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奥村 頼人(おくむら らいと、2007年9月8日 - )は、… 奥村 頼人(おくむら らいと、2007年9月8日 - )は、滋賀県彦根市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 横浜高等学校では3年春の第97回選抜高等学校野球大会にエース兼4番打者として出場し、投手として全試合に救援登板、打者として全試合で4番を務め優勝に貢献。西日本短大附との準々決勝では3者連続3球三振を記録した。同年夏の神奈川大会では3本塁打を記録する活躍で優勝に貢献。春夏連覇を目指し出場した第107回全国高等学校野球選手権大会では準々決勝で県岐阜商にサヨナラ負けを喫した。 2025年10月23日に開催されたドラフト会議にて、千葉ロッテマリーンズから3位指名を受けた。
杉山 遙希(すぎやま はるき、2005年9月23日 - )は… 杉山 遙希(すぎやま はるき、2005年9月23日 - )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校1年生のときに篠崎アトムズで野球を始め、主に投手。6年生時には読売ジャイアンツジュニアに選出された。江戸川区立篠崎中学校時代は硬式野球の東京城南ボーイズでプレーした。 横浜高校に進学し、1年春からベンチ入り。1年夏の神奈川大会では背番号15で横浜創学館との決勝に先発し、勝利投手となった。第103回全国高等学校野球選手権大会では背番号1を背負い、広島新庄との1回戦では1イニングを投げ、智辯学園との2回戦で初先発となったが、前川右京に適時打を許すなど4回6安打5四死球3失点で降板し、チームも敗れた。
津田 啓史(つだ けいし、2002年11月23日 - )は、… 津田 啓史(つだ けいし、2002年11月23日 - )は、熊本県熊本市東区出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 小学校5年時に熊本市立長嶺小学校へ転校し、それに伴い中島サンダースに所属した。熊本市立長嶺中学校時代は熊本中央ボーイズでプレー。陸上部にも在籍していて、中学3年生の時には110メートル障害ハードルで県大会優勝を果たした。小・中学生時代のチームメイトに桑原秀侍がいる。 父が熊本県立熊本工業高等学校の出身で同校の野球部長であったことから「熊本工で甲子園を目指す」ことを考えていたが、中学3年生の時にボーイズ日本代表で世界一になった経験から「県外で野球がしてみたい」と考え、横浜高等学校へ進学した。
度会 隆輝(わたらい りゅうき、2002年10月4日 - )… 度会 隆輝(わたらい りゅうき、2002年10月4日 - )は、千葉県市川市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 父は元東京ヤクルトスワローズの内野手・度会博文。 ヤクルトスワローズに所属していた度会博文の次男として誕生した。 兄の影響を受けて3歳の頃から野球を始める。市川市立柏井小学校時代は東京北砂リトルに所属し、6年時にヤクルトジュニア入り。市川市立下貝塚中学校時代は、佐倉シニアに所属。チームメイトに主将を務めた西川僚祐がいる。リトルシニア全国選抜野球大会優勝、ジャイアンツカップ優勝を達成した。また、U15日本代表として、アジアチャレンジマッチに出場。最優秀選手に選出された。
庄子 雄大(しょうじ ゆうだい、2002年10月2日 - )… 庄子 雄大(しょうじ ゆうだい、2002年10月2日 - )は、神奈川県横浜市旭区出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 横浜高等学校では2年春の第91回選抜高等学校野球大会に出場。明豊との初戦で先発出場するも無安打に終わり、チームも敗れた。同学年に津田啓史、度会隆輝、松本隆之介、木下幹也、1学年上に及川雅貴がいた。 高校卒業後は神奈川大学へ進学。1年秋から遊撃手に挑戦し、その後レギュラーに定着した。リーグ戦通算で116安打を記録した。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから2位指名を受けた。また、大学で二遊間を組んだ佐藤太陽も同ドラフトで埼玉西武ライオンズから育成2位指名を受けた。
松本 隆之介(まつもと りゅうのすけ、2002年7月31日 … 松本 隆之介(まつもと りゅうのすけ、2002年7月31日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 横浜市立川上北小学校1年の時に野球を始め、軟式の戸塚アイアンボンドスでは主に外野を守っていた。横浜市立名瀬中学校在学時は戸塚リトルシニアに所属。 横浜高等学校では1年春からベンチ入り。2年春に第91回選抜高等学校野球大会に出場し、1回戦の明豊高等学校戦で及川雅貴の後を受け3回途中から登板するも、2回1/3を投げ5安打5失点で初戦敗退した。2年生の4月には、2年生投手でただ1人U-18日本代表候補入りした。3年夏の県大会独自大会は準々決勝で敗退した。
木下 幹也(きのした もとや、2002年5月1日 - )は、… 木下 幹也(きのした もとや、2002年5月1日 - )は、東京都練馬区出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 幼稚園に入る前に野球を始めた。小学生時代はジャイアンツアカデミーに所属し、山田真介の指導を受ける。6年時にはジャイアンツJr.に選出された。練馬区立開進第三中学校時代は世田谷西リトルシニアのエースとして、日本リトルシニア日本選手権に優勝しMVPを獲得している。 横浜高等学校では1年夏の県大会で公式戦デビュー。1年秋は背番号10で関東大会に出場しベスト8。2年春には第91回選抜高等学校野球大会に出場。3年時は松本隆之介と二枚看板で背番号1を交互に背負いチームを支えたが、夏の神奈川県独自大会は準々決勝で敗退した。
及川 雅貴(およかわ まさき、2001年4月18日 - )は… 及川 雅貴(およかわ まさき、2001年4月18日 - )は、千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 NPBにおける18試合連続ホールド記録保持者。 匝瑳市立須賀小学校3年時に「須賀スポーツ少年団」に入団し野球を始め、6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出された。匝瑳市立八日市場第二中学時代は「匝瑳リトルシニア」に所属。3年時にはU-15日本代表入りし大会最優秀防御率を受賞した他、最速140km/h超の「スーパー中学生」として注目された。 横浜高校進学後は、1年春からベンチ入りし2年秋からエース。1年夏、2年夏、3年春と3度の甲子園大会出場を果たし、奥川恭伸(星稜)、佐々木朗希(大船渡)、西純矢(創志学園)とともに「高校BIG4」と呼ばれた一方で、制球難に悩まされた影響で地方大会を含め出場各大会で芳しい結果を残すことができず、一時は背番号10の剥奪も経験。
土生 翔太(はぶ しょうた、2001年3月10日 - )は、… 土生 翔太(はぶ しょうた、2001年3月10日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれる。横浜市立鳥が丘小学校3年生の時に坂本レッドジャガーズで野球を始め、横浜市立領家中学校在学時は硬式野球のクラブチームである横浜泉中央ボーイズでプレーしていた。 横浜高等学校在学時、チームは3年連続で夏の全国高等学校野球選手権大会に出場したが、自身はいずれの年もベンチ外だった。3年夏の神奈川大会の前に行われたベンチ外の選手による引退試合に登板し、144km/hを計測した。2学年上に藤平尚真・石川達也、1学年上に増田珠・福永奨、同学年に万波中正、1学年下に及川雅貴、2学年下に松本隆之介・木下幹也・度会隆輝・津田啓史・庄子雄大がいた。
万波 中正(まんなみ ちゅうせい、2000年4月7日 - )… 万波 中正(まんなみ ちゅうせい、2000年4月7日 - )は、岡山県備前市生まれ、東京都練馬区出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 友達に誘われ、練馬区立開進第二小学校の2年時に、投手としてブルーフェニックスで野球を始めた。 練馬区立開進第二中学校への進学後は、陸上競技部と東練馬シニアに所属。陸上競技の東京都大会では、1年時に100メートル障害決勝で2位、3年時に砲丸投5kgの部で優勝した(記録は14m85)。その一方で、3年時には東練馬リトルシニアの外野手兼エースとして、リトルシニアの日本選手権大会でチームを準決勝進出に導いた。この時点で身長がおよそ190cmにまで達していたほか、ストレートで最速138km/h、バットのスイングで150km/hを超えるスピードを計測。
福永 奨(ふくなが しょう、1999年7月28日 - )は、… 福永 奨(ふくなが しょう、1999年7月28日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 横浜市立上菅田小学校2年の時に川島イーグルスに入団して野球を始める。横浜市立上菅田中学校時代はリトルシニアの戸塚シニアに所属し、3年夏は全国大会4強入りを果たしている。 横浜高等学校では1年春からベンチ入り。1年秋には一旦正捕手の座を掴んだが、2年春から再び控えとなり、夏は第98回全国高等学校野球選手権大会に代打で出場した。2年秋から主将と正捕手を務め、3年夏は第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦の秀岳館戦に「6番・捕手」で先発出場し、7回に田浦文丸から3点本塁打を放ったが、チームは初戦敗退した。
増田 珠(ますだ しゅう、1999年5月21日 - )は、長… 増田 珠(ますだ しゅう、1999年5月21日 - )は、長崎県長崎市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 長崎市立稲佐小学校1年生から「稲佐青空」でソフトボールを始め、長崎市立淵中学校時代は「長崎シニア」で投手兼外野手としてプレーし全国大会出場を果たし、WBSC U-15ワールドカップにU-15野球日本代表に選出され、4番を務める。当時から目標はプロ野球選手になることで、中学卒業後はプロを目指すため長崎から遠く離れた神奈川県の横浜高校に進学することを決意する。 横浜高校では1年生の夏から1番センターとしてレギュラーを掴み、1年夏の神奈川県大会は小笠原慎之介、吉田凌擁する東海大相模高校に敗れた。
藤平 尚真(ふじひら しょうま、1998年9月21日 - )… 藤平 尚真(ふじひら しょうま、1998年9月21日 - )は、千葉県富津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 富津市立吉野小学校1年の時から野球を始めると、5年の時に出場した第25回全国小学生陸上競技交流大会千葉県選考会では、ソフトボール投げで大会新記録の71m13cmを樹立して優勝。ただし、千葉県代表として出場した全国大会では、68m30cmで18位にとどまった。 小学6年の時、千葉ロッテマリーンズジュニアチームに選抜されるとNPB12球団ジュニアトーナメントで優勝。富津市立大貫中学校時代では、千葉市リトルシニアに所属しながら、石原彪などと共にU-15日本代表に選抜された。
石川 達也(いしかわ たつや、1998年4月15日 - )は… 石川 達也(いしかわ たつや、1998年4月15日 - )は、神奈川県横浜市都筑区出身のプロ野球選手(投手)。左投右打。読売ジャイアンツ所属。 横浜市立下田小学校1年の時に港北リトルで野球を始めた。横浜市立東山田中学校時代は中本牧シニアに所属。 横浜高等学校では1年秋からベンチ入りを果たす。2年夏の神奈川県大会は、決勝の東海大相模戦で先発したが4回3失点で降板。打線も小笠原慎之介に散発7安打に封じられ準優勝に終わった。3年夏は同級生の藤平尚真と左右の二枚看板で予選を勝ち進み、第98回全国高等学校野球選手権大会に出場した。1回戦の東北戦は「5番・右翼手」で先発出場。またリリーフで登板し2回1/3を無失点に抑えた。
渡邊 佳明(わたなべ よしあき、1997年1月8日 - )は… 渡邊 佳明(わたなべ よしあき、1997年1月8日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 祖父は横浜高等学校硬式野球部で監督を務めた渡辺元智。 実母は元智の次女で、元智が横浜高校の硬式野球部監督を務めていた時期に、野球部の寮母を務めていた。その関係で、幼少期から寮内で生活。横浜市立六浦南小学校2年時から軟式野球を始め、6年時には横浜ベイスターズジュニアに合格し、NPB12球団ジュニアトーナメントに出場した。横浜市立富岡中学校時代には、中本牧シニアでプレーをしていた。 中学校からの卒業を機に、横浜高校へ入学。中学生時代に当時硬
髙濱 祐仁(たかはま ゆうと、1996年8月8日 - )は、… 髙濱 祐仁(たかはま ゆうと、1996年8月8日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。 実兄は元プロ野球選手の髙濱卓也。苗字については、報道やスコアボードなどで「高浜」と記されることがある。 小学校2年生のときに野球を始めると金田中学校時代に「飯塚ライジングスターボーイズ」でプレー。対外試合通算で30本塁打を記録し、3年時にはジャイアンツカップでの優勝を経験した。 実兄・卓也に続き、中学校からの卒業後に横浜高校へ進学。卓也と同じく、硬式野球部で渡辺元智の指導を受けた。同級生には、伊藤将司や渡邊佳明、在学中に祐仁とのコンビで「AT砲」と称され、プロ野球でも同僚となる淺間大基などがいる。
髙濱 祐仁(たかはま ゆうと、1996年8月8日 - )は、… 髙濱 祐仁(たかはま ゆうと、1996年8月8日 - )は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。苗字は「高浜」と記述される場合がある。
淺間 大基(あさま だいき、1996年6月21日 - )は、… 淺間 大基(あさま だいき、1996年6月21日 - )は、東京都新宿区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 東京都新宿区立牛込仲之小学校の1年時に、軟式野球チームの「いちがやチーターズ」で投手としてプレー。6年時の2008年には、東京ヤクルトスワローズジュニアチームの一員としてNPB12球団ジュニアトーナメントへ参加した。新宿区立牛込第一中学校在学中には生徒会長を務め、「新宿シニア」で投手と外野手を兼務。3年時には、シニアリーグの全国大会で準々決勝まで進出した後に、メキシコで夏に開催された第15回AA世界野球選手権大会へ立田将太などと共に日本代表チームの一員としてに出場した。
伊藤 将司(いとう まさし、1996年5月8日 - )は、千… 伊藤 将司(いとう まさし、1996年5月8日 - )は、千葉県山武郡横芝町(現:横芝光町)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 横芝光町立横芝小学校入学と同時に「横芝フェニックス」に入団し野球を始め、2年時から本格的に投手を務める。横芝光町立横芝中学校時代は同校の軟式野球部に所属、3年春には選抜チームの「オール山武」で県大会優勝、千葉県選抜にも選出された。軟式野球部の2学年下に早川隆久がいる。 2012年、横浜高等学校に進学。1年秋からベンチ入りし、2年春からエース。2年夏に出場した第95回全国高等学校野球選手権大会では、丸亀との初戦(2回戦)に先発し、14奪三振で1失点完投勝利。
樋口 龍之介(ひぐち りゅうのすけ、1994年7月4日 - … 樋口 龍之介(ひぐち りゅうのすけ、1994年7月4日 - )は、神奈川県横浜市出身の野球選手(内野手)。右投右打で、プロ野球2球団(新潟アルビレックスBCと北海道日本ハムファイターズ)でのプレーを経て、2023年からクラブチームの全府中野球倶楽部にコーチ兼任で在籍している。 横浜市立旭小学校在籍時、1年生で「別所ベアーズ」にて野球を始め、6年生時には横浜ベイスターズジュニアのメンバーとしてENEOS CUP 2006に出場。横浜市立寺尾中学校では「中本牧リトルシニア」に在籍して全国大会に3度出場した。 中学卒業後に横浜高校へ進学。硬式野球部で渡辺元智の指導を受けた。1年秋から二塁手として試合に出場し、2年生春夏、3年生春の3度甲子園大会に出場。
田原 啓吾(たはら けいご、1994年6月12日 - )は、… 田原 啓吾(たはら けいご、1994年6月12日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の元プロ野球選手(投手)。 小学2年から野球を始める。瀬谷中時代は、横浜瀬谷ボーイズに所属しエースとしてチームを引っ張った。 幼少期からの憧れであった横浜高に進学すると、1年時の秋からベンチ入りする。2年時の春には、チームが第83回選抜高等学校野球大会に出場するが、自身は疲労から来る左手の神経マヒにより登録を外れた。2年時の夏は、投手だけでなく一塁手や外野手もこなす控えとして復帰し、1学年先輩の近藤健介や乙坂智ら共に第93回全国高等学校野球選手権大会に出場。3回戦の智辯学園高戦で9回表に5番手として登板し、打者1人を抑えた。
柳 裕也(やなぎ ゆうや、1994年4月22日 - )は、宮… 柳 裕也(やなぎ ゆうや、1994年4月22日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 宮崎県都城市生まれで、都城市立大王小学校・都城市立小松原中学校出身。小学3年から都城市の志比田スポーツ少年団で野球を始め、小学6年時には主戦で四番打者として軟式の全国大会に出場した。なお同年(2006年)に父親を交通事故で亡くしており、当時12歳の柳が喪主を務めた。中学時代は都城リトルシニアに所属し、3年生だった2009年にはシニアの日本代表に選ばれ、アメリカで開かれた少年野球全米選手権大会で優勝し、最も優れた投手に贈られるサイ・ヤング賞を受賞した。 中学卒業後の2010年、横浜高校に進学し、地元に母親・妹・祖母を残して単身で横浜へ渡った。
乙坂 智(おとさか とも、本名:乙坂・ルーセロ・智・ニコラス… 乙坂 智(おとさか とも、本名:乙坂・ルーセロ・智・ニコラス〈おとさか・ルーセロ・とも・ニコラス〉、1994年1月6日 - )は、神奈川県横浜市栄区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。現在はアトランティックリーグのヨーク・レボリューション所属。 アイスホッケー選手だったアメリカ人の父と、日本人の母との間に出生。小学1年時から野球を始めると、横浜市立庄戸中学校(現在は横浜市立上郷中学校)への進学後に中本牧シニアへ所属した。子どもの頃から横浜スタジアムにもよく通うベイスターズファンで、石井琢朗や金城龍彦に憧れていた。 2009年に横浜高校に入学し、硬式野球部で1年生の秋からレギュラーとなる。なお、同期に近藤健介がいた。
近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は… 近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は、千葉県千葉市緑区出身のプロ野球選手(外野手、捕手、内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 2021年開催の東京五輪・野球競技 金メダリスト。 千葉県の軟式野球クラブの泉谷メッツで野球を始めた。千葉市立泉谷小学校6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されると、第1回NPB12球団ジュニアトーナメントで髙山俊、船越涼太らと共に準優勝を経験した。 中学野球界の強豪である修徳中学校に進学し、軟式野球部に入部。2年時には「1番・遊撃手」として第29回全国中学校軟式野球大会へ出場(初戦敗退)するとともに、捕手としてマスクを被った。
倉本 寿彦(くらもと としひこ、1991年1月7日 - )は… 倉本 寿彦(くらもと としひこ、1991年1月7日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 小学校から野球を始め、藤沢リトルリーグに所属。この頃に横浜高等学校野球部のプレーを見て憧れるようになった。 茅ヶ崎市立萩園中学校時代は寒川シニアに所属。卒業後の進路は「お前では無理だ」と口を揃える中学野球関係者の反対を押しきり、横浜高等学校を一般入試で受験。晴れて合格し、憧れていた野球部に入部する。 入学後すぐに、あまりの練習の厳しさとレベルの違いに打ちのめされ、野球部を辞めようとしたことがあった。しかし母から「好きな野球をやると自分で決めたのなら、最後までやり抜きなさい」と叱咤され思い直し、以来、心が折れるたび、その言葉を支えに立ち上がってきた。
土屋 健二(つちや けんじ、1990年10月4日 - )は、… 土屋 健二(つちや けんじ、1990年10月4日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 野球人生のスタートは、小学3年生時に、後に出身高校の先輩となる松坂大輔の投球に衝撃を受けた事と後に語っている。地元の「富士シニア」所属時代は投手として全国16強入りし、全日本選抜メンバーにも選出された。 2006年に横浜高校に進学。2007年秋の明治神宮大会では準優勝投手となった。この年の秋関東大会までは背番号1だったが、明治神宮大会では背番号10として出場した(エースとしての自覚を持ってほしい事から、監督が背番号を10に変更させた)。エースとして3年生時の春(2008年)に出場した第80回選抜大会は初戦(2回戦)で北大津高校の前に敗退するも、続く3年生時の夏の第90回選手権大会では浦和学院高校や広陵高校、仙台育英高校といった強豪を撃破したものの、準決勝で浅村栄斗を擁する大阪桐蔭高校に敗れベスト4。
髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、… 髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 実弟は元プロ野球選手の髙濱祐仁。苗字については、報道やスコアボードなどで「高浜」と記されることもある。 福岡県で出生後に佐賀県佐賀市へ転居。佐賀市の北小ジュニアソフトボールクラブでソフトボール、小学校4年時に北川副少年野球団で軟式野球を始める。佐賀市立城南中学校では軟式野球部で主に投手を務め、打撃でも硬式球より飛びにくいとされる軟式球で推定飛距離130 mの本塁打を打つなど活躍した。小学校・中学時代のチームメイトには、のちに2007年夏の第89回全国選手権大会決勝で野村祐輔から逆転満塁本塁打を放った副島浩史(2018年11月から唐津工業高野球部監督)らがいた。
髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、… 髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
西嶋 一記(にしじま かずき、1989年2月28日 - )は… 西嶋 一記(にしじま かずき、1989年2月28日 - )は、神奈川県出身の元野球選手(投手)。
福田 永将(ふくだ のぶまさ、1988年7月23日 - )は… 福田 永将(ふくだ のぶまさ、1988年7月23日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)、コーチ。右投右打。 神奈川県横浜市青葉区(旧:緑区)出身で、出身小中学校は区内の市立鴨志田第一小学校・鴨志田中学校である。下水流昂とは小・中学校の同級生で、横浜高校まで同じチームでプレーし続けた。 幼少期はサッカー少年で、将来の夢はJリーガーだったという。小学校入学前から友人たちとともに野球を始め、小学1年生のとき、友人に誘われたことがきっかけで鴨志田スワローズに入団、4年生からチームの主軸となる。当時の守備位置は捕手だった。幼少期から大柄であり、小学校卒業時は身長173cmだった。
下水流 昂(しもずる こう、1988年4月23日 - )は、… 下水流 昂(しもずる こう、1988年4月23日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 兄の影響で野球を始め、横浜市立鴨志田第一小学校から横浜市立鴨志田中学校に進学。中学時代に所属した緑中央シニアで本格的に野球に打ち込んだ。 横浜高時代は、1年時春からベンチ入り。2年秋になって中堅手のレギュラーに定着。3年時春の第78回選抜高等学校野球大会では、準決勝から4番に座り、同校8年ぶりとなる優勝を達成した。夏の第88回全国高等学校野球選手権大会では、1回戦で大阪桐蔭高に6-11で敗れた。高校の同期に福田永将や佐藤賢治や西嶋一記、2学年先輩に涌井秀章や石川雄洋、1学年後輩に髙濱卓也、2学年後輩に土屋健二や倉本寿彦がいる。
村田 浩明(むらた ひろあき、1986年7月17日 - )は… 村田 浩明(むらた ひろあき、1986年7月17日 - )は神奈川県出身の日本の野球指導者。 中学時代は「川崎北シニア」に所属。 横浜高校在学時には捕手としてプレー。2年時の2003年春の甲子園大会では1学年上の成瀬善久、同級生の涌井秀章とバッテリーを組み準優勝に貢献。3年時には主将に就任し、夏の甲子園ではベスト8入りに貢献。他の同期に石川雄洋がいた。 高校卒業後は日本体育大学に進学。1年下の捕手に靍岡賢二郎がいた。在学中に教員免許を取得している。大学生時代の2年間は横浜高校のコーチを務めている。 大学卒業後は神奈川県立霧が丘高校の部長に就任。2013年秋からは神奈川県立白山高校の監督に就任。2018年夏には北神奈川大会でベスト8に導いた。
石川 雄洋(いしかわ たけひろ、1986年7月10日 - )… 石川 雄洋(いしかわ たけひろ、1986年7月10日 - )は、静岡県駿東郡清水町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。元アメリカンフットボール選手(ワイドレシーバー)。野球解説者。 愛称は「タケ」、「石さん」。 横浜高校では1年生からベンチ入りを果たし、第75回選抜に左翼手で出場し準優勝。第86回全国選手権では、対京都外大西戦の6回に三塁打を放ちヘッドスライディングした際に三塁手と交錯し、首などを強打し左肩を捻挫する。一時は意識を失い担架で運ばれるも、その後意識を取り戻し強行出場した。スコア0対0の9回には自身のエラーをきっかけに満塁のピンチを迎えるが、涌井秀章が三振で抑えると、10回には涌井が招いたピンチをファインプレーで助け、チームは11回に1対0でサヨナラ勝ちを決めた。
涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は… 涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、千葉県松戸市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 NPB史上唯一の3球団での最多勝利受賞者。 妻はモデルの押切もえ。 松戸市立寒風台小学校時代はソフトボールをしており(寒風台ソフトボールチーム、現わかばソフトボールに所属)、野球は松戸市立第六中学校に進学後のシニアリーグ(松戸リトルシニア)で始めた。その後横浜高等学校に進学。 高校入学時から松坂大輔二世と呼ばれていた。高校2年春に第75回選抜高等学校野球大会に1学年上のエース成瀬善久、荒波翔、同級生の石川雄洋、村田浩明らと共に出場。準決勝までは成瀬の中継ぎとして登板。
荒波 翔(あらなみ しょう、1986年1月25日 - )は、… 荒波 翔(あらなみ しょう、1986年1月25日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、コーチ、野球解説者、タレント。現役引退後の2020年から2024年シーズンまでは、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)に所属する神奈川フューチャードリームスのアドバイザー兼コーチを務めた。 横浜DeNAベイスターズでの選手時代からホリプロとマネジメント契約を締結。妻は同社に所属するタレントの宮崎瑠依。ノンフィクション作家の軍司貞則は伯父に当たる。 横浜市瀬谷区の瀬谷ライダースで野球を始める。転校に伴いオール三ツ境に所属。横浜市立原中学校時代は遊撃手や投手で、戸塚シニアでは主将として全国制覇を経験した。
円谷 英俊(つぶらや ひでとし、1984年9月17日 - )… 円谷 英俊(つぶらや ひでとし、1984年9月17日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)・コーチ。 横浜市立洋光台第一小学校1年の時から「洋光台キングタイガース」で投手、内野手として野球を始める。中学時代は中本牧リトルシニアに所属。 横浜高等学校では1年春からベンチ入りし、1年秋からレギュラー。2年夏に第83回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 青山学院大学では1年春からベンチ入り。3年春に首位打者、3年春秋はベストナインを獲得。4年で大学全日本に選出。東都大学リーグ通算86試合出場、303打数87安打、打率.287、6本塁打、37打点。ベストナイン2回受賞。1年時に東都大学野球一部秋季リーグで優勝、3年春季から4年春季まで大﨑雄太朗、高市俊、横川史学、小窪哲也などとともにリーグ戦3連覇を達成し、戦国東都と言われる東都大学野球一部リーグで計4度の優勝を経験。
大河原 正人(おおかわら まさと、1983年8月26日 - … 大河原 正人(おおかわら まさと、1983年8月26日 - )は神奈川県出身の社会人野球指導者・元選手(外野手)。 12歳から野球を始める。 横浜高校時代の2000年夏の甲子園大会に出場し、ベスト8まで進出した。翌年夏も出場し、ベスト4の成績を収める。 高校卒業後は東都大学野球の亜細亜大学に進学した。2002年の全日本大学野球選手権で優勝し、明治神宮野球大会でも優勝した。翌年の全日本大学野球選手権では準優勝に終わった。 大学卒業後は社会人野球の東芝に入社し、長らく選手としてプレーした。都市対抗野球大会には11年連続で出場した 。2013年には東アジア大会日本代表に選出された。 その後、現役を引退し、採用担当とアナライザーの役職を兼ねた。
平田 徹(ひらた とおる、1983年5月10日 - )は、神… 平田 徹(ひらた とおる、1983年5月10日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の高校野球指導者。高校保健体育科教諭。 ポジションは捕手。1999年、横浜高校(以降:横浜)に入学し、硬式野球部へ入部。全国高校野球選手権大会に2回出場。2年次ベスト8。3年次には主将になり、同選手権で優勝することになる東京の日大三高に準決勝で敗れるが、荒波翔、円谷英俊らと共にベスト4進出。卒業後、国際武道大学へ進学し、野球を継続。大学でも四年生時に主将を務める。 国際武道大学卒業後の2006年、横浜高校のコーチに就任。2010年に部長の小倉清一郎が定年を迎え、部長に昇格。 2015年夏の大会後、恩師である渡辺元智の勇退に伴い、監督に就任。
松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日 - )… 松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日 - )は、東京都江東区出身(出生地は青森県青森市)の元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家・YouTuber・タレント。右投右打。 横浜高校時代はエースとして1998年春・夏の甲子園連覇を達成し、同年のプロ野球ドラフト会議でNPBの西武ライオンズから1位指名を受けて入団。プロ入り後は1999年から2021年までの23年間にわたり、西武やMLBのボストン・レッドソックスなどでプレーし、1999年から2006年まで8年間の第一次西武時代には2002年・2004年と2度のパ・リーグ優勝、2004年の日本シリーズ優勝に貢献。MLBでは2007年に地区優勝、ア・リーグ優勝、ワールドシリーズ優勝に貢献した。
小山 良男(こやま よしお、1980年7月14日 - )は、… 小山 良男(こやま よしお、1980年7月14日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(捕手)。 川崎市立平間中学校では中本牧リトルシニアに所属(後に横浜高校、中日でもチームメイトとなる小池正晃も所属していた)、1995年全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで優勝。シニア日本代表に選抜される。この時のメンバーに松坂大輔がおり、小池ら他のチームメイトと共に松坂に一緒に横浜高校に行こうと誘う。横浜高校では上地雄輔に代わり正捕手となり、3年時は渡辺元智監督に主将に任命され、松坂とバッテリーを組み、小池や後藤武敏らと共に1998年の甲子園春夏連覇及びかながわ・ゆめ国体で優勝を果たした。中村順司前PL監督が指揮を執る第3回AAAアジア選手権大会日本代表では寺本四郎・杉内俊哉・久保康友・上重聡ら松坂以外の投手からも全幅の信頼を置かれ優勝に貢献。
後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、… 後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。 愛称は「ゴメス」など(後述)。 中学校時代にはシニアリーグの「浜松シニア」に所属し、チームメイトで1年後輩の野久保直樹らと共に全国大会で準優勝している。 横浜高等学校では、1年生時からベンチ入りし、第78回全国高等学校野球選手権大会では、3回戦の9回に代打で起用され安打を放った。 1998年、松坂大輔、小池正晃、小山良男らと共に第70回選抜高等学校野球大会に出場し全国制覇を果たすと、第80回全国高等学校野球選手権大会に主に3番打者として出場し、準々決勝では上重聡、平石洋介らを擁するPL学園、準決勝では寺本四郎を擁する明徳義塾高校、決勝では吉見太一を擁する京都成章高校に勝利し、春夏連覇を果たした。
小池 正晃(こいけ まさあき、1980年5月15日 - )は… 小池 正晃(こいけ まさあき、1980年5月15日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 実家は横浜市保土ケ谷区のお茶屋・丸秀園。横浜市立峯小学校、横浜市立宮田中学校出身。小学2年の時に野球を始め、中本牧リトルシニアに所属の3年時の1995年、全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップを制覇。同リトルシニアには同期に小山良男、2年先輩に森野将彦が所属していた。シニア時代に小山らとともに日本代表に選ばれ、そこで松坂大輔と仲良くなる。小池と小山はその時すでに横浜高校への進学が決まっており、松坂に「一緒に横浜高校に行こう」と誘い、横浜高校でチームメイトとなった。
松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は… 松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は、北海道札幌市豊平区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現在は、東京ヤクルトスワローズのスコアラーを務めている。 中学2年時に父の転勤で東京都江戸川区に転居。江戸川南シニアを経て、1994年に横浜高校に入学。シニアリーグ、高校を通じて松坂大輔の2年先輩にあたる。 シニア時代は投手だったが、同期に丹波慎也がいたため投手としては同学年内では2番手という存在だったが2年次より外野手としてプレーしている。同年の第76回全国高等学校野球選手権大会に横浜高は5年振りの出場を果たすが、那覇商に初戦で敗れている。翌1995年春夏も甲子園出場を目指したが、叶わなかった。
阿部 真宏(あべ まさひろ、1978年5月12日 - )は、… 阿部 真宏(あべ まさひろ、1978年5月12日 - )は、神奈川県川崎市高津区出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 横浜高等学校では幕田賢治と共にクリーンナップを打ち、エースに松井光介を擁するチームで4番として第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の2回戦で山田秋親を擁する北嵯峨高校に勝利したが、3回戦で4強入りした福井商に敗れた。高校では2学年先輩に多村仁志・斉藤宜之・紀田彰一・矢野英司、1学年先輩に横山道哉、1学年後輩に上地雄輔、2学年後輩に松坂大輔・小池正晃・後藤武敏・小山良男がいた。矢野、後藤とは大学でも一緒にプレーした。 高校卒業後は法政大学に進学し、1年春からベンチ入りすると2年から三塁手、遊撃手のレギュラーとして同期の廣瀬純と共に3番や4番を打ち、リーグ優勝に貢献した。
幕田 賢治(まくた けんじ、1978年5月5日 - )は、神… 幕田 賢治(まくた けんじ、1978年5月5日 - )は、神奈川県川崎市宮前区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。プロ野球引退後はクラブチーム・横浜ベイブルースに在籍していた。 父は法政二高が夏・春連覇を達成した時の遊撃手で、社会人野球の日本石油でも活躍した幕田正力。父親の転勤に伴って北海道札幌市で出生し、幼少時を札幌市で過ごした。 小学2年生から野球を始め、川崎市立宮崎中学校時代は地元の川崎北シニアリーグに所属し中学2年からレフトのレギュラーを獲得。中学3年時にはオール関東のメンバーに選出され、アメリカに遠征に行っている。そのアメリカ遠征のメンバーには東海大相模の森野将彦がキャプテンとして3番を打ち、幕田は4番を打っている。
横山 道哉(よこやま ゆきや、1977年6月1日 - )は、… 横山 道哉(よこやま ゆきや、1977年6月1日 - )は、神奈川県海老名市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。現在は横浜DeNAベイスターズのスカウトを務めている。 中学時代は愛甲シニアに所属。 横浜高校出身。1学年先輩には斉藤宜之・多村仁・矢野英司・紀田彰一、2学年先輩には高橋光信、1学年後輩には阿部真宏・松井光介・幕田賢治、2学年後輩には上地雄輔がいた。 1995年秋のドラフト会議で地元の横浜ベイスターズから3位指名を受けて入団。 1997年は7月6日の対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)で敗戦処理として初登板すると、その後チームが逆転サヨナラ勝ちを収めて初勝利を挙げる。この年は18試合に登板し、シーズン終盤にはプロ初先発や初セーブも記録している。
多村 仁志(たむら ひとし、本名および旧登録名:多村 仁〈読… 多村 仁志(たむら ひとし、本名および旧登録名:多村 仁〈読み同じ〉、1977年3月28日 - )は、神奈川県愛甲郡清川村生まれ、同県厚木市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者、eスポーツ解説者。右投右打。 愛甲郡清川村で生まれたが、宮ヶ瀬ダム建設の影響で実家のあった地区が水没することになったため、1984年に厚木市へ転入。市立飯山小学校・市立小鮎中学校で少年時代を過ごした。小学2年時に兄が所属していた野球チームに入り野球を始める。子どもの頃から足が速かったため、中学では陸上部に所属していたが、シニアリーグの監督から誘いを受け、厚木シニアで再び野球を始める。中学までは遊撃手と投手を務めていた。
矢野 英司(やの えいじ、1976年6月15日 - )は、神… 矢野 英司(やの えいじ、1976年6月15日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の元プロ野球選手(投手)。 横浜高校時代は3度甲子園に出場。同期の選手に多村仁志、紀田彰一、斉藤宜之、山本哲也、若杉聖一などがいる。 1995年に法政大学入学。法政では入学早々リリーフエースとして活躍。同年春の第44回大学選手権では全試合に登板し、先発の真木将樹や伊達昌司(1学年上)らの投手陣を支え、決勝で東北福祉大学を9-5で下し大学選手権で7度目の優勝に貢献した。高校でも1年先輩の2年平馬淳もレギュラーとして出場していた。1997年、大学3年秋の第28回明治神宮大会準決勝の創価大学戦で、毎回先発全員から当時大会新記録となる18奪三振を奪い3-0で下し大学公式戦での初完封を記録。
斉藤 宜之(さいとう たかゆき、1976年6月10日 - )… 斉藤 宜之(さいとう たかゆき、1976年6月10日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、右投左打)・コーチ。 中本牧リトルシニア出身。横浜高校時代には甲子園に3度出場(選抜2回、選手権1回)。多村仁、紀田彰一とクリーンナップを組んでいた。高校通算39本塁打。在学中は、渡辺元智監督に「指導歴30年の中で3本の指に入る選手」と言わしめるほどの活躍をした。高校の1学年先輩には高橋光信がいた。1994年のドラフトで巨人に4位指名されて入団。 オープン戦から活躍し初の1軍昇格。左の代打、代走、外野守備要員として一軍に時折昇格するも定着には至らず。ジュニアオールスターゲーム出場。
紀田 彰一(きだ しょういち、1976年5月19日 - )は… 紀田 彰一(きだ しょういち、1976年5月19日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在はニューヨーク・ヤンキースのスカウト、野球解説者を務めている。 小学1年の時にリトルリーグで野球を始め、中学2年生の時に野村克也がオーナーを務めるリトルシニアの「港東ムース」の三塁手としてシニア大会世界一を経験した。小学生のころから落合博満に憧れており。また中学時代からプロ野球選手を目指していたという。 横浜高等学校時代は1年から4番打者、三塁手として起用された。2年生だった1993年には春の甲子園へ、3年生だった1994年には春の甲子園と夏の甲子園に出場した。3年夏は県大会で28打数14安打、打率.500の成績を記録したが、甲子園では1回戦の那覇商業戦で全打席敬遠気味の四球を与えられ、活躍の機会がなく敗退。