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尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日… 尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日本の建築家、建築学者、教育者、環境学者、都市環境工学者、都市科学者。工学博士。早稲田大学名誉教授。 富山県生まれ。早稲田大学で建築都市環境に関する教育と研究、また研究成果の実践につとめた人物。 1970年に、早稲田大学にて日本で初めての都市環境工学講座を建築学科に設けた。 2008年からは 財団法人建築保全センター理事長ほか。アジア都市環境学会会長。 大阪万国博覧会、国際科学技術博覧会など、日本国内で開催された博覧会会場環境設計ほか多数。また、新東京国際空港や多摩ニュータウン・センター地区などの基本設計なども手がけている。 2008年、都市環境工学の発展に対する貢献で、日本建築学会賞受賞。
三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年(明治31年)1月2… 三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年(明治31年)1月25日 - 1961年(昭和36年)8月14日)は、大正から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。柔道7段。 富山県上新川郡新庄町(現富山市)で生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)を経て、1919年(大正8年)武道専門学校を卒業し、1921年(大正10年)同校研究科を修業した。 富山県立神通中学校(現富山県立富山中部高等学校)教諭に就任して1945年(昭和20年)まで在任し、柔道、野球の指導に努めた。その後、町立滑川薬業学校(現富山県立滑川高等学校)長、和合中学校長、呉羽中学校長を歴任。労働運動に加わり、呉羽中学校長在任中の1949年(昭和24年)に富山県教職員組合執行委員長に就任し、県全官公庁労働組合協議会議長も務めた。
南日 恒太郎(なんにち つねたろう、明治4年9月30日(18… 南日 恒太郎(なんにち つねたろう、明治4年9月30日(1871年11月12日) - 昭和3年(1928年)7月20日)は、明治から大正にかけての教育者・英文学者。旧制富山高等学校初代校長。 富山県富山市長江生まれ。実弟には田部隆次(英文学者)、田部重治(英文学者・登山家)がおり、英文学の南日三兄弟と呼ばれた。 恒太郎は努力家で学業が優秀だった。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)在学中の明治23年10月、文部大臣森有礼が来校し、突然英語で質問した際にも明快に答えたという。 1885年(明治18年)9月富山県尋常中学校に入学し、同期の南弘(官僚・富山県初の大臣)や蟹江義丸(哲学者)らと学び、旧制第四高等学校(現金沢大学)進学を目指したが、南弘と共に県に建白書を出してストライキに加担したこと、重い眼病になったことなどから中退し、5年で退学。
中田 榮一(中田 栄一、なかた えいいち、生年不詳 - 20… 中田 榮一(中田 栄一、なかた えいいち、生年不詳 - 2008年9月10日)は、日本の地理学者、歴史学者、教育者。立教大学教授、帝京大学教授、歴史地理学会名誉会員。 富山県出身。富山高等学校 (旧制)に入学し、石井逸太郎に学ぶ。 その後、京都帝国大学で地理学を専攻して卒業。京都帝国大学では高山岩男に師事し、歴史地理学への関心を高めた。 大学卒業後、東京小金井の国民精神文化研究所の助手となる。 2年ほど勤務した後、第二次大戦前に立教大学予科に務めると、予科教授となり、後に立教大学文学部助教授を経て、同教授を務めた。 1954年4月に、史学科で地理学を担当していた中田の誘いを受けて別技篤彦が立教大学史学科教授に赴任する。