スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三宅 弘城(みやけ ひろき、1968年〈昭和43年〉1月14… 三宅 弘城(みやけ ひろき、1968年〈昭和43年〉1月14日 - )は、日本の俳優。神奈川県横須賀市出身。劇団ナイロン100℃所属。所属事務所は大人計画。石鹸名義でバンド「グループ魂」、パンクロックバンド「画鋲」のドラムを三宅名義で担当する。 身長165 cm。血液型はO型。特技は器械体操、ボクシング。 中学の頃から、KERA(のちの健康・ナイロン(ナイロン100℃)の主宰)が参加する有頂天を好んで聴いており、バンド活動でもドラムを叩いていた。 高校の頃に体操競技部に入部。器械体操の名門・日本体育大学への一般推薦入試も決まっていたが、体操ではなく水泳の飛び込みでの推薦だったため辞退し、東京国際大学に進学。
大下 哲矢(おおした てつや、1942年1月3日 - 202… 大下 哲矢(おおした てつや、1942年1月3日 - 2023年〈令和5年〉1月7日[要出典])は、日本の俳優。本名、小泉 弘徳(こいずみ ひろのり)。 神奈川県平塚市出身。法政大学中退。かとう企画に所属していた。 デビュー当時は、185cmの高身長と幼少期より培った柔道で爽やかなスポーツマンを演じることが多く、中年になると強面なスタイルを活かし、主に刑事ドラマや時代劇で味のある悪役を演じることがあった。 晩年は、元々の趣味である陶芸に精を出して山梨県北杜市に移住し、工房を構える。工房名「偏屈工房」。 愛犬の名前は「ほくと」(犬種:グレートピレニーズ)。 2023年〈令和5年〉1月7日、自宅にて体調不良を訴え倒れる。
川地 民夫(かわち たみお、1938年〈昭和13年〉7月21… 川地 民夫(かわち たみお、1938年〈昭和13年〉7月21日 - 2018年〈平成30年〉2月10日)は、日本の俳優。神奈川県逗子市出身。本名は河地猛。 1938年、神奈川県逗子市に生まれる。逗子開成高等学校卒業、関東学院大学工学部中退。 大学1年の頃に逗子の家の隣に石原裕次郎が住んでいたのが縁で裕次郎の勧めもあり日活に入社する。1958年、『陽のあたる坂道』でデビュー。小林旭、沢本忠雄と「三悪トリオ」として売り出し、アクション物、青春物に次々と主演する。その後、脇役に転じてから独特の個性に磨きがかかり、特に1963年の『野獣の青春』以来、鈴木清順監督に重用された。 日活退社後は、東映への出演が多く、特に1971年から9本作られた『まむしの兄弟』シリーズで見せたユーモラスな演技は、大いに人気を博した。
谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、19… 谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、1932年〈昭和7年〉2月22日 - 2010年〈平成22年〉9月11日)は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。 東京府荏原郡東調布町(現・東京都大田区田園調布)出身・三鷹市大沢に居住していた。渡辺プロダクション所属。中央大学経済学部中退、中央大学学員会三鷹支部会員。日本トロンボーン協会名誉会員。 写真家の吉田ルイ子は従妹にあたる。長男の渡部泰裕は映像ディレクター。 会社員の渡部四郎の長男として生まれる。祖父の渡部競一は福島県会津若松市出身で、現在の東京工業大学の前身の東京職工学校を卒業後、技師となり横須賀海軍工廠製造所や日本製鋼などに勤めたのち芝区(現在の東京都港区)三田四国町で鋼材を扱う成工商会を経営した。
南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日… 南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日 - 2001年1月)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。逗子開成中学出身。俳優の田宮二郎は従弟にあたる。 終戦の翌年に復員後、鎌倉アカデミアの演劇科に進学。演技の勉強を積んだのち1950年に太泉映画(後の東映)のニューフェース一期生に合格。 脇役として地道ながら数多くの作品に出演。 1961年から放送開始したテレビ映画『特別機動捜査隊』ではレギュラーの刑事役として10年活躍。しかし健康上の問題を理由に役者を引退した。 1991年の単発テレビ時代劇『忠臣蔵 風の巻・雲の巻』では浅野家家老の役でサプライズ出演を果たす。
徳山 璉(とくやま たまき、1903年〈明治36年〉7月27… 徳山 璉(とくやま たまき、1903年〈明治36年〉7月27日 - 1942年〈昭和17年〉1月28日)は、戦前から戦中に活躍した日本の声楽家(バリトン)・流行歌手・俳優。愛称は「徳さん」。 1903年(明治36年)7月27日、神奈川県高座郡藤沢町(現在の同県藤沢市)の開業医の家に生まれた。 開校したばかりの逗子開成中学校(現在の逗子開成高等学校)を経て、1928年(昭和3年)、東京音楽学校声楽科(現在の東京芸術大学音楽学部声楽科)を卒業。武蔵野音楽学校(現在の武蔵野音楽大学)の教師になったが、流行歌手として日本で初めて大スターになった佐藤千夜子のピアノ伴奏をした縁で、1930年(昭和5年)、ビクターから『叩け太鼓』で流行歌手としてデビュー。
岡田 時彦(おかだ ときひこ、本名・高橋英一、明治36年(1… 岡田 時彦(おかだ ときひこ、本名・高橋英一、明治36年(1903年)2月18日 - 昭和9年(1934年)1月16日)は、大正・昭和初期の日本の俳優。無声映画時代を代表する二枚目俳優であった。 東京市神田区宮本町(現・千代田区外神田2丁目)に生まれる。父の放浪癖のため、川崎に3年、茅ヶ崎に1年、その後逗子に移るなど各地を転々とした。大正4年(1915年)に神奈川師範附属小学校を卒業。同級生に江川宇礼雄、国木田虎雄、青柳信雄らがいた。旧制・逗子開成中学校(のち中退)には抜群の成績で入学したが、伊勢佐木町の映画館で観た『名金』に感動して、学業そっちのけで浅草六区に足を運ぶほど映画に熱中した。 大正9年(1920年)、4月に設立され、山下公園に撮影所をもつ横浜の映画会社大正活映(大活)の俳優募集に応募し、17歳で入社。