スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
河原 和寿(かわはら かずひさ、1987年1月29日 - )… 河原 和寿(かわはら かずひさ、1987年1月29日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW・攻撃的MF。 大宮東高校時代からU-16、U-17、U-18、U-19の各世代で日本代表に選出された実績を持ち、ユース年代から将来を嘱望されていた。 高校卒業後、J1・アルビレックス新潟に入団。2006年のJ1リーグ戦第7節ヴァンフォーレ甲府戦でリーグ戦初出場及び初ゴールを記録した。2007年、FIFA U-20ワールドカップに選出され、レギュラーとして活躍。得点は挙げられなかったものの、日本代表のベスト16進出に貢献した。 2009年、新潟からJ2に新規参入したばかりの栃木SCに期限付き移籍。
藤本 雄基(ふじもと ゆうき、1986年5月5日 - )は、… 藤本 雄基(ふじもと ゆうき、1986年5月5日 - )は、埼玉県出身のサッカー指導者、元サッカー選手、現役時代のポジションは、MF。 2016年に現役引退、同年10月から中国・広州富力足球倶楽部ユースアカデミーコーチに就任。2020年からアルビレックス新潟シンガポールのトップチームヘッドコーチに就任。2022年、ホウガン・ユナイテッド FCのトップチームヘッドコーチに就任 2024年、シンガポールのNational Development Centre(NDC)で、13~16歳を対象としたエリートユースの育成機関でユースコーチに就任。 また、2021年のSPLシーズン終了から2023年まで、シンガポール代表の活動に通訳兼コーチとして参加していた。
加藤 順大(かとう のぶひろ、1984年12月11日 - )… 加藤 順大(かとう のぶひろ、1984年12月11日 - )は、埼玉県上尾市出身の元サッカー選手・プロフットゴルファー・サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。 西上尾イレブンから大宮FCまでは前半はGK後半はFWの二刀流プレイヤーとして出場していた。2003年に浦和ユースからトップチームに昇格を果たす。2006年5月21日に埼玉スタジアム2002で行われたナビスコカップのグループリーグ第6節、横浜FM戦で公式戦デビューを果たした。2010年には、ナビスコカップの予選リーグ全6試合で先発フル出場を果たした。 長年に渡り都築龍太と山岸範宏の控えだったが、2011年6月11日にNACK5スタジアムで行われたJ1第14節、大宮とのさいたまダービーでトップ昇格9年目にして初のリーグ戦先発フル出場を果たした。
鈴木 伸貴(すずき のぶたか、1983年9月12日 - )は… 鈴木 伸貴(すずき のぶたか、1983年9月12日 - )は、埼玉県上尾市出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)。 大宮東高校卒業後に単身ドイツへ渡り、2002年7月にドイツ3部の1.FCザールブリュッケンと契約する。同クラブで3シーズンを過ごし、2005年にドイツ3部のSVアイントラハト・トリーアへ移籍。トリーアではコンスタントに試合に出場していたが、2006年12月にJ2の湘南ベルマーレが獲得を発表し、日本へ帰国。 2011年よりガイナーレ鳥取に移籍。しかし、度重なる右肩の怪我が原因による長期離脱 もあって出場機会に恵まれず、2012年シーズン終了後に契約非更新で鳥取を退団。
金澤 慎(かなざわ しん、1983年9月9日 - )は、埼玉… 金澤 慎(かなざわ しん、1983年9月9日 - )は、埼玉県さいたま市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(センターハーフ)。
関根 永悟(せきね えいご、1981年9月11日 - )は、… 関根 永悟(せきね えいご、1981年9月11日 - )は、埼玉県川越市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。 大宮東高校卒業後、ホンダルミノッソ狭山FCに入団。本田技研工業狭山工場で製造の仕事をしながらサッカーを続けていたが、2005年に愛媛FCへ移籍、10シーズンにわたって愛媛でプレーした。引退後はカフェ店の店長を務めていた。 2017年1月、愛媛FCのスクールコーチに就任。
髙地 系治(たかち けいじ、1980年4月23日 - )は、… 髙地 系治(たかち けいじ、1980年4月23日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 高校卒業後、ブラジルの複数チームを転々とし、2001年に東京ヴェルディ1969に入団。しかし、シーズン途中に沖縄かりゆしFC、FC琉球と社会人チームを渡り歩く。 2005年4月、FC琉球からJ2サガン鳥栖に完全移籍。松本育夫監督(当時)に見出され、主力選手として活躍。後任監督の岸野靖之からも、複数ポジションをこなせるユーティリティープレイヤーとして重用され、5年間の鳥栖時代にJ2リーグ戦188試合出場を記録している。 2010年に岸野が監督に就任した横浜FCに移籍。
本間 和生(ほんま かずお、1980年3月17日 - )は、… 本間 和生(ほんま かずお、1980年3月17日 - )は、日本のプロサッカー選手。 ポジションはフォワード・ミッドフィールダー(左サイドハーフ)。神奈川県横浜市出身。 幼少時代を神奈川県横浜市で過ごした後、小学5年生の時に埼玉県へ移住。大宮東高校を卒業後は1年近くクラブに所属せずアルバイト生活を送っていたが、高校時代の先輩が声を掛けてくれたことにより、越谷FCへ加入。 同クラブで1年間プレーした後、リエゾン草津(現・ザスパクサツ群馬)に移籍し、22歳で渡欧。 2002年、セルビア1部リーグ(セルビア・モンテネグロ2部)のFKマチュヴァ・シャバツに移籍。セルビアで2年半プレーした後、2004年にハンガリーのクラブに移籍。
佐藤 悠介(さとう ゆうすけ、1977年11月2日 - )は… 佐藤 悠介(さとう ゆうすけ、1977年11月2日 - )は、埼玉県北本市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。サッカー解説者、株式会社スポーツキングダム代表取締役。 1996年に当時Jリーグに在籍していたドラガン・ストイコビッチに憧れ名古屋グランパスエイトに入団。だが、本人曰く「生意気」な性格が首脳陣との軋轢を生み名古屋を2年で退団。その後も移籍してはトラブルを繰り返し、各クラブを転々としていた。 2001年に4クラブ目となるモンテディオ山形へ移籍。ここで当時監督だった柱谷幸一にその素質を評価され、主力として起用されるようになる。この頃になると「生意気」な性格も徐々に影を潜めるようになった。
榎本 潤(えのもと じゅん、1977年5月13日 - )は、… 榎本 潤(えのもと じゅん、1977年5月13日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。現役時のポジションはフォワード(FW)。 高校時代は大宮東高校でプレー。2年生時に全国高校選手権に出場。1996年、獨協大学に進学し体育会サッカー部に所属。 1999年6月、大学在学のままJリーグ・FC東京へ加入。同年8月15日のJ2・第21節モンテディオ山形戦でループシュートによるVゴールでの決勝点を挙げた。2000年、J1・1stステージ第10節清水エスパルス戦で攻守ともに活躍できなかったことから評価を落とし、同年の公式戦出場はこの1試合に留まった。翌2001年は腰痛によるリハビリが続き、この年限りで契約非更新となり退団した。
大森 征之(おおもり まさゆき、1976年11月9日 - )… 大森 征之(おおもり まさゆき、1976年11月9日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手、実業家。現役時代のポジションはMF(特にサイドやボランチ)およびDF(サイドバック、やストッパーなど)。 1995年、埼玉県立大宮東高等学校からサンフレッチェ広島に入団。出場機会がないまま1996年に当時JFL所属の鳥栖フューチャーズに移籍、翌1997年にサガン鳥栖へと移る。 1998年、名古屋グランパスエイトに移籍。2000年からレギュラーとして定着し、登録はミッドフィールダーながらも多くはセンターバックやサイドバックとして出場。ディフェンダーとしては恵まれた体格ではなかったが、優れた戦術眼と粘り強い守備を武器に活躍した。
玉田 真人(たまだ まさと、1976年8月25日 - )は、… 玉田 真人(たまだ まさと、1976年8月25日 - )は、埼玉県川口市出身のサッカー選手、指導者。ポジションはゴールキーパー。
増田 功作(ますだ こうさく、1976年4月30日 - )は… 増田 功作(ますだ こうさく、1976年4月30日 - )は、埼玉県春日部市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーが主。 高校卒業後、Jクラブに内定していたが取消となり、ボリビアやブラジルでプレー。帰国後の1998年にヴェルディ川崎へ加入。翌1999年横浜FCに移籍し、6年間プレーした。その後はFC町田ゼルビアを最後に現役を引退。 引退後は指導者の道へ進み、2005年にMASUサッカースクールを創設し、スクールマスターとしてジュニア世代を指導。2010年1月、横浜FCのトップチームのコーチに就任。 2018年、日本サッカー協会公認S級コーチライセンスを取得。
桜井 直人(さくらい なおと、1975年9月2日 - )は、… 桜井 直人(さくらい なおと、1975年9月2日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 浦和レッズ時代はサテライト暮らしの不遇な日々を送っていたが、1999年途中にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へレンタル移籍後に本領を発揮してレギュラーの座を獲得。翌2000年からはV川崎へ完全移籍となった。2005年に地元の大宮アルディージャに移籍。同年にはレッズでチームメイトだった永井雄一郎共に、ジーコ・ジャパンのトレーニングキャンプに選出されるも、メンバーとしては残れなかったため、公式試合には出場していない。2007年以降出場機会が激減。
松田 悦典(まつだ よしのり、1974年8月14日 - )は… 松田 悦典(まつだ よしのり、1974年8月14日 - )は、埼玉県三郷市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。浦和レッズへ加入後、サガン鳥栖へ移籍。サガン鳥栖では「松田考功」の登録名だった。引退後わらびFit整骨院を開業し、パーソナルジムなど複数のビジネスを展開。FC琉球ビーチサッカーチームで2021年選手復帰。南葛SCコーチ、Jr.街クラブコーチをし、現在はプロ選手からジュニア選手まで幅広く個別パーソナルを担当している。 中学時代、読売クラブ(現東京ヴェルディ)に所属しユース大会、高円宮杯を連覇。大宮東高校1年からレギュラーとして活躍し埼玉県選手権決勝ではロングシュートを決める。
佐藤 敦(さとう つとむ、1968年11月5日 - )は、日… 佐藤 敦(さとう つとむ、1968年11月5日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 埼玉県立大宮東高等学校では2年時と3年時に高校選手権に出場。1学年上に田北雄気がいる。 法政大学を経て1991年2月、日本サッカーリーグ1部の三菱自動車工業サッカー部に加入。同年4月14日に行われたJSL1部第19節、ヤンマーディーゼル戦でデビューをした。翌シーズンはリーグ戦出場の機会はなく、JSL1部の通算成績はこの1試合のみとなった。 1992年、浦和レッドダイヤモンズへ移行後もチームに在籍したがトップチームでの出場機会はなく、サテライトリーグで7試合に出場した。1993年1月、ジャパンフットボールリーグの西濃運輸へ移籍。
田北 雄気(たきた ゆうき、1967年5月16日 - )は、… 田北 雄気(たきた ゆうき、1967年5月16日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。埼玉県浦和市(現 さいたま市浦和区)出身。ポジションはゴールキーパーを務め、Jリーグの浦和レッドダイヤモンズで活躍した。 1995年までは当時浦和の正GKだった土田尚史やミロの控えに甘んじていたが、1996年シーズンは土田の故障により全試合に出場、リーグ戦30試合にフルタイム出場して、1枚も警告を受けず、またチームのリーグ最小失点に貢献した。1997年以降は土田と正GKのポジションを争い続けた。 1996年11月9日の横浜フリューゲルス戦では味方が得たペナルティーキックでキッカーを務めゴールを記録、これはJリーグ史上初のGKによる得点である。