スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
木下 桃香(きのした ももか、2003年3月2日 - )は、… 木下 桃香(きのした ももか、2003年3月2日 - )は、北海道出身の女子サッカー選手。アメリカ・USL Wリーグ(英語版)のFCオリンピア(英語版)所属。ポジションはミッドフィールダー。 サッカーはさいたま市立上落合小学校在学時に始め、与野上落合サッカー少年団、大宮日進サッカー少年団レディースでプレー。 中学校進学と共に日テレ・ベレーザの下部組織であるメニーナのセレクションを受けて合格。また2016年3月に日本サッカー協会が実施した『JFAエリートプログラム 女子U-14トレーニングキャンプ』に召集されている。 2019年2月、トレーニングマッチで負傷し、右膝前十字靭帯損傷(全治8ヶ月)と診断された。
髙窪 健人(たかくぼ けんと、1998年7月17日 - )は… 髙窪 健人(たかくぼ けんと、1998年7月17日 - )は、埼玉県出身のサッカー選手。神奈川県社会人サッカーリーグ・品川CC横浜所属。ポジションはFW。 浦和南高校卒業後は中央大学に進学(同期に大久保智明、松本大輔、今掛航貴、深澤大輝)。 2021年1月7日、2021年シーズンからのAC長野パルセイロ加入内定が発表された。3月14日、J3第1節のカマタマーレ讃岐戦でJリーグデビューを果たした。 2022年5月26日、四国サッカーリーグのFC徳島に育成型期限付き移籍。 2023年、AC長野パルセイロへ復帰したが、同シーズンをもって契約満了。 2024年、品川CC横浜へ移籍。
永田 拓也(ながた たくや、1990年9月8日 - )は、埼… 永田 拓也(ながた たくや、1990年9月8日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。さいたま市立浦和南高等学校卒業。 小学4年生までは野球チームに所属(ポジションは投手)。[要出典]その後、三室サッカースポーツ少年団を経て、中高生年代では、ジュニアユース、ユースと浦和レッドダイヤモンズの下部組織に所属。 ジュニアユース時の2005年には高円宮杯U-15、ユース時の2008年には高円宮杯U-18でそれぞれ優勝を飾っており、山田直輝や高橋峻希、原口元気、濱田水輝らと共に、「浦和ユース黄金世代」と呼ばれる選手の1人。
大橋 良隆(おおはし よしたか、1983年7月1日 - )は… 大橋 良隆(おおはし よしたか、1983年7月1日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。 仙台大学時代の2005年、キャプテンとしてチームを引っ張り、仙台大の天皇杯初出場に貢献した。天皇杯3回戦でベガルタ仙台と対戦、延長戦を含む120分間フル出場し、仙台を苦しめたが惜しくもPK戦で敗れている。仙台大学時代の同期にユニバシアード代表だった池上礼一がいる。 卒業後の2006年、ベガルタ仙台に入団。しかし出場機会に恵まれず、2007年7月20日に東北社会人サッカーリーグ1部・NECトーキンサッカー部へ期限付き移籍することになった。 同年11月末、保有権を有する仙台から戦力外通告を受けたものの、完全移籍に移行する形でNECトーキンに残留。
林 容史(はやし まさふみ、1979年10月27日 - )は… 林 容史(はやし まさふみ、1979年10月27日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手。
戸苅 淳(とがり じゅん、1968年5月24日 - )は、日… 戸苅 淳(とがり じゅん、1968年5月24日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 浦和南高校、筑波大学を経て、1992年4月に日本プロサッカーリーグの浦和レッドダイヤモンズに加入。トップチームでの出場機会はなく、サテライトリーグで5試合に出場した後、1993年1月に現役を引退した。 引退後は浦和のフロントに入り営業部に配属。以来、27年間に渡りフロント業務に従事した。また、アマチュアチームの選手としてもプレーした。 2019年12月12日、2020年から同クラブに新設されるフットボール本部の本部長に就任することが発表された。
田口 禎則(たぐち よしのり、1965年9月14日 - )は… 田口 禎則(たぐち よしのり、1965年9月14日 - )は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、政治家。埼玉県浦和市(後のさいたま市浦和区)出身。息子の田口翔太郎もサッカー選手であり、関東サッカーリーグのさいたまサッカークラブに所属している。 浦和市立岸中学校から浦和市立南高等学校(後のさいたま市立浦和南高等学校)へ進学。高校時代は大型フォワードとして注目され、2年時の全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト8進出に貢献し 大会優秀選手に選出された。卒業後の1985年に筑波大学体育専門学群へ進学し蹴球部に入部。大学の同期には伊達倫央、鋤柄昌宏、山本富士雄らがいる。大学時代にセンターバックへコンバートされレギュラーを獲得すると、3年時から4年時にかけて関東大学サッカーリーグ戦連覇、4年時に関東選手権優勝、総理大臣杯優勝に貢献。
大熊 清(おおくま きよし、1964年6月21日 - )は、… 大熊 清(おおくま きよし、1964年6月21日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。サッカー指導者の大熊裕司は実弟。サッカー選手の大熊健太は実子である。 1980年に浦和市立南高校(現・さいたま市立浦和南高等学校)に入学。在学中、埼玉県選抜として2度の国体に出場し、1981年大会では準優勝。3年次の1983年1月に開催された全国高等学校サッカー選手権大会においてベスト8に進出した。1983年に入学した中央大学ではサッカー部に所属した。 1987年、日本リーグ1部のクラブからもオファーを受けていたが、鈴木徳彦からの勧誘で東京ガスに入社し、関東リーグに所属する同社の企業サッカー部に入部。
山崎 茂雄(やまざき しげお、1963年7月16日 - )は… 山崎 茂雄(やまざき しげお、1963年7月16日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 2006年、ユース年代での指導が評価され、20年余り勤めた公立学校教員の職を辞しプロの指導者に転身した。 国体選抜・県トレセン ナショナルトレセン・
田中 真二(たなか しんじ、1960年9月25日 - )は、… 田中 真二(たなか しんじ、1960年9月25日 - )は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代には左右のサイドバック、センターバック、守備的MFをこなす、守備のユーティリティープレイヤーとして活躍した。 1976年に浦和市立南高等学校(現さいたま市立浦和南高等学校)に進学。同級生の水沼貴史と共に1年次からレギュラーとなり、同年の全国高等学校サッカー選手権大会優勝に貢献、2年次にはベスト4に進出した。3年次には水沼と共に日本ユース代表に選出。1979年に中央大学へ進学すると同年夏に日本で開催されたFIFAワールドユース選手権に出場した。大学2年次の1980年には全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献した。
水沼 貴史(みずぬま たかし、1960年5月28日 - )は… 水沼 貴史(みずぬま たかし、1960年5月28日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)、サッカー解説者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 Jリーグ発足前に、人気が低迷していた日本サッカー界を支えた人物の一人。 長男の水沼宏太もプロサッカー選手(Aリーグ・ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツ所属)。 本太少年団でプレーし、浦和市立本太中学校(現:さいたま市立本太中学校)では3年生の時に全国制覇。その後進学した浦和市立南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)では、名将・松本暁司監督の指導の下で1年次からレギュラーに定着。
菅又 哲男(すがまた てつお、1957年11月29日 - )… 菅又 哲男(すがまた てつお、1957年11月29日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手。日立製作所などに所属し、日本代表としても23試合に出場した。 柏レイソルでは2002年に総務部長、2003年から2005年まではチーム統括部長を務めた。 栃木県で生まれ、小学校六年時に当時サッカー王国であった埼玉県の与野市に引っ越したことがきっかけでサッカーを始める。与野市立与野東中学校からは全国屈指の強豪であった浦和市立浦和南高等学校に進み高校選手権に優勝。 その後法政大学に進学し一年時に大学選手権を制し、三年時には日本代表に選出される。卒業後は日立製作所に所属した。 ・JSL東西対抗戦 3回出場:1980年、1982年、1984年
田嶋 幸三(たしま こうぞう、1957年11月21日 - )… 田嶋 幸三(たしま こうぞう、1957年11月21日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、元サッカー日本代表。サッカー指導者。第14代日本サッカー協会会長(JFA初の会長選挙で当選)及びアジアサッカー連盟(AFC)理事。JFAアカデミー福島初代スクールマスター。 若年層の育成システム構築に深く関わり、著書も多い。 内科医で、FIFA医学委員会委員・JFA医学委員会委員・オリンピック日本選手団スポーツドクターを務めた土肥美智子は妻。プロサッカー選手の田嶋凜太郎は息子。熊本県天草郡苓北町長を務めた田嶋章二は実兄で、甥(夫人の姉の息子)にプロサッカー選手の日髙慶太がいる。 現役時代のポジションはフォワードであった。
関口 久雄(せきぐち ひさお、1954年10月29日 - )… 関口 久雄(せきぐち ひさお、1954年10月29日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手。 浦和市立南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)卒業後、三菱重工サッカー部(現:浦和レッドダイヤモンズ)に所属。日本代表としても、国際Aマッチ3試合に出場し1得点した。 現役引退後は浦和レッドダイヤモンズの育成部・強化部に属し、スカウトとして山田暢久や永井雄一郎等の獲得に尽力した。またその一方で、日本テレビ系列番組とんねるずの生でダラダラいかせて!!に木梨憲武・田口光久・川添孝一等と「FC・のりの」の一員として出演していた。
永井 良和(ながい よしかず、1952年4月16日 - )は… 永井 良和(ながい よしかず、1952年4月16日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)出身。息子の永井俊太も元サッカー選手。 浦和南高校時代から快速フォワードとしてその名を知られ、当時の漫画・アニメーション『赤き血のイレブン』の主人公・玉井真吾のモデルとなった。 卒業後に日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部へ入部。選手として1977年度のJSL、天皇杯の二冠や、1985-86年度JSL優勝などに貢献した。また1976年に日本年間最優秀選手賞を受賞した。 1987-88シーズンを最後に現役を退いてから、古河サッカー部コーチと日本ユース(U-18)のコーチ、監督を併任。
斉藤 和夫(さいとう かずお、1951年7月27日 - )は… 斉藤 和夫(さいとう かずお、1951年7月27日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のサッカー選手、コーチ・監督。現役時代のポジションはディフェンダー。 法政大学から日本サッカーリーグ(JSL)の三菱重工(現-浦和レッドダイヤモンズ)に入団、JSLでは通算248試合出場3得点を記録、ベストイレブンにも3度輝いた。日本代表では国際Aマッチ32試合出場の記録を残した。 1989年、三菱がJSL2部に降格すると監督に就任、圧倒的な強さを見せて優勝、1年で1部復帰を果たした。1992年に監督を退任すると三菱から名前の変わった浦和レッドダイヤモンズのコーチ、ジェフ市原のコーチを歴任した。 1997年にはJFL所属の川崎フロンターレの監督に就任した 川崎ではJリーグ昇格を期待されたが、後半戦の山場である第20節から3連敗し、昇格圏外の3位へ後退すると更迭された。
福家 三男(ふくや みつお、1950年7月7日 - )は、埼… 福家 三男(ふくや みつお、1950年7月7日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ゼネラルマネージャー。 1966年に浦和南高校に入学。1969年度にインターハイ、国体、高校選手権の三冠を達成したチームでキャプテンを務める。福家は高校2年生の春に背中を痛めて7ヵ月間入院のため留年し、三冠達成時は入学から4年目だった。この浦和南高校は漫画・アニメ『赤き血のイレブン』のモデルとなり、作中に登場するGKの大平洋平は福家を基にしている。1970年4月のアジアユース選手権では、ユース日本代表のGKとして6試合に先発出場。 高校卒業後は明治大学に進学。在学中の1972年に若手主体の日本代表Bに招集された。