スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
日當 直喜(ひなた なおき、2005年7月6日 - )は、東… 日當 直喜(ひなた なおき、2005年7月6日 - )は、東京都墨田区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 墨田区立梅若小学校1年生のときから墨田区立桜堤中学校までの計9年間、軟式野球の『鐘ヶ淵イーグルス』で捕手・投手としてプレーした。 東海大学菅生高校に進学し、1年秋に背番号11でベンチ入り。背番号1を付けた2年秋の東京都大会では、4試合連続完投勝利を記録して優勝した。3年春の第95回記念選抜高等学校野球大会では沖縄尚学との3回戦で完封勝利を記録。続く大阪桐蔭との準々決勝ではリリーフ登板で6回2失点と好投したが、チームは敗れた。3年夏は西東京都大会5回戦で駒沢大高に敗れた。
田中 幹也(たなか みきや、2000年11月28日 - )は… 田中 幹也(たなか みきや、2000年11月28日 - )は、神奈川県愛甲郡愛川町出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 愛川町立中津小学校時代は中津リバーズ、愛川町立愛川東中学校時代は相模原リトルシニアに所属。 高校時代は若林弘泰が監督を務める西東京の強豪・東海大学菅生高等学校でプレー。1年時より出場し、2年夏には1学年上の松本健吾や同級生の戸田懐生らとともに西東京大会の決勝で清宮幸太郎擁する早稲田実業高等部を破り甲子園大会に出場。甲子園大会ではベスト4に進出。その後のえひめ国体にも出場。甲子園大会では俊敏な守備や俊足、シュアな打撃が注目された。後輩に成瀬脩人がいる。 高校卒業後は東都大学野球の亜細亜大学に進学。
川口 冬弥(かわぐち とうや、1999年10月26日 - )… 川口 冬弥(かわぐち とうや、1999年10月26日 - )は、奈良県生駒郡三郷町出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 三郷町立三郷中学校時代は硬式野球チームの『香芝ボーイズ』に所属。東海大学菅生高校では3年間で一度も背番号をもらえなかった。 城西国際大学へ進学し、高校時代は最速130km/h程度であったが、2年間で筋肉量を10kg増やし、3年時には145km/h前後を計測。ただ、右肘の故障に苦しみ、リーグ戦で登板したのは4年時からであった。当時通っていたスポーツジムで、社会人野球のクラブチーム・ハナマウイの中山慎太郎投手コーチと偶然知り合い、中山は「『野球を続けたいんですが進路が決まっていないんです』と話してくれた。
松本 健吾(まつもと けんご、1999年4月14日 - )は… 松本 健吾(まつもと けんご、1999年4月14日 - )は、東京都中野区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 中野区立緑野小学校在学時、中野セネタースで軟式野球をプレー。その後、中野区立緑野中学校に進むと東京青山リトルシニアで硬式野球をプレー。当時から投手を務め日本選手権3位入賞を経験する。 高校は若林弘泰監督率いる、あきる野市の東海大学菅生高校に進学。3年夏の西東京大会の決勝では清宮幸太郎擁する早稲田実業学校高等部を破り、第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。予選では一学年下の戸田懐生にエースナンバーを明け渡したが、この好投から本戦では松本がエースナンバーを付け、戸田との二枚看板で同校初のベスト4入りに貢献した。
梁 培(りょう ばい、リャン・ペイ、Liang Pei、19… 梁 培(りょう ばい、リャン・ペイ、Liang Pei、1998年4月14日 - )は、東京都国分寺市出身の中国のプロ野球選手(外野手)。右投右打。北京タイガース所属。 北京出身の両親の下に東京で生まれる。小学生時代は国分寺市立第四小学校の国分寺ストロングジャガーズに友人の誘いで入団、 その後は「調布シニア」でプレーした。なお、シニア時代の後輩に清宮幸太郎がいる。その後、東海大菅生高校に進学したが、同学年の外野手に比べて打力面が課題となりベンチ入りすることができなかった。2学年下の後輩に田中幹也がいる。 卒業後は母親の勧めもあり、中国に渡り野球を続ける。シニア時代のつてがあった北京タイガースに入団し、2019年のCNBLでの優勝に貢献した。
勝俣 翔貴(かつまた しょうき、1997年7月20日 - )… 勝俣 翔貴(かつまた しょうき、1997年7月20日 - )は、神奈川県足柄下郡箱根町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 中学時代は「小田原足柄リトルシニア」でプレー。 高校は東京都の東海大学菅生高等学校に進学。3年春に甲子園大会に出場した。当時は投手も兼任しており、二刀流の選手でもあった。その後の高校野球日本代表にも同世代の小笠原慎之介やオコエ瑠偉、2学年下の清宮幸太郎らとともに選出された。WBSC U-18ワールドカップでは首位打者と打点王に輝き、ドラフト候補にも名が上がったためプロ志望届を提出するが、2位以上での指名を志望していたことが原因か指名漏れをした。高校時代の監督は元中日ドラゴンズの投手の若林弘泰、1学年上には髙橋優貴がいた。
髙橋 優貴(たかはし ゆうき、1997年2月1日 - )は、… 髙橋 優貴(たかはし ゆうき、1997年2月1日 - )は、茨城県ひたちなか市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 ひたちなか市立田彦小学校3年から勝田スポーツ少年団で野球を始める。ひたちなか市立田彦中学校では友部リトルシニアでプレーした。東海大学菅生高等学校では1年夏からベンチ入りした。3年夏には西東京大会で決勝まで進み、日本大学鶴ヶ丘高等学校と対戦した。高橋はリリーフで登板したが9回にサヨナラ打を打たれ甲子園出場はならなかった。八戸学院大学に進学後は北東北大学リーグで通算50試合に登板し、20勝12敗、リーグ最多となる通算301奪三振の新記録を樹立し、それまで多和田真三郎が持っていた奪三振記録299を更新した。
南 要輔(みなみ ようすけ、1994年8月7日 - )は、東… 南 要輔(みなみ ようすけ、1994年8月7日 - )は、東京都青梅市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 東海大菅生高校では、3年次の夏に控えとしてベンチ入り。西東京都大会4回戦で都立片倉高校に敗れた。 高校卒業後は、明星大学に進学し硬式野球部に入部する。首都大学リーグの二部で活躍し、4年次の秋には打率.442を記録。首位打者とベストナインを獲得し、チームの二部優勝に貢献した。入れ替え戦でも、城西大学に勝ち越し9季ぶりの一部復帰を決めた。 2016年10月20日、プロ野球ドラフト会議において東北楽天ゴールデンイーグルスから育成ドラフト2巡目で指名され、支度金200万円、年俸250万円で合意、入団。
鈴木 昂平(すずき こうへい、1991年6月20日 - )は… 鈴木 昂平(すずき こうへい、1991年6月20日 - )は、東京都武蔵村山市出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。右投右打。現在はオリックス・バファローズの育成コーチを務める。 中学生時代には東村山リトルシニアでプレー。東海大菅生高校を経て、東海大学へ進学すると、首都大学リーグ戦で遊撃手部門でのベストナイン3回、首位打者1回などの実績を残した。 大学卒業後に三菱重工名古屋へ入社。2年連続で都市対抗野球に出場。チームメイトに高木勇人がいた。 2015年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから7巡目で指名。契約金2,700万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した。三菱重工名古屋からは前年の高木に続くNPB入りで、背番号は40。
金森 敬之(かなもり たかゆき、1985年7月24日 - )… 金森 敬之(かなもり たかゆき、1985年7月24日 - )は、大阪府藤井寺市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 中学生時代に所属していた、隣接する羽曳野市の「全羽曳野ボーイズ」ではダルビッシュ有の先輩だった。その後は東京都の東海大学菅生高校に進学。3年夏の全国高等学校野球選手権西東京大会では決勝で敗退し、甲子園出場は叶わなかったが145km/hの速球を投げ注目された。 2003年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから6巡目で指名された。入団交渉では当初難色を示していたが、交渉を重ねるにつれ態度が軟化していき、同年12月14日に仮契約を結んだ。 2004年、2005年のシーズンは一軍での登板はなかったが、2005年の秋季キャンプでは「ヒルマンチルドレン」として注目を浴び、2006年には二軍で防御率3.02で4セーブを挙げ、フレッシュオールスターゲームに出場した。
笹川 隆(ささがわ たかし、1979年11月8日 - )は、… 笹川 隆(ささがわ たかし、1979年11月8日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)、プロ野球コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス四軍内野守備走塁コーチ。 中学校時代、ボーイズリーグの新宿ヴァリアンツに所属。チームの主力選手として、1993年関東大会優勝、1994年第25回選手権大会全国優勝に貢献する。 東海大菅生高に進学。硬式野球部に所属し、1996年の第78回全国高等学校野球選手権大会と1997年の第69回選抜高等学校野球大会に出場した。また、1996年秋から野球部の主将も務めた。 1997年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスに入団。入団当時は内野手だったが、二軍でも出場機会に恵まれず、2001年途中に的場直樹をはじめ二軍の捕手陣に故障者が続出したこともあって捕手に転向、翌2002年には捕手登録となる。
中野渡 進(なかのわたり すすむ、1976年9月17日 - … 中野渡 進(なかのわたり すすむ、1976年9月17日 - )は、東京都小平市出身の元プロ野球選手(投手)。 ゲームクリエイターの中野渡昌平とは従兄弟にあたる。 東海大菅生高ではエースとして2年生だった1993年秋に東京都大会で準優勝するも決勝戦で大敗したため翌1994年春の選抜大会には選出されず、卒業後は社会人野球の三菱自動車川崎に入社。2年目の1996年に都市対抗野球で完投勝利、その後は補強選手としても先発。1999年のドラフト会議で、横浜ベイスターズから7位指名を受けて入団しプロ入り。入団時、ユニフォームの背ネームの文字数が非常に多い(NAKANOWATARI=12文字)ことが話題となった。
成瀬 脩人(なるせ しゅうと)は、愛知県あま市出身のプロ野球… 成瀬 脩人(なるせ しゅうと)は、愛知県あま市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 5歳から野球を始め、あま市立甚目寺西小学校では甚目寺キングナインズでプレー。あま市立甚目寺中学校に進学し、稲沢リトルシニアに所属。3年次にはシニアの日本代表に選出された。 高校時代は東海大学菅生高等学校でプレー。1年秋に正二塁手としてスタメンに定着。3年間で甲子園大会への出場はなかった。2学年上に松本健吾、川口冬弥、1学年上に田中幹也・戸田懐生らがいる。 高校卒業後は系列校である東海大学に進学したが、4年間で1度も規定打席に到達することができなかった。 2024年にNTT西日本へ入社。