スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石川 雅実(いしかわ まさみ、1981年3月28日 - )は… 石川 雅実(いしかわ まさみ、1981年3月28日 - )は、群馬県多野郡鬼石町(現:藤岡市)出身の元プロ野球選手(投手)。 藤岡高校時代は全くの無名の存在であった。ストレートは130km台で制球も甘く、高3の夏は県大会ベスト8。 高校卒業後JR東日本に入社。JR東日本硬式野球部の中で徐々に頭角を現し、第72回都市対抗野球大会に出場。140km台にアップしたストレートで打者を翻弄するピッチングがプロのスカウトの注目を浴びた。 2001年のドラフト4巡目で読売ジャイアンツに入団。即戦力として期待され、背番号は前年まで高橋尚成がつけていた「36」が用意された。 2002年は期待通り開幕早々の5月10日にルーキーとして最も早く1軍登録されると、その日の試合で登板、1回を投げ2失点と今ひとつの内容に終わった。
飯島 一彦(いいじま かずひこ、1976年8月15日 - )… 飯島 一彦(いいじま かずひこ、1976年8月15日 - )は、群馬県藤岡市出身の元プロ野球選手(投手)。 現在は、福岡ソフトバンクホークスのドーム運営部興行運営課。 群馬県の藤岡高では2年秋に県大会ベスト4。神奈川大学野球連盟の神奈川工科大学に進学し、4年秋にベストプレーヤー(敢闘)賞。 大学卒業後は、社会人野球の強豪・新日本製鐵君津に入社。1年目から補強選手を含めて3年連続で都市対抗野球大会に出場する活躍を見せ、2001年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークスから6位指名を受け入団。 藤岡高は野球は強くなかったが、その環境から這い上がりプロで活躍する姿は高く評価され、2002年には地元・群馬の日刊紙『上毛新聞』1面コラム「三山春秋」でも採り上げられた。
新井 茂(あらい しげる、1935年9月29日 - )は、群… 新井 茂(あらい しげる、1935年9月29日 - )は、群馬県藤岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。 藤岡高校から高崎鉄道管理局を経て、1955年に大映スターズへ入団。同年は右翼手として7試合に先発出場、その後も準レギュラーとして活躍する。1957年は6月から四番打者として起用され、66試合に先発出場を果たす。 同年オフにチームが大毎オリオンズに合併されたため大毎へ移籍。ここではあまり活躍の場はなく、1959年限りで現役を引退。
青木 勤(あおき つとむ、1921年(大正10年) - 没年… 青木 勤(あおき つとむ、1921年(大正10年) - 没年不詳)は、日本の野球選手(投手)。群馬県出身。 群馬県藤岡中学校(現:群馬県立藤岡高等学校)から1939年に阪急軍に入団。しかし、一軍出場を果たせないまま同年末に退団。後に応召され、戦死(没年月日、死没場所は不明)。 東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。