スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
春馬♨ゆかり(はるま ゆかり、1978年5月21日 - )は… 春馬♨ゆかり(はるま ゆかり、1978年5月21日 - )は、日本の女優、タレント。 神奈川県出身。法政大学文学部卒業。ディグ・エスト所属。 大学在学中に映画のオーディションに合格しデビュー。女優・タレントとして舞台・TVなどで活動中。演劇ユニット「おねがい鋼鉄ビンタ」のメンバーでもあり、定期的に公演を行っている。2014年1月、テレビ朝日「お願い!ランキング」内で入籍したことを発表した。2014年3月23日放送の日本テレビ「有吉反省会」への出演を機に「春馬♨ゆかり」に改名した。 温泉番組「秘湯ロマン」出演時、タオルや水着着用NGという場所で、入浴の際にバスタオルを使わなかったことが話題となった。
江口 燁子(えぐち あきこ、1959年12月21日 - )は… 江口 燁子(えぐち あきこ、1959年12月21日 - )は、日本の元女優。本名、田保 明子(たぼ あきこ)。別名義、江口 明子(読み同じ)。 東京都出身。法政大学女子高等学校卒業。 高校在学中よりモデルとして活動する。高校卒業後、劇団四季のオーディションに合格して研究生となる。 1979年、TBSのテレビドラマ『家路〜ママ・ドント・クライ』に、江口 明子の芸名で中華料理店の店員である大松カネ子役でレギュラー出演。当時の紹介記事では目標とする女優として、京マチ子と杉村春子を挙げている。 その後、江口燁子に改名。1980年より、特撮テレビドラマ『仮面ライダー (スカイライダー)』に、ヒロインの一人である小沢 アキ役でレギュラー出演した。
桑野 みゆき(くわの みゆき、1942年7月17日 - )は… 桑野 みゆき(くわの みゆき、1942年7月17日 - )は、日本の元女優。本名は斎藤みゆき。横浜市鶴見区出身。母は戦前の人気女優桑野通子。 1954年『緑はるかに』(井上梅次監督)の子役募集に応募して13歳で映画デビュー。1956年に松竹に入社。清純派女優として売り出すが、1960年に『青春残酷物語』(大島渚監督)で破滅へと疾走していく女性を演じて注目を浴びる。他に『赤ひげ』(1965年・黒澤明監督)、『大根と人参』(1965年・渋谷実監督)など、松竹を中心に100作を越える映画作品に出演する。 映画『春一番』において、後輩の松竹の看板女優の岩下志麻、倍賞千恵子と共演するが、撮影時から「長く松竹にいるが、松竹とハダが合わないんじゃないか」と悩み始める。
芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )… 芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )は日本の元女優。本名:伊藤 幸子(旧姓:芦川)。日活の黄金期を代表する女優として知られる。 東京市北区滝野川田端町で生まれる。後に神奈川県横浜市鶴見区矢向に移り住み、矢向小学校に通った。1944年空襲が激しくなったため、神奈川の桜井村(現在の小田原市栢山)に集団疎開し、戦後になって戻った。1952年に法政大学潤光女子高校を中退し、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する。同期に野添ひとみ、山鳩くるみらがいた。このとき芸名を「芦川いづみ」とする。 1953年にファッション・ショー出演中に松竹の川島雄三監督に認められ、川島監督の『東京マダムと大阪夫人』でデビューする。