スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
我妻 悠香(あがつま はるか、1994年12月18日 - )… 我妻 悠香(あがつま はるか、1994年12月18日 - )は、埼玉県川口市出身の女子ソフトボール選手(捕手)。ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 友達に誘われたのがきっかけで11歳からソフトボールを始めた。2010年、星野高等学校1年生でインターハイ優勝を経験。高校卒業後、2013年に日本リーグの強豪ルネサスエレクトロニクス高崎に入団。同年、世界ジュニア選手権メンバーに選ばれ金メダルを獲得した。 ルネサスエレクトロニクス高崎では北京オリンピック金メダリストの峰幸代が正捕手を務めていたが、峰が現役を退いた2015年以降は出場機会が増えた。2015年には打率.414を記録してベストナイン(捕手)を受賞した。
坂本 直子(さかもと なおこ、1985年5月11日 - )は… 坂本 直子(さかもと なおこ、1985年5月11日 - )は、大阪府出身の女子ソフトボール選手(投手)。2004年アテネオリンピック銅メダリスト。彩の国功労賞を受賞。
藤野 遥香(ふじの はるか、1984年4月25日 - )は、… 藤野 遥香(ふじの はるか、1984年4月25日 - )は、岩手県東磐井郡千厩町出身の女子ソフトボール選手(外野手)。 1984年4月25日、岩手県東磐井郡千厩町清田(現:一関市千厩町清田)に生まれる。幼少期から2歳上の姉とキャッチボールを交わしたり、ソフトボールのフォームを真似していて、姉より上達しようと思ったのを機に小学3年生の冬から清田ソフトボールスポーツ少年団(千厩町立清田小学校)に入団し、本格的な活動を始めた。同少年団は、藤野が6年生の夏に全日本小学生ソフトボール大会において3位に入賞している。 1997年に旧千厩町立千厩中学校へ進学し、ソフトボール部に在籍した。藤原麻起子をはじめとした先輩を超すべく、自宅でも入念に練習やトレーニングを重ねた。
藤原 麻起子(ふじわら まきこ、1983年11月6日 - )… 藤原 麻起子(ふじわら まきこ、1983年11月6日 - )は、岩手県東磐井郡千厩町出身の女子ソフトボール選手(投手)。引退後は吉田麻起子に姓を改めた。 1983年11月6日、岩手県東磐井郡千厩町千厩(現:一関市千厩町千厩)に生まれる。千厩町立千厩小学校に入学後、幼少期より姉のソフトボールの試合を観戦していたことを機に4年生からソフトボールクラブに入団した。練習では姉のプレーを意識していたという。 千厩町立千厩中学校に進学後はソフトボール部に所属し、1998年の全国中学校ソフトボール大会では優勝を果たした。 中学卒業後、埼玉県川越市の星野女子高等学校(現:星野高等学校女子部)に進学した。 高校卒業後、当時日本リーグ1部に所属していた東邦銀行女子ソフトボール部に入団。
佐藤 理恵(さとう りえ、1980年8月14日 - )は、東… 佐藤 理恵(さとう りえ、1980年8月14日 - )は、東京都出身の女子ソフトボール選手(内野手)・指導者。現役時代はレオパレス21に所属。東京女子体育大学准教授・ソフトボール部監督。身長171cm。 両親は福島県二本松市出身。本人は東京都で育ったが、出生は福島県立医科大学附属病院。実姉は美容師。 星野女子高等学校、東京女子体育大学卒業。 2003年、レオパレス21女子ソフトボール部に入団。主将を務め、走攻守三拍子そろった遊撃手として活躍。 2004年には、日本リーグで打点王(15打点)。同年、アテネオリンピックに出場し、銅メダルを獲得。彩の国スポーツ功労賞を受賞。 2006年・2007年には2シーズン連続で日本リーグベストナインに選ばれた。
岩渕 有美(いわぶち ゆみ、1979年9月10日 - )は、… 岩渕 有美(いわぶち ゆみ、1979年9月10日 - )は、埼玉県出身の女子ソフトボール選手(外野手)・指導者。 星野女子高等学校卒業。1998年、日立高崎(当時)に入団。2004年、アテネオリンピックに出場し、銅メダルを獲得。同年、彩の国スポーツ功労賞を受賞。 2013年に現役引退して指導者に転じた。2014年、ルネサスエレクトロニクス高崎(当時)のコーチに就任。2015年・2016年はビックカメラ高崎のヘッドコーチを務めた。 2017年、ビックカメラ高崎ビークイーンの監督に就任。 2026年、宇津木麗華の監督就任に伴い、チームディレクター兼コーチとなる。
小関 しおり(こせき しおり、1972年6月30日 - )は… 小関 しおり(こせき しおり、1972年6月30日 - )は、埼玉県出身の女子ソフトボール選手(外野手)。シドニーオリンピック銀メダリスト。 星野女子高等学校卒業後、日立高崎に入団。 日本リーグでは1996年、1999年の2度に亘ってベストナインに選出された。 シドニーオリンピックでは6番レフトで起用される機会が多かった。アメリカとの決勝戦では延長8回ウラ、小関の後方を襲う飛球に追いついて見せた。しかし、仰向けに転倒したはずみでグラブから球が零れ落ち、サヨナラ負けに繋がってしまった。 試合後、チームメイト達がサヨナラエラーを喫した小関を慰める中、監督の宇津木妙子は「いつまで泣いてるんだ!お前のエラーで負けたんだ!」と小関を叱責したが、チームメイト達は「あのエラーはみんなのエラーです!」と怒る宇津木に言い返していた。
宇津木 妙子(うつぎ たえこ、1953年4月6日 - )は、… 宇津木 妙子(うつぎ たえこ、1953年4月6日 - )は、埼玉県比企郡中山村(現在の川島町)出身の女子ソフトボール選手(内野手)・指導者。身長158cm。 2004年のアテネ五輪のソフトボール日本代表。アテネではとにかく足を使った攻撃を多用、外野の守備を強化。予選4位で通過したが3位決定戦でオーストラリアに敗れ銅メダルを獲得。福山雅治がアテネまで慰問に訪れた。