スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
冨田 康平(とみた こうへい、1996年6月9日 - )は、… 冨田 康平(とみた こうへい、1996年6月9日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・AC長野パルセイロ所属。ポジションはディフェンダー。 さいたま市立浦和高校を経て、2015年に早稲田大学に入学しア式蹴球部に入部。早稲田大学では左サイドバックとしてプレーしている。2018年6月29日、2019年からの京都サンガF.C.への加入内定が発表された。同年8月7日、特別指定選手として京都に選手登録され、8月11日のFC岐阜戦でJリーグ公式戦初出場を果たした。 2021年12月23日、FC今治へ完全移籍により加入した。 2023年、FC今治を退団。 2024年、AC長野パルセイロに移籍。
戸嶋 祥郎(としま さちろう、1995年9月26日 - )は… 戸嶋 祥郎(としま さちろう、1995年9月26日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・柏レイソル所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2014年にさいたま市立浦和高等学校(3年時、全国高等学校サッカー選手権大会16強)から筑波大学へ一般入試で進学し、蹴球部へ入部。在学中、2度天皇杯へ出場した。特に4年時の第97回大会ではJリーグのチームを3度破り(YS横浜・仙台・福岡)、4回戦まで進出した。また、4年時には、関東大学サッカーリーグ戦で優勝し、自身はMVP及びベストイレブンに選出された。2017年夏季ユニバーシアードの代表にも選出され、チームの優勝に貢献した。
大山 啓輔(おおやま けいすけ、1995年5月7日 - )は… 大山 啓輔(おおやま けいすけ、1995年5月7日 - )は、埼玉県さいたま市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 元サッカー選手の大山俊輔は実兄。 大宮アルディージャジュニアの1期生。ジュニアユースを経て、2011年にユースへ昇格。同年、埼玉県選抜としておいでませ!山口国体に出場した。2012年8月からは、トップチームに2種登録選手として選手登録。2013年も引き続きトップチームに帯同。 2014年より、トップチームへ正式に昇格。クラブを代表するプレーヤーだったMF斉藤雅人が着用し、引退後は4年間欠番となっていた背番号15を背負う。同年2月、J3に参戦するJリーグ・アンダー22選抜に選手登録された。
吉田 直矢(よしだ なおや、1994年12月20日 - )は… 吉田 直矢(よしだ なおや、1994年12月20日 - )は、埼玉県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 川崎フロンターレU-18を経て、筑波大学へ進学。4年次に全日本大学サッカー選手権(インカレ)でゲームキャプテンを務め、優勝に貢献した。 2017年より、tonan前橋へ加入。同年8月、ザスパクサツ群馬へアマチュア契約で移籍加入した。2018シーズンよりプロ契約に変更。シーズン終了後、契約満了により退団。 2019年、いわてグルージャ盛岡に加入。 2020年、いわてグルージャ盛岡との契約満了。 2021年、ヴェルスパ大分に移籍。 2022年末でヴェルスパ大分を退団。 2023年、神奈川県社会人サッカーリーグ1部の品川CC横浜に移籍した が、8月4日に東京武蔵野ユナイテッドFCに移籍することが発表された。
大山 俊輔(おおやま しゅんすけ、1986年4月6日 - )… 大山 俊輔(おおやま しゅんすけ、1986年4月6日 - )は、埼玉県大宮市(現さいたま市見沼区)出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)人間環境科学科卒業。 実弟はツエーゲン金沢の大山啓輔。 浦和レッドダイヤモンズ下部組織育ちの生え抜きとして2004年から浦和のトップチームに昇格。しかし厚い選手層のため出場機会に恵まれず、2007年にJ2愛媛FCへ期限付き移籍しレギュラーに定着、経験を積んだ。 2008年は湘南ベルマーレに期限付き移籍。しかし、16試合出場に留まった。 2009年、愛媛FCに完全移籍で再加入。 2013年、カターレ富山に完全移籍。
床井 伸太朗(とこい しんたろう、1982年10月28日 -… 床井 伸太朗(とこい しんたろう、1982年10月28日 - )は、埼玉県さいたま市出身の元サッカー選手。 ポジションは、FW、MF、DF。
町田 多聞(まちだ たもん、1982年2月14日 - )は、… 町田 多聞(まちだ たもん、1982年2月14日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
柿沼 亨(かきぬま とおる、1981年5月13日 - )は、… 柿沼 亨(かきぬま とおる、1981年5月13日 - )は、埼玉県出身の元サッカー審判員、元サッカー選手。 市立浦和高等学校から筑波大学に進学し、蹴球部に入部。大学院修士課程進学後はジョイフル本田つくばFCでプレーを続け、大学院修士課程修了の2006年をもって現役を引退。 選手活動と並行してジュニア年代のサッカークラブのコーチも務めており、卒業後に日本サッカー協会 (JFA) テクニカルハウスと契約。2011年に1級審判員の資格を取得し、2013年には3級審判インストラクターの資格も取得した。2012年から日本フットボールリーグ (JFL) の主審を務め、2014年からは日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の主審も担当。
堀之内 聖(ほりのうち さとし、1979年10月26日 - … 堀之内 聖(ほりのうち さとし、1979年10月26日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市緑区)出身の元プロサッカー選手、フットゴルフ選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー(ボランチ)。 妻は元シェキドルの荒井沙紀。 旧浦和市に生まれた生粋の「浦和っ子」で、浦和三室サッカー少年団時代から才能を評価されて市内少年団選抜チームのFC浦和のメンバーとしてもプレー、浦和市立三室中学校を経て浦和市立高等学校へ進学し、2年時には第75回全国高等学校サッカー選手権大会に出場してボランチとして中盤を統率し準々決勝にて中村俊輔擁する桐光学園高等学校に惜敗、主将を務めた3年時は埼玉県大会決勝で埼玉県立浦和東高等学校に逆転負けしたが同大会にて2年連続で優秀選手に選出された。
井上 敦史(いのうえ あつし、1977年5月28日 - )は… 井上 敦史(いのうえ あつし、1977年5月28日 - )は、埼玉県新座市出身の元サッカー選手。現役時のポジションはゴールキーパー。 浦和市立高校時代から活躍して国体埼玉県選抜に選ばれる。筑波大学では4年次に関東大学リーグ優勝、インカレ準優勝などに貢献した。2000年にコンサドーレ札幌入団。しかし、佐藤洋平が正GKにいたため出場機会は無く、若手の藤ヶ谷陽介の台頭もあって2003年に戦力外となる。 その後トライアウトを経て2004年にJFLの横河武蔵野FC に加入した。移籍後は正GKとして活躍し2005年には副主将、2006年には主将を務めた。 2007年にJリーグ参入を目指すガイナーレ鳥取に移籍。
田中 孝司(たなか こうじ、1955年11月2日 - )は、… 田中 孝司(たなか こうじ、1955年11月2日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身 の元サッカー選手。元日本代表。サッカー指導者。サッカー解説者。ポジションはMF、DF。 明治大学を経て、1978年に日本サッカーリーグの日本鋼管サッカー部(のちのNKK)に入部。JSL1部で通算143試合出場を記録した。1982年1月16日のボカ・ジュニアーズ戦で日本代表として初出場した。なお、国際Aマッチで通算20試合3得点を記録して日本代表の主将も務めた。なお、1982年1月に行われた日本代表vsボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)との3試合で、ディエゴ・マラドーナとマッチアップした。 1988年に引退後は1989年から1992年までNKKのコーチを務めた後、1993年にはU-18日本代表の監督を務め、1995年から名古屋グランパスエイトのコーチに就任した。
清水 秀彦(しみず ひでひこ、1954年11月4日 - )は… 清水 秀彦(しみず ひでひこ、1954年11月4日 - )は、東京都出身の元サッカー選手(FW、MF)・サッカー指導者、サッカー解説者。 浦和市立高3年次の1972年に高校サッカー選手権優勝を経験し、法政大学経営学部卒業後の1977年に日産自動車サッカー部に入部。1983年にはセンターFWのポジションを柱谷幸一に譲り、豊富な運動量、中盤のディフェンシブなMFとしてプレー。冷静な判断力と高い戦術眼を生かし、攻守のバランスを整える存在となり、好守に活躍してチームの躍進に貢献。1985年からはコーチ兼任となり、1988年限りで現役を引退。 引退後は日産→横浜マリノスでヘッドコーチ(1989年 - 1990年)、監督(1991年 - 1994年)を務めた。
日高 憲敬(ひだか のりたか、1947年5月29日 - )は… 日高 憲敬(ひだか のりたか、1947年5月29日 - )は東京都出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 浦和市立高等学校在籍時に高校選手権(1965年度)優勝に貢献。大学は立教大学に進学し、川上信夫と共に1969年度の天皇杯準優勝に貢献(1970年1月1日、1-4東洋工業)した。なお、これは現在に至るまで大学勢最後の決勝進出となっている。卒業後に日本サッカーリーグ1部の新日本製鐵サッカー部に入部し中心選手として活躍した。JSL1部通算成績は114試合50得点15アシスト。 日本代表としても、1970年6月4日のサウサンプトンFC戦で代表デビューを飾り、ワールドカップ西ドイツ大会予選など、国際Aマッチ4試合に出場した。
鈴木 保(すずき たもつ、1947年4月29日 - )は、埼… 鈴木 保(すずき たもつ、1947年4月29日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元サッカー日本女子代表監督(1989年-1996年、1999年)。 浦和市立高校(現:さいたま市立浦和高校)では全国高校サッカー選手権に優勝、立教大学では1969年度に第18回全国大学サッカー選手権、第49回天皇杯に準優勝し、主将も務めた。U-19日本代表の一員として1966年にフィリピンで開催されたAFCユース選手権1966に出場した。 サッカー部設立を目指す日産自動車の関係者から相談を受けた岡野俊一郎がユース代表監督時代の教え子である鈴木を推薦したことにより1970年度に日産自動車に入社。
近江 友介(おうみ ゆうすけ、1946年12月26日 - )… 近江 友介(おうみ ゆうすけ、1946年12月26日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションはFW(左ウイング)。 都内の小学校入学後すぐに群馬県前橋市に転居。小学4年生のときに埼玉県浦和市(現さいたま市)に転居した。浦和市立高等学校3年次に主将として日高憲敬や鈴木保らと共に1965年度の高校選手権優勝に貢献。法政大学を経て1970年に日立製作所に入部。同年に日本代表に選出され、1970年のアジア競技大会など、国際Aマッチ5試合に出場した。
落合 弘(おちあい ひろし、旧姓:山田、1946年2月28日… 落合 弘(おちあい ひろし、旧姓:山田、1946年2月28日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)領家出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現「浦和レッドダイヤモンズ ハートフルクラブ」キャプテン。元々はFWや攻撃的MFを務めていた が年齢と共にポジションを下げ、守備的MFやセンターバック、サイドバックをこなすなど守備のユーティリティプレーヤーとして活躍した。 生誕6日後に父が亡くなり、母子家庭で育った。貧しかったことから技術を身に着けるために埼玉県立川口工業高校への進学を目指すも、中学時代の教師の勧めもあり浦和市立高校に入学した。浦和市立高校では1962年と63年の国民体育大会で2連覇。全国高等学校サッカー選手権大会では1年次から3大会連続出場を果たし2年次に準優勝、3年次には3位入賞。