スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
茂木 淳一(もぎ じゅんいち、1972年8月27日 - )は… 茂木 淳一(もぎ じゅんいち、1972年8月27日 - )は、日本のタレント、ナレーター、声優、俳優。群馬県前橋市出身。血液型はO型。所属事務所はソニー・ミュージックアーティスツ。 1995年に千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、東急ハンズに入社するも7ヶ月あまりで退社。その後、某アーティストのDJを務めていた。1998年からライブソリューション「千葉レーダ」として歌と司会で雰囲気を展開。DVD「スキージャンプ・ペア」の実況アナウンスをきっかけに、ナレーターとしての地歩を固める。その他テレビ、ラジオ、WEBなどメディアへの出演や、コラム執筆・ライター業などもこなし、その活動は多岐にわたる。30〜35歳を対象に企画したCD+マガジン『30-35(サンゼロ・サンゴー)』ではディスク・ナビゲータを担当した。
坂口 進也(さかぐち しんや、1947年12月22日 - )… 坂口 進也(さかぐち しんや、1947年12月22日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。群馬県出身。身長169cm、体重69kg、血液型はO型。 群馬県立前橋高等学校卒業。1977年3月1日に劇団青年座に入団。 資格・免許は普通自動車免許。
天田 俊明(あまだ としあき、1934年〈昭和9年〉8月22… 天田 俊明(あまだ としあき、1934年〈昭和9年〉8月22日 - )は、日本の俳優、声優。 群馬県伊勢崎市出身。 群馬県立前橋高等学校卒業。高校時代は野球部に所属し、中利夫は2年後輩だった。 1954年、ドラマグループ21世紀所属。1958年、TBS放送劇団6期生。 1960年にフリーランスとなり、富士放送プロに所属。 代表作である『七人の刑事』初代メンバーの最後の存命者である。 長男は天田暦。お笑いコンビ「(株)あまつか笑事」(2013年解散)の天田太郎は甥にあたる。叔父は図案家の小和田倉司。 声優としてはジョン・ヴォイトが持ち役である。 『七人の刑事』で共演した堀雄二のことを実の父のように慕っていたという。
小林 桂樹(、1923年〈大正12年〉11月23日 - 20… 小林 桂樹(、1923年〈大正12年〉11月23日 - 2010年〈平成22年〉9月16日)は、日本の俳優。サラリーマン喜劇から社会派ドラマまで幅広く活躍し、その生涯において253本の映画に出演した。 『裸の大将』の山下清の演技で1958年第13回毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。『黒い画集 あるサラリーマンの証言』の石野貞一郎の演技では1960年の第15回毎日映画コンクール主演男優賞およびキネマ旬報男優賞およびブルーリボン大衆賞(つまり3つの賞)を受賞。『白と黒』の落合克巳(東京地検捜査検事)の演技および『江分利満氏の優雅な生活』の江分利満の演技により1963年第18回毎日映画コンクール主演男優賞を、『われ一粒の麦なれど』の坂田昌義(農政省官吏)の演技で1964年第15回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞。
根岸 東一郎(ねぎし とういちろう、1899年〈明治32年〉… 根岸 東一郎(ねぎし とういちろう、1899年〈明治32年〉10月 - 1970年〈昭和45年〉)は、日本の元俳優、元映画監督、元脚本家である。本名同じ。 1899年(明治35年)10月、群馬県前橋市紅雲町に生まれる。 1917年(大正6年)旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒。明治学院から早稲田大学商学部へ進学して、卒業後は新劇団金星座に入り初舞台を踏む。1925年(大正14年)2月、日活京都撮影所に入社。同年、同撮影所第二部で製作された村田実・三枝源次郎共同監督による現代劇のサイレント映画『法を慕ふ女』に出演して映画デビューした。同社では現代劇俳優であった。 1928年(昭和3年)4月、マキノ・プロダクションに移籍。
河原 侃二(かわら かんじ、1897年4月16日 - 197… 河原 侃二(かわら かんじ、1897年4月16日 - 1974年1月26日)は、日本の俳優であり、詩人・編集者出身で写真家としても知られる。本名同じ。詩人としての筆名は河原 森月(かわら しんげつ)。萩原朔太郎とともに詩誌『侏儒』を創刊し、新劇俳優としては「築地小劇場」「第二次芸術座」の設立に参加、写真の世界では「ヴェス単の名手」として知られる。 1897年(明治30年)4月16日、兵庫県赤穂郡赤穂町(現在の同県赤穂市)に生まれる、とされている。『群馬県百科事典』(上毛新聞社)には、生年は1899年(明治32年)、生地は群馬県前橋市堀川町(現在の同市表町)である旨が記されている。 生後に東京に移り、東京府荏原郡品川町(現在の東京都品川区)の旧制・公立小学校品川学校(のちの品川区立品川小学校、現在の品川区立品川学園)に入学、同校を卒業して、東京市芝区(現在の東京都港区)の旧制・正則中学校(現在の正則高等学校)に入学する。