つぼい とおる、1950年(昭和25年)2月7日 - )は、日本の政治家。元茨城県かすみがうら市長(通算3期)、元茨城県議会議員(1期)、元千代田町議会議員(2期)。 茨城県新治郡千代田村下稲吉(現在のかすみがうら市下稲吉)に生まれる。1962年、千代田村立下稲吉小学校卒業。中学校に関して、本人や本人公式サイト 及び支援団体は「1965年、千代田村立下稲吉中学校卒業」と公表しているが、下稲吉中学校は1981年4月の開校であり坪井の年齢で同中学校は存在しておらず「下稲吉中学校卒業」とは正確性がなく在り得ない経歴であり、2014年と2018年の2度とも選挙後に至って市民に向けて訂正告知がない。
久保田 健一郎(くぼた けんいちろう、1949年〈昭和24年… 久保田 健一郎(くぼた けんいちろう、1949年〈昭和24年〉2月18日 - 2023年〈令和5年〉12月17日)は、日本の政治家。茨城県石岡市長(1期)。旭日小綬章受章。 茨城県立石岡第一高等学校を経て、流通経済大学経済学部卒。石岡市議会議員となり、2007年5月15日から2009年6月17日まで議長を務めた。 2009年の市長選挙に立候補し、新人3人を破って初当選を果たした。※当日有権者数:65,893人 最終投票率:58.66%(前回比:+16.4pts) 2013年の市長選では再選を目指したが、前回破った元石岡市職員の今泉文彦に敗れた。※当日有権者数:64,442人 最終投票率:53%(前回比:-5.66pts) 2023年12月17日、敗血性ショックのため死去、74歳。
坂本 俊彦(さかもと としひこ、1940年(昭和15年)9月… 坂本 俊彦(さかもと としひこ、1940年(昭和15年)9月3日 - )は日本の政治家。元茨城県行方市長(1期)。旭日双光章受章。長年にわたり玉造町長を務めた坂本常藏の甥。 石岡第一高校卒。郵便局、社会福祉施設長を務めた後、玉造町議会議員を経て、玉造町長を1期務める。在任中の2005年9月2日、玉造町が麻生町・北浦町と合併し、行方市が誕生。これに伴って10月2日に行われた市長選挙に立候補し初当選した。2009年9月13日に行われた第2回市長選で、元北浦町長の伊藤孝一に敗れる。
滝平 二郎(たきだいら じろう、1921年(大正10年)4月… 滝平 二郎(たきだいら じろう、1921年(大正10年)4月1日 - 2009年(平成21年)5月16日)は、日本の版画家・きりえ作家である。日本美術会委員、日本児童出版美術家連盟会員、日本きりえ協会代表委員。 ※四国新聞記事以外の出典は『滝平二郎望郷編』。 茨城県新治郡玉川村(現:小美玉市)に生まれる。実際には4月10日生まれだが、父親が早く学校に入れたいために4月1日と繰り上げて誕生日を届け出たため、入学が1年繰り上がった。 茨城県立石岡農学校(現:茨城県立石岡第一高等学校)在学中は風刺漫画に関心を寄せていた。1938年に農学校を卒業し、同年若林一男や高林宏一らと漫画研究同人展を開くが、卒業後は木版画へと向かった。