スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
カレオン・ジョニル・マラリ(Carreon Jonhil M… カレオン・ジョニル・マラリ(Carreon Jonhil Mallari , 2000年11月11日 - )は、神奈川県相模原市南区出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。フィリピン人の両親を持つ。 相模原市立上鶴間小学校3年生のときに野球を始め、「上鶴間ブラックス」に所属。相模原市立東林中学校では「相模原ベースボールクラブ」に所属し、2015年にはヤングリーグ全国大会に出場。中学卒業後は武相高等学校に進学した。 2018年11月22日に行われた四国ILplusとベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の合同ドラフト会議において福島レッドホープスに特別合格選手として指名を受け、入団。
井口 和朋(いぐち かずとも、1994年1月7日 - )は… 井口 和朋(いぐち かずとも、1994年1月7日 - )は、神奈川県横浜市緑区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。ベラクルス・イーグルス所属。 小学校1年生のときにDMファイターズで野球を始め、遊撃手や捕手など複数のポジションを任され、打順では4番を争った。5年生のときに熊本県へ引っ越し、熊本市立健軍小学校時代は熊本中央リトルシニアでプレー。中学入学と同時に緑区へ戻り、横浜市立中山中学校時代は横浜都筑ボーイズでプレーし、3年生に上がってから投手に挑戦した。 神奈川・武相高等学校では2年秋からエースとなる。野球部には同期に塩見泰隆、1学年下にXENO(お笑い芸人、金の国)がおり、XENOとバッテリーを組んでいた。
塩見 泰隆(しおみ やすたか、1993年6月12日 - )は… 塩見 泰隆(しおみ やすたか、1993年6月12日 - )は、神奈川県相模原市中央区出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学生の頃から軟式野球を始め、相模原市立星が丘小学校、相模原市立中央中学校(海老名リトルシニア)を経て武相高等学校に進学。 高校時代は、2年生の秋からレギュラーに定着。3年生の夏の県大会では、主に「3番・右翼手」としてスタメン出場。チームは、準々決勝の茂木栄五郎らを擁する桐蔭学園戦で、延長12回の激戦の末に2-3で破れ、甲子園に出場することはできなかった。同期には井口和朋らがいた。 高校卒業後は帝京大学に進学。1年時から試合に出場し、3年生の春のリーグ戦では打率.279、17安打、1本塁打、11盗塁の成績を残した。
豊田 圭史(とよだ けいし、1984年2月4日 - )は、日… 豊田 圭史(とよだ けいし、1984年2月4日 - )は、日本の学生野球指導者。武相高等学校硬式野球部監督。 神奈川県出身。武相高校時代は外野手として活躍し、投手とは縁がなかった。富士大学進学後に本格的に投手を始める。卒業後、広域複合型企業チーム、フェズント岩手で3年間現役を続けた。 現役引退後は母校である富士大学硬式野球部のコーチを2009年から務め、2013年12月から青木久典より同大学の監督を引き継いでから10季連続優勝に導き連盟記録を更新。監督として全日本大学野球選手権には5度、明治神宮大会には3度の出場。大学では全体練習を短くし、個々の長所や自主性を養って成長を促す練習法を取り入れ、選手育成に定評があった。
桑元 孝雄(くわもと たかお、1970年3月24日 - )は… 桑元 孝雄(くわもと たかお、1970年3月24日 - )は、社会人野球の元選手、野球指導者。社会人時代は三菱ふそう川崎所属。 神奈川県出身。中学時代は、ボーイズリーグの相模原ホワイトイーグルスに所属。武相高等学校では、1年生秋から三塁手として活躍し、5打席連続ホームランを放つなど、超高校級スラッガーとしてプロから注目されていた。高校卒業後は三菱自動車川崎に入社。1995年の日本選手権では3本塁打を放つなど優勝に貢献。この年は社会人ベストナインにも選出された。内野手として同僚の梶山義彦や西郷泰之らと共にチームの中心選手として活躍した。 1996年アトランタオリンピックでは日本代表として銀メダルの獲得に貢献した。
西本 欣司(にしもと きんじ。1966年11月24日 - )… 西本 欣司(にしもと きんじ。1966年11月24日 - )は、神奈川県出身のプロ野球審判員。セ・リーグ袖番号は1990年採用から2003年までは35、2004年以降は7。 武相高等学校から愛知学院大学を経て、1990年にセ・リーグ審判部に入局した。同年はセ・リーグにおける審判4人制がスタートした年であり、55歳以上のベテラン審判の大半が引退した中で新規採用された一人である。 2005年には審判員奨励賞を受賞。オールスター出場3回(2003年、2008年、2015年。2008年第1戦で球審)。日本シリーズ出場4回(2009年、2012年、2017年、2021年。2009年第4戦、2012年、2017年第3戦、2021年第5戦で球審)。
パンチ佐藤(パンチさとう、本名:佐藤 和弘(さとう かずひろ… パンチ佐藤(パンチさとう、本名:佐藤 和弘(さとう かずひろ)、1964年〈昭和39年〉12月3日 - )は、神奈川県出身のタレント、元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)、野球解説者。愛称は「パンチ」。 川崎市立西中原中学校から武相高校へ進学。1982年春季関東大会準々決勝に進むが、関東学園大附高に延長14回敗退。同年夏の甲子園県予選の準々決勝にて、のちにプロで同僚となる高田誠を擁した法政二高に延長10回サヨナラ負けを喫する。 亜細亜大学に進み、同野球部に入部、最終年にはキャプテンを務めた。東都大学野球リーグでは、1年上の3年生エース三原昇の好投もあり1984年春季リーグにて優勝を経験。直後の全日本大学野球選手権大会決勝では、3年生エース西川佳明や秦真司捕手、島田茂、伊吹淳一(のち熊谷組)、若井基安ら強力打線の法大に延長11回惜敗、準優勝にとどまる。
鈴木 慶裕(すずき よしひろ、1963年5月21日 - )は… 鈴木 慶裕(すずき よしひろ、1963年5月21日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(外野手)。 武相高では1981年の夏の甲子園神奈川大会で準々決勝に進出するが、日大高に敗退。武相高校では遊撃手だった。高校卒業後の1982年、亜細亜大学へ進学し、外野手に転向する。東都大学野球リーグでは同期三原昇(東芝)、1年下の阿波野秀幸の両エースを擁し、3年時の1984年春季リーグの優勝に貢献。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝に進むが、3年西川佳明投手擁する法政大に延長11回法政2年山本貴のサヨナラ本塁打により3-×6で惜敗、準優勝にとどまる。リーグ通算85試合に出場し316打数76安打、打率.241、1本塁打、19打点。
北村 照文(きたむら てるふみ、1957年1月7日 - )は… 北村 照文(きたむら てるふみ、1957年1月7日 - )は、神奈川県・横浜市港北区出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ。 現役時代は俊足・好守が持ち味で、その華麗な外野守備からマスコミなどでは「鳥人」と形容された。 武相高では、1974年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、原辰徳らのいた東海大相模高に惜敗。高校同期に須田清見がいた。 高校卒業後は、社会人野球のキャタピラー三菱を経て三菱名古屋に入社。1978年の都市対抗野球では、電電東京との1回戦で大会史上初となるサイクルヒットを記録する。翌年の都市対抗野球にも出場するが、東芝府中との1回戦で石毛宏典(プリンスホテルから補強)に先制本塁打を喫し敗退。
須田 清見(すだ きよみ、1956年8月8日 - )は、神奈… 須田 清見(すだ きよみ、1956年8月8日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(内野手)。 武相高を卒業後、北村スポーツ商事に入社。その後、1975年オフにドラフト外でロッテオリオンズに入団。 1977年、一軍公式戦に出場することなく退団した。
金島 正彦(かねしま まさひこ、1953年11月29日 - … 金島 正彦(かねしま まさひこ、1953年11月29日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 武相高等学校ではエース根建忍を擁し、遊撃手、一番打者として1970年秋季関東大会に進むが、1回戦で木更津中央高に敗れる。翌1971年夏の甲子園県予選では決勝に進むが、桐蔭学園の大塚喜代美、土屋恵三郎のバッテリーに抑えられ敗退、甲子園出場を逸する。卒業後は専修大学へ入学。大学同期に大屋好正がいたが、1年で大学を中退し読売ジャイアンツの練習生となる。 1973年のドラフト7位で読売ジャイアンツに指名され入団。1974年のジュニア・オールスターにも選出されるが、一軍公式戦に出場しないまま1978年限りで引退。
根建 忍(ねだて しのぶ、1953年4月14日 - )は、神… 根建 忍(ねだて しのぶ、1953年4月14日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 武相高等学校では、エース、四番打者として1970年秋季関東大会に進むが、1回戦で木更津中央高に敗れる。翌1971年夏の甲子園県予選では決勝に進むが、桐蔭学園の大塚喜代美、土屋恵三郎のバッテリーに抑えられ敗退、甲子園出場を逸する。高校同期に遊撃手の金島正彦がいた。 1971年のドラフトに広島から7位指名され入団。一軍公式戦の出場はなく、1977年限りで引退。上手投げからカーブ、シュートを武器とした。引退後は家業を継いでいる。 お笑いコンビ『囲碁将棋』の根建太一は甥にあたる。
菅野 光夫(すがの みつお、1952年8月28日 - 200… 菅野 光夫(すがの みつお、1952年8月28日 - 2007年3月22日)は、茨城県出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。 武相高校では、1970年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、東海大相模に敗退。高校同期にエースの東門明がいた。 卒業後は社会人野球の三菱自動車川崎に入社。守備の名手として知られ、1974年の都市対抗では東芝の補強選手としてチームの準決勝進出に貢献。同年には全日本選抜メンバーとしてキューバに遠征する。 1975年、日本ハムにドラフト1位で入団。1977年には行沢久隆と遊撃手の定位置を争い、1979年からは主に二塁手として起用される。1981年の日本シリーズでは全試合に出場し、12打数5安打2打点の好記録を残す。
東門 明(とうもん あきら、1952年 - 1972年7月1… 東門 明(とうもん あきら、1952年 - 1972年7月14日)は、アマチュア野球選手(内野手)。 茅ヶ崎市立松浪中学校から武相高等学校に進み、投手として甲子園を目指すも、1970年(昭和45年)夏の甲子園神奈川県予選準々決勝で、甲子園出場の東海大相模に敗れる(東海大相模は同夏の甲子園大会で全国制覇を果たす)。同期には菅野光夫、1学年下に根建忍と金島正彦がいた。 1971年(昭和46年)、一般入試で早稲田大学教育学部に進学、同校野球部に所属する。高校の卒業文集には「我が青春に悔いはなし」と書き記した。打力を生かすために内野手へ転向し、2年春に三塁のレギュラーを獲得(背番号9)。リーグ戦での活躍(35打数14安打、打率.400〈リーグ6位〉1本塁打)により、第1回日米大学野球選手権大会日本代表に選出される。
島野 修(しまの おさむ、1950年6月2日 - 2010年… 島野 修(しまの おさむ、1950年6月2日 - 2010年5月8日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手、右投右打)、スーツアクター。 1981年から1998年の18年間に渡り、阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ球団マスコット「ブレービー」→「ネッピー」のスーツアクターとして活躍した。1976年から1978年の登録名は島野 修一。 実弟である島野直幸は東芝小向(現・川崎ブレイブサンダース)の元バスケットボール選手。 中学から野球を始める。この頃すでに、前任校で柴田勲を育てた実績のある教師が素質を認めていた。島野は家が裕福ではなかったため新聞配達のアルバイトをしており、特待生なら授業料が免除されるという理由で神奈川の強豪、武相高校に進学した。
木本 芳雄 / 奇本 芳雄(きもと よしお、1946年 ‐ … 木本 芳雄 / 奇本 芳雄(きもと よしお、1946年 ‐ )は、山形県出身の高校野球指導者、高校野球解説者、社会科教諭。旧姓・奇本。 神奈川県の武相高等学校野球部では5番・一塁手、副主将として、1964年の第46回全国高等学校野球選手権大会に出場している。駒澤大学進学後は、足の怪我を理由に指導者への転身を勧められ、母校・武相高のコーチを頼まれる。熱心に有望な中学生のスカウトにあたっていた。更に大学3年の時に武相高の監督が辞めた際には、奇本(当時)が実質的な監督状態となっていた。武相高からは大学の学費まで出してもらえており、教員になれるよう支援され、あとは正式な打診を待つばかりであった。しかし、学内の事情により、別の指導者が正式な監督に就任、はしごを外された状態となってしまう。
五十嵐 英夫(いがらし ひでお、1945年11月25日 - … 五十嵐 英夫(いがらし ひでお、1945年11月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 武相高校では1963年の夏の甲子園神奈川県予選の準々決勝に進出するが、法政二高に敗れる。卒業後は神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは4度の優勝に貢献。1学年下の片岡建との二本柱で活躍した。1年秋に防衛大学校戦で完全試合を達成。1966年の全日本大学野球選手権大会では、1回戦で立大を4安打1点に抑えて勝利。準決勝に進出するが日大に延長11回1-2で敗退。最優秀選手4回、ベストナイン3回。大学同期に雨宮捷年外野手がいる。 1967年ドラフト会議で近鉄バファローズから7位指名を受け入団。
井口 竜也(いぐち たつや)は、元アマチュア野球選手(内野手… 井口 竜也(いぐち たつや)は、元アマチュア野球選手(内野手)。 武相高校で三塁手として出場し、1982年の夏の県大会の準々決勝に進むが、その準々決勝で高田誠らがいた法政二高校に敗れ、甲子園への出場を果たすことができなかった。高校同期に佐藤和弘がいた。 その年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズから6位指名を受けたが入団を拒否し、日本鋼管に入社した。その後はチームがNKKとなった後も現役を続けた。 1987年に開催されたインターコンチネンタルカップの日本代表のメンバーにも選ばれた。 引退後は、少年野球での指導に当たった。
堂上 隼人 は、神奈川県横浜市神奈川区出身の元プロ野球選手(… 堂上 隼人 は、神奈川県横浜市神奈川区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
幡野 正秋(はたの まさあき)は、神奈川県出身の元社会人野球… 幡野 正秋(はたの まさあき)は、神奈川県出身の元社会人野球選手。ポジションは内野手(遊撃手、二塁手)。 武相高校では、1963年春季関東大会準決勝に進むが、宇都宮工に敗退。同年夏の甲子園神奈川県予選では準々決勝に進出するが、法政二高に敗れる。 神奈川大学に進学。神奈川五大学野球リーグでは在学中4回優勝。1966年の大学野球選手権は準決勝に進むが、日大に延長11回敗退。リーグ戦でベストナイン二塁手にも選出されている。 卒業後は三協精機に入社する。1968年ドラフト会議で阪神タイガースから7位で指名されるが入団を拒否し、会社に残留した。 都市対抗野球大会の常連として活躍。1974年の社会人野球日本選手権では、大塚喜代美の好投もあって、決勝で日本鋼管福山に完封勝利、優勝を飾る。