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井上 庚二郎(いのうえ こうじろう、1890年(明治23年)… 井上 庚二郎(いのうえ こうじろう、1890年(明治23年)8月30日 - 1969年(昭和44年)11月13日)は、日本の外交官。駐ハンガリー公使。海軍司政長官。 井上喜代松の二男。神奈川県出身。1917年(大正6年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。外交官補、領事官補、イギリス大使館三等書記官、外務事務官・亜細亜局第三課勤務、廈門領事・台湾総督府事務官、ポーランド領事、シドニー総領事、外務書記官・商工書記官・通商局第一課長、ドイツ大使館参事官、外務省欧亜局長を歴任した。1939年(昭和14年)、駐ハンガリー公使に就任した。その後、外務省職員訓練所長を経て、1942年(昭和17年)から1944年10月まで海軍司政長官・ボルネオ民政部長官を務めた。
白鳥 敏夫(しらとり としお、1887年(明治20年)6月8… 白鳥 敏夫(しらとり としお、1887年(明治20年)6月8日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、大正、昭和期の日本の外交官・政治家。戦前期における外務省革新派のリーダー的存在で、日独伊三国同盟の成立に大きな影響を与えた。 東洋史学者の白鳥庫吉は叔父。外務大臣を務めた外交畑の長老石井菊次郎も叔父にあたる。また外務官僚の出淵勝次は義兄(妻の姉の夫)にあたる。息子に白鳥正人元北陸財務局長。 千葉県の長生郡茂原町(現在の茂原市)に生まれた。東京・日本中学、第一高等学校を経て、1912年(明治45年)7月、東京帝国大学法科大学経済学科卒。 1913年(大正2年)10月に高等文官試験・外交官及び領事官試験に合格。
小村 欣一(こむら きんいち、1883年〈明治16年〉5月1… 小村 欣一(こむら きんいち、1883年〈明治16年〉5月13日 - 1930年〈昭和5年〉12月29日)は、大正・昭和初期の外交官、貴族院議員、華族(侯爵)。 明治期の外交官、小村寿太郎の長男として生まれた。母は幕臣朝比奈孝一の娘、マチ(町子)である。欣一の生まれる少し前、祖父(寿太郎の父)の寛が宮崎県で経営していた飫肥商社が倒産し、小村一家は莫大な借金をかかえた。そのため、父寿太郎が外務省翻訳局長の職にありながらも、小村家の生活は逼迫しており、幼い欣一は栄養不足のため夜盲症に罹ったといわれる。 欣一は日本中学、一高を経て、1907年(明治40年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。
佐分利 貞男(さぶり さだお、1879年〈明治12年〉1月2… 佐分利 貞男(さぶり さだお、1879年〈明治12年〉1月20日 - 1929年〈昭和4年〉11月29日)は、大正・昭和初期の外交官。広島県出身。妻は小村寿太郎の娘・文子。 佐分利家は備後福山藩士で佐分利流槍術を営む家柄であった。貞男は、1879年(明治12年)1月20日、父・好直、母・八代の五男として出生した。1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業、10月、外交官及領事官試験に合格した。外交官補として清国、ロシア、フランス在勤などを経て、外務省参事官、大使館参事官、通商局長、条約局長等を歴任。 1929年(昭和4年)8月、浜口雄幸内閣の外相幣原喜重郎に乞われて、駐ソ大使への出世を犠牲に駐支那公使に就任。
永井 松三(ながい まつぞう、1877年(明治10年)3月5… 永井 松三(ながい まつぞう、1877年(明治10年)3月5日 - 1957年(昭和32年)4月19日)は、日本の外交官。外務次官、駐ドイツ大使。IOC委員、貴族院勅選議員。 現在の愛知県名古屋市に永井松右衛門の長男として生まれる。 1895年(明治28年)に高等師範学校尋常中学科(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業後、私立東京英語学校を経て、第一高等学校、東京帝国大学を卒業。 1902年(明治35年)に外務省入省。天津、ニューヨーク、ワシントンDCに在勤する。1912年(明治45年)2月に駐サンフランシスコ総領事、その後、駐ベルギー大使、1930年12月から1932年5月まで外務次官、駐ドイツ大使などを歴任する。
埴原 正直(はにはら まさなお、1876年〈明治9年〉8月2… 埴原 正直(はにはら まさなお、1876年〈明治9年〉8月25日 - 1934年〈昭和9年〉12月20日)は、日本の外交官。外務次官、駐アメリカ大使、ワシントン会議全権委員。位階および勲等は正三位・勲一等。洋画家の埴原久和代は妹。 山梨県中巨摩郡源村(現・南アルプス市)生まれ。1897年(明治30年)に東京専門学校卒業後は東洋経済新報社に勤務し、日本最初の外交専門誌『外交時報』を刊行する。 翌1898年(明治31年)に第7回外交官及領事官試験に合格し外務省に入省。同期に田中都吉、本多熊太郎らがいる。清国(現・中国)アモイ領事館補を皮切りに、以降順調に昇進を果たす。外務次官時代には当時の海軍大臣・加藤友三郎や駐アメリカ大使・幣原喜重郎とともにワシントン会議の全権委員に選任された。
芳澤 謙吉(よしざわ けんきち、1874年(明治7年)1月2… 芳澤 謙吉(よしざわ けんきち、1874年(明治7年)1月24日 - 1965年(昭和40年)1月5日)は、新潟県中頸城郡高田(のち上越市)出身の日本の外交官、政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 父は諏訪村初代村長の芳澤襄良。