スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
古井 康介(ふるい こうすけ、1995年(平成7年)5月25… 古井 康介(ふるい こうすけ、1995年(平成7年)5月25日 - )は、日本の政治家、実業家、社会起業家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。株式会社POTETO Media代表取締役社長。日本若者協議会理事。 1995年、富山県富山市生まれ。2008年秋のリーマン・ショックのあおりで父の飲食店が経営不振に陥り、部活の用具は買えず、光熱費を弟のバイト代でまかなうなど、弟2人を合わせ3人の子を抱える一家の生活は厳しくなったが、折よく始まった高校無償化と、進学先の高校の掲示板でたまたま見つけた奨学金制度に窮地を救われた。この経験により、「ひとりで乗り越えられない壁を乗り越えさせてくれるのが政治なんだろうな」と感じるとともに、遠い世界の話に思っていた政治が目の前の生活にかかわる大切なものだということを身をもって知ることとなり、後に政治をテーマにした事業を行う原体験となる。
福田 佳緒理(ふくた かおり、1988年5月12日 - )は… 福田 佳緒理(ふくた かおり、1988年5月12日 - )は、日本のフリーアナウンサー。富山県富山市出身。
松澤 くれは(まつざわ くれは、1986年6月28日 - )… 松澤 くれは(まつざわ くれは、1986年6月28日 - )は、日本の男性演出家、脚本家、小説家。富山県出身。劇団<火遊び>代表。妻は女優の齋藤明里。 富山県立富山高等学校、早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。小説を原作とする作品の舞台化を手がける一方、多数のオリジナル作品の脚本・演出を行っている。 2012年、芥川賞作家・中村文則のベストセラー『掏摸[スリ]』(第4回大江健三郎賞受賞作)を初めて舞台化した。 2013年、俳優座劇場にて真梨幸子の50万部超えベストセラー小説『殺人鬼フジコの衝動』(主演:新垣里沙)を舞台化した。2015年に再演。 2014年、古野まほろのデビュー作『天帝のはしたなき果実』を舞台化。
上野 蛍(うえの ほたる、1984年〈昭和59年〉7月7日 … 上野 蛍(うえの ほたる、1984年〈昭和59年〉7月7日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。同富山県総支部事務局長。同富山市支部幹事長。元富山市議会議員(3期)。 富山県富山市出身(現住所は富山市広田地区)。富山大学附属中学校、富山県立富山高等学校を卒業。日本大学中退後、介護施設の事務職として勤務。 2016年11月、富山市議会議員補欠選挙に無所属で立候補し、初当選。同月17日、富山市議2名、富山県議1名による地域政党政策チーム光を設立し、代表に就任。2017年、2021年の市議選でも再選された。2020年末に日本維新の会に入党。 2022年の第26回参議院議員通常選挙に日本維新の会公認で比例区から立候補したが次点で落選。
柴田 宏明(しばた ひろあき、1973年8月4日 - )は、… 柴田 宏明(しばた ひろあき、1973年8月4日 - )は、日本の男性アニメプロデューサー。富山県出身。東映アニメーション所属。 1992年に富山県立富山高等学校を卒業し、早稲田大学へ進学。1997年、東映アニメーションに入社。 『ONE PIECE』には開始当初から携わっており、1999年から2000年の間は製作進行を、2008年9月から2012年1月までの間と、2020年4月からは企画を担当している。劇場版作品にも企画、プロデューサーとして携わっており、『FILM STRONG WORLD』『FILM Z』『FILM RED』の3作品はそれまでのシリーズ最高興収記録を塗り替え、『FILM RED』はFILMシリーズおよび『ONE PIECE』の劇場版作品で初めて興行収入が100億円を突破している。
村井 宗明(むらい むねあき、1973年(昭和48年)5月3… 村井 宗明(むらい むねあき、1973年(昭和48年)5月30日 - )は、日本の実業家、政治家、ITエンジニア。民主党所属の元衆議院議員(3期)。文部科学大臣政務官、衆議院災害対策特別委員長、民主党富山県連代表などを歴任。現在は、東武トップツアーズ CDO。政界引退後は、Yahoo、gumi、日本政策学校、LINE株式会社、全国心理業連合会等の顧問・役員等を務める。富山県上新川郡大山町(現・富山市)出身。 著書である「総理、増税よりも競り下げ方式を! 脱・お役所価格で 財政再建」で主張した歳出削減策。2010年(平成22年)4月12日に競り下げのマニフェスト修正案を民主党に提出し、7月4日に菅直人内閣はその試行を閣議決定した。
金田 淳子(かねだ じゅんこ、1973年〈昭和48年〉 - … 金田 淳子(かねだ じゅんこ、1973年〈昭和48年〉 - )は、日本の社会学者。やおい・ボーイズラブ・同人誌研究家。富山県生まれ。愛称は「カネジュン」。 1973年(昭和48年)富山県生まれ。富山県立富山高等学校卒。東京大学法学部を卒業後、文学部に学士入学して卒業する。東京大学では上野千鶴子に師事、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(社会学)。ジェンダー論、社会学の視点から、やおいを研究している。かつて、法政大学で非常勤講師をしていた。詩と批評の雑誌『ユリイカ』での3回のBL特集および『美術手帖』のBL特集に編集協力、執筆するほか、朝日新聞や読売新聞などに女性のオタク文化の専門家・批評家としてコメントを寄せることが多い。
屋敷 陽太郎(やしき ようたろう、1970年6月11日 ‐)… 屋敷 陽太郎(やしき ようたろう、1970年6月11日 ‐)は、日本放送協会(NHK)所属のテレビプロデューサー。 富山県氷見市出身。富山市で育つ。 富山大学附属中学校、富山県立富山高等学校、京都大学法学部卒業。 大学在学中は、国際政治学を専攻(高坂正堯ゼミ)。有信会学生委員、法律相談部に所属。京都府明るい選挙推進委員も務めた。 1993年にNHK入局。番組制作局ドラマ番組部に配属。 95年から山形放送局に勤務。98年に番組制作局(現・制作局)ドラマ番組部異動。 2000年から2001年まで、海外派遣研修制度で、米国ロサンゼルスにて映画製作実務を学ぶ。 2017年、「真田丸」で、日本映画テレビプロデューサー協会プロデューサー賞を受賞。
豊田 康雄(とよた やすお、1969年8月18日 - )は、… 豊田 康雄(とよた やすお、1969年8月18日 - )は、関西テレビ放送所属のアナウンサー。 富山県富山市の出身 で、富山県立富山高等学校から中央大学法学部へ進学。小学生時代に朗読で言いよどまずに読み続けたことを教師に誉められたことがきっかけで、アナウンサーを志した。その一方で、高校時代はバスケットボール部で活動していた。 大学卒業後の1992年に、アナウンサーとして関西テレビへ入社。入社後は、平日夕方の報道・情報番組(『アタック600』→『アタック ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュースKANSAI』→『FNNスーパーニュースほっとKANSAI』)で、スポーツキャスター→サブキャスター→メインキャスターを務めた。
武道 優美子(ぶどう ゆみこ、旧姓:菊、1969年5月13日… 武道 優美子(ぶどう ゆみこ、旧姓:菊、1969年5月13日 - )は、北日本放送のアナウンサー。
森田 高(もりた たかし、1967年7月22日 ‐ )は、日… 森田 高(もりた たかし、1967年7月22日 ‐ )は、日本の政治家、医師。 参議院議員(1期)、総務大臣政務官(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)などを歴任。 兄はプログラマーでゲームクリエイターの森田和郎。 富山県富山市生まれ。富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校(理数科)、筑波大学医学専門学群卒業。1992年に筑波大学附属病院泌尿器科ジュニアレジデント、1997年に筑波大学附属病院泌尿器科チーフレジデント修了。その後東京逓信病院泌尿器科医員、住友生命保険医務査定室医長・同保険医事研究室医長、晋真会ベリタス病院泌尿器科医長兼健康管理科長を務める[要出典]。
野上 浩太郎(のがみ こうたろう、1967年〈昭和42年〉5… 野上 浩太郎(のがみ こうたろう、1967年〈昭和42年〉5月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)、自由民主党総務会長代理。 富山県議会議員(1期)、財務大臣政務官、参議院文教科学委員長、国土交通副大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣(第64代)、自由民主党参議院国会対策委員長などを歴任した。 富山県富山市生まれ(現住所は同市堀川町)。富山市立堀川小学校、富山市立堀川中学校、富山県立富山高等学校、慶應義塾大学商学部(国際経済学専攻)卒業。大学卒業後の1992年(平成4年)、三井不動産(都市開発事業部)に入社。1998年、祖父が創業した地元、新富自動車株式会社に入社。 1999年(平成11年)、富山県議会議員選挙に富山市選挙区から出馬し、初当選した。
北村 森(きたむら もり、1966年12月11日 - )は… 北村 森(きたむら もり、1966年12月11日 - )は、日本の編集者、コメンテーター、サイバー大学 IT総合学部教授。秋田大学 産学連携推進機構客員教授。元日経トレンディ編集長。 富山県生まれ。小学生の時に「暮しの手帖」を読み、その商品テストの徹底ぶりに魅せられ雑誌編集者を志す。 富山県立富山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1992年に日経ホーム出版社(現・日経BP)入社。「日経アドレ」「日経トレンディ」などの編集者としてホテル宿泊チェックなど数多くの商品テストに携わる。2005年に38歳で「日経トレンディ」の編集長に抜擢され、同誌の販売部数を流行情報誌ジャンルのトップに伸ばした。
三遊亭 良楽(さんゆうてい りょうらく、1963年11月1日… 三遊亭 良楽(さんゆうてい りょうらく、1963年11月1日 - )は、五代目圓楽一門会に所属する落語家。本名は大橋 元。出囃子は『といちんさ』。 富山県立富山高校卒業、富山大学工学部中退。 1987年、5代目三遊亭圓楽に入門。 二つ目(1990年)を経て、1992年、三遊亭真楽、三遊亭好太郎、三遊亭楽松、三遊亭竜楽、三遊亭愛楽、三遊亭京楽と共に真打に昇進。
松井 治伸(まつい はるのぶ、1960年6月2日 - )は、… 松井 治伸(まつい はるのぶ、1960年6月2日 - )は、NHKのエグゼクティブアナウンサー。現在は日本語センター出向。 富山県富山市出身。富山県立富山高等学校を経て、東京大学卒業後、1985年に入局。 主に報道・情報系、教養番組を担当してきた。 父・松井良治は富山商船高専などでのロシア語教師だった。富山放送局長を経て、日本語センターエグゼクティブアナウンサー。 2019年4月より「ラジオ深夜便」を担当する。
氷見野 良三(ひみの りょうぞう、1960年〈昭和35年〉4… 氷見野 良三(ひみの りょうぞう、1960年〈昭和35年〉4月25日 - )は、日本の大蔵・金融官僚、日本銀行副総裁。金融国際審議官、金融庁長官を務めた。 1960年4月25日 富山県富山市出身。富山県立富山高等学校に入学した頃は数学者志望であったが、高1の時に担任から、政治思想史家の文章を伺ったことで興味を持ち、政治思想史の研究者になりたいと考え始めた。富山高等学校卒業。1983年に東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業。高校時代の模試では常に三本指に入るほどの秀才だった。大学でも英才ぶりを発揮し、指導教官から「助手として大学に残って論文を書かないか」と、研究者(政治学)への道に誘われていたが、官僚の道を選び、国家公務員上級甲種試験(法律)を受け、1983年に大蔵省に入省。
新田 八朗(にった はちろう、1958年〈昭和33年〉8月2… 新田 八朗(にった はちろう、1958年〈昭和33年〉8月27日 - )は、日本の政治家、実業家。富山県知事(公選第21・22代)。無所属。 日本海ガス代表取締役社長、日本海ガス絆ホールディングス代表取締役社長、富山経済同友会代表幹事、富山青年会議所理事長、国際青年会議所副会頭、日本青年会議所会頭を歴任した。 富山県富山市生まれ。祖父は元富山県知事である高辻武邦。父は元日本海ガス社長の新田嗣治朗。女性初の北海道知事を務めた高橋はるみ参議院議員は姉。米州開発銀行理事等を務めた高橋毅は義兄。 富山大学教育学部附属小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校を経て、1981年一橋大学経済学部卒業、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。
本田信次(ほんだ しんじ、1958年(昭和33年) - )は… 本田信次(ほんだ しんじ、1958年(昭和33年) - )は、日本の詩人。
村椿 晃(むらつばき あきら、1957年〈昭和32年〉10月… 村椿 晃(むらつばき あきら、1957年〈昭和32年〉10月21日 - )は、日本の政治家。富山県魚津市長(3期)。 富山県黒部市出身。富山県立富山高等学校卒業。1980年(昭和55年)、東北大学法学部卒業。同年7月、富山県庁に入庁。2007年(平成19年)4月、地域振興課の初代課長に就任。2011年(平成23年)10月、高志の国文学館副館長に就任。2014年(平成26年)4月、生活環境文化部長に就任。 2016年(平成28年)1月15日に富山県庁を退職し、あくる1月16日に、魚津市長選挙に出馬する意向を表明した。 同年4月17日に行われた市長選挙に無所属で出馬。市内の自由民主党支部の役職や新川青年会議所理事長を務めた経験のある沢崎豊を破り、初当選した。
山田 重光(やまだ しげみつ、1957年6月29日 - )は… 山田 重光(やまだ しげみつ、1957年6月29日 - )は、元NHKのシニアアナウンサー。 富山県立富山高等学校を経て明治大学卒業後、1981年入局。現在では生活の基盤を九州に置いている。 以前は大相撲などのスポーツ実況で活躍していたが、2度目の福岡勤務中に離れ、以後は地域放送系に活動の軸足を移した。6月末に一度退職したが、10月に再びアナウンサーの職にもどっている。
田作 朋雄(たさく ともお、1955年10月 - )は、日本… 田作 朋雄(たさく ともお、1955年10月 - )は、日本の事業再生の専門家。PwCアドバイザリー合同会社シニアアドバイザー。元事業再生実務家協会常務理事。 アメリカで事業再生や破産法などを学び、また日本債券信用銀行ニューヨーク、ロンドン支店で事業再生などを手がけた。1997年に日本帰国後は、欧米での経験を元に事業再生を手がける。 帰国当時の日本における事業再生といえば、バランスシートの傷んだ企業に対して債権放棄を行うことであったという。田作は と異議を唱え、しばしば銀行や裁判所、弁護士と意見が対立したという。 産業再生機構取締役や整理回収機構企業再生検討委員会委員などを務めた。 日本債券信用銀行ニューヨーク、ロンドン支店に勤務
金子 慎 (かねこ しん、1955年〈昭和30年〉8月29日… 金子 慎 (かねこ しん、1955年〈昭和30年〉8月29日 - )は、日本の実業家、経営者。東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役会長。 富山県出身。富山県立富山高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。 金子は社長就任直後より、日本のアイドルグループ「ももいろクローバーZ」とコラボレーションした「ももクロ新幹線」を企画するなど、若者向けのイベントも積極的に実行し、若い社員の意見も取り入れることに積極的であった。それを発展させて、社長就任中頃に「推し旅アップデート」キャンペーンを展開するようになった。この「推し旅アップデート」キャンペーンは、アイドル以外にも、漫画やアニメの登場人物に対しての「推し旅」についての企画もなされている。
布村 幸彦(ぬのむら ゆきひこ、1955年2月15日 - )… 布村 幸彦(ぬのむら ゆきひこ、1955年2月15日 - )は、日本の文部科学官僚。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会において副事務総長を務めた。 富山県富山市出身。富山県立富山高等学校を経て、1978年に東京大学法学部を卒業し、文部省に入省。同期に合田隆史、藤木完治(入庁は科学技術庁)、1年後輩に前川喜平がいる。文部科学省大臣官房審議官(初等中等教育局担当)、スポーツ・青少年局長、初等中等教育局長、高等教育局長を歴任。東京オリンピック・パラリンピックの招致活動にも尽力した。2014年、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副事務総長に就任。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 事務総長の武藤敏郎をサポートした。
青島 明生(あおしま あけお、1955年 - )は、日本の弁… 青島 明生(あおしま あけお、1955年 - )は、日本の弁護士、オンブズマン。富山県弁護士会会長、中部弁護士会連合会理事長、NPO法人市民オンブズ富山代表理事等を歴任した。 富山県高岡市出身。富山市立東部小学校、富山市立東部中学校、富山県立富山高等学校を経て、静岡大学人文学部法経学科卒業。イタイイタイ病訴訟や、山中事件を手がけたほか、金沢大学法科大学院非常勤講師、特定非営利活動法人市民オンブズ富山代表理事等も歴任した。2012年富山県弁護士会会長。2017年から中部弁護士会連合会理事長を務め、消費者教育の促進などにあたった。
金井 豊(かない ゆたか、1954年〈昭和29年〉10月19… 金井 豊(かない ゆたか、1954年〈昭和29年〉10月19日 - )は、日本の経営者。北陸電力社長、会長を務めた。富山県出身。 富山県立富山高等学校理数科(85回)を経て、1977年に東京大学工学部産業機械工学科を卒業し、同年に北陸電力に入社した。2010年に常務、2013年に副社長を経て、2015年6月には社長に就任。志賀原子力発電所2号機の再稼働に向けて、安全審査を進展させ、2018年4月には、電力料金の値上げに踏み切った。2021年6月には会長に就任。第9代北陸経済連合会会長。
鹿熊 正一(かくま まさかず、1953年〈昭和28年〉5月1… 鹿熊 正一(かくま まさかず、1953年〈昭和28年〉5月13日 - )は、日本の政治家、会社役員。富山県議会議員(自由民主党)。自民党県議会議員会会長。 1953年、富山県下新川郡朝日町殿町に生まれる。1972年、富山県立富山高等学校卒業。1977年、東京大学法学部卒業。衆議院法制局に入る。1991年、富山県議会議員初当選。2010年、議長に就任した。 座右の銘は慎重敢為。スポーツ観戦、ゴルフ。 3つの重点施策は、「しなやかな地域経済の創出に努める」、「みんなが笑顔でいられる富山を目指す」、「生活・産業基盤並びに防災・減災基盤の整備に努める」。
今西 典子(いまにし のりこ、1951年 - )は、日本の言… 今西 典子(いまにし のりこ、1951年 - )は、日本の言語学者・英語学者。東京大学名誉教授。専門は、生成文法・ミニマリスト・プログラムなど。日本学術会議会員。 富山県生まれ。富山高校卒業。1974年お茶の水女子大学英文科卒業、1976年東京大学大学院人文科学研究科英語英米文学専攻修士課程修了、1977年同博士課程単位取得退学、富山大学文理学部(改組後人文学部)専任講師、1981年助教授、1982年お茶の水女子大学専任講師、1985年助教授、1995年東京大学人文社会系研究科助教授(英文科・英語学)、1996年教授。2017年定年退任、名誉教授。
田中 世津子(たなか せつこ、1950年〈昭和25年〉7月1… 田中 世津子(たなか せつこ、1950年〈昭和25年〉7月11日 - )は日本の女優。 富山県中新川郡立山町出身。生家は芸者の置屋。三人姉妹の長女。 中学生時代はバレーボールの選手。富山県立富山高等学校では、顧問の先生が素敵だったという理由で演劇部に入り活動。 成蹊大学文学部に入学、大学在学中に前進座付属俳優養成所(1期)に入所し、修了。前進座の舞台『左の腕』で初舞台。 趣味は日本舞踊、三味線。特技は富山弁。
古屋 和雄(ふるや かずお、1949年10月1日 - )は、… 古屋 和雄(ふるや かずお、1949年10月1日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。 富山県立富山高等学校を経て早稲田大学政治経済学部を卒業後、1972年入局。テレビ・ラジオの情報系(特に、生活情報系)を中心に担当した。その他、ソ連との漁業交渉や阪神大震災のレポートをしたり、様々な番組に関わった。「泣きの古屋」なんて言われたこともあった。 2013年4月より文化学園大学に教授として就任。同年7月からは文化外国語専門学校校長を兼任している。 健康番組では専門家から多角的な意見を引き出せるように努力した。
細川 興一(ほそかわ こういち、1947年6月17日 - )… 細川 興一(ほそかわ こういち、1947年6月17日 - )は、日本の大蔵官僚。富山県富山市出身(父も富山県、母は石川県)。血液型はB型。元日本政策金融公庫代表取締役総裁。 細川は地方行政に興味があったことから、当初は大蔵省(後の財務省)より自治省(後の総務省)が第1志望であった。大蔵省か自治省かで迷ったが、小粥正巳大臣官房秘書課長補佐の「君がこれから自治省に断りに行くことが、大蔵省での最初の仕事だよ」という一言で大蔵省入省を決意した。 地方行政に興味があったことから、国家公務員上級試験(甲種)を行政職で受験していた。しかし、大蔵省を志望する者は、法律職か経済職が大多数だった。細川曰く「『大蔵省では行政職は採らない』と言われた。
又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月1… 又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月18日 - 2023年〈令和5年〉9月18日)は、日本の政治家、労働運動家、地方公務員。参議院議員(3期)、社会民主党幹事長(第5代・第7代)、副党首、党首(第5代)を歴任。 1944年7月18日、富山県富山市生まれ。1962年、富山県立富山高等学校卒業。1965年、富山県庁就職。1974年、自治労富山県本部書記長に就任。1995年、自治労富山県本部執行委員長就任。 2001年、第19回参議院議員通常選挙に社会民主党公認で比例区から立候補し、初当選した。 2003年、幹事長・福島瑞穂の党首就任により、幹事長就任。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙で再選(比例区)。
長勢 甚遠(ながせ じんえん、1943年〈昭和18年〉10月… 長勢 甚遠(ながせ じんえん、1943年〈昭和18年〉10月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。 法務大臣(第77代)、内閣官房副長官(第3次小泉改造内閣)、法務副大臣(第2次森改造内閣)等を歴任。富山県魚津市名誉市民。 富山県魚津市石垣に生まれ、小学校入学時に父親の仕事の関係で富山市在住となった。富山市立柳町小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。東大法学部第3類(政治コース)在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。 1966年、労働省(現、厚生労働省)に入省する。1986年6月、労政局労働法規課長。
竺 覚暁(ちく かくぎょう、1942年5月6日 -2020年… 竺 覚暁(ちく かくぎょう、1942年5月6日 -2020年4月20日)は、日本の建築史学者。科学技術稀覯書研究家。金沢工業大学ライブラリセンター館長。同建築アーカイヴス研究所顧問。 富山県立富山高等学校から工学院大学建築学科に進み、1966年に卒業。そのあと富山大学文理学部文学科で哲学を学び、1969年に卒業する。工学博士(東京大学)。 1971年に金沢工業大学助手となり、1981年に教授に就任した。以後同学で教職に就く傍ら、1985 - 1987年にはマサチューセッツ工科大学で国際問題研究センターおよび科学・技術・社会プログラム兼任客員研究員、1990 - 1991年にはアメリカ議会図書館の国際研究員を務めている。
犬島 伸一郎(いぬしま しんいちろう、1940年〈昭和15年… 犬島 伸一郎(いぬしま しんいちろう、1940年〈昭和15年〉3月26日 - )は、日本の経営者。北陸銀行頭取を務めた。 富山県出身。富山県立富山高等学校(70回)を経て、1963年に京都大学経済学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年6月には頭取に就任。2002年6月に特別顧問に就任し、2004年6月には特別参与に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日… 尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日本の建築家、建築学者、教育者、環境学者、都市環境工学者、都市科学者。工学博士。早稲田大学名誉教授。 富山県生まれ。早稲田大学で建築都市環境に関する教育と研究、また研究成果の実践につとめた人物。 1970年に、早稲田大学にて日本で初めての都市環境工学講座を建築学科に設けた。 2008年からは 財団法人建築保全センター理事長ほか。アジア都市環境学会会長。 大阪万国博覧会、国際科学技術博覧会など、日本国内で開催された博覧会会場環境設計ほか多数。また、新東京国際空港や多摩ニュータウン・センター地区などの基本設計なども手がけている。 2008年、都市環境工学の発展に対する貢献で、日本建築学会賞受賞。
久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 200… 久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。テレビドラマ、小説ともに受賞多数。 歌謡曲作詞や脚本家としてのペンネームに市川 睦月(いちかわ むつき)、小谷 夏(こたに なつ)、林 紫乃(はやし しの)など。兄は元参院議員・金融再生委員長を務めた久世公堯。母方叔母に置塩壽。 当時の東京市杉並区阿佐谷生まれ。 父親は陸軍少将の久世弥三吉で転属により、小学校2年のとき北海道札幌市へ移り、終戦の年に両親の故郷・富山県富山市へ疎開し、その後高校卒業まで富山で育つ。富山市立西田地方小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業後、ラジオ東京(現・TBSHD)入社。
永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998… 永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998年8月22日)は日本の政治家、官僚。参議院議員(3期)。自由民主党小渕派に所属した。 富山県新湊市生まれ。富山県立射水中学校、富山高等学校を経て、東京大学法学部入学。在学中に司法試験合格。 1954年、大学卒業後、建設省入省。熊本県に3年、日本道路公団に4年、茨城県に5年勤務。1982年、建設省計画局長に就任。その後、国土庁に移り、土地局長、官房長を務める。1985年、国土事務次官に就任。 1986年、国土庁を退官。同年7月6日の第14回参議院議員通常選挙富山県選挙区に同年6月28日に死去した沖外夫の後継候補として立候補し、初当選。1992年の第16回参議院議員通常選挙再選。
北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28… 北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28日 - 2010年(平成22年)6月17日)は、日本の法学者(租税法)。法学博士(立命館大学・論文博士・1974年)。日本大学法学部教授を経て、日本大学名誉教授。 富山県富山市大広田生まれ。学位は法学博士(1974年)、税理士・弁護士資格保有。租税法を専攻し、納税を国民の権利としての側面から再評価した「納税者基本権論」を展開する。 国税不服審判所による審判や裁判所での判決に対して、憲法を基礎に国民を主体にした批判・研究を展開、多くの論文を発表した。 憲法を軸に置いた視点からの判例研究では嚆矢となる。裁判での証人も引き受け、納税者に有利な判決を勝ち取った点も高く評価される。
福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 202… 福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 2025年2月8日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。富山弁護士会所属。自衛隊違憲判決を初めて下した判事である。海軍兵学校、京都大学法学部出身。 富山市出身。旧制富山中学を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校入学(78期)、306分隊に所属。終戦後、1953年(昭和28年)京都大学法学部卒業。裁判所書記官を務めながら司法試験に合格。 1959年(昭和34年)、第11期司法修習修了。1969年(昭和44年)、判事。1969年(昭和44年)9月14日、札幌地方裁判所で長沼ナイキ訴訟を裁判長として担当していた福島に対し、当時札幌地裁所長であった平賀健太が、原告の申立を却下するよう示唆した書簡を渡す(平賀書簡問題)。
奥田 靖雄(おくだ やすお、1919年10月19日 - 20… 奥田 靖雄(おくだ やすお、1919年10月19日 - 2002年3月22日)は、日本の言語学者、国語教育の理論家・指導者。 本名は布村政雄。富山県富山市出身。日露協会立専門学校ハルピン学院を卒業、建国大学研究院助手。戦前は民族学を専攻したが、戦後、言語学に転じ、言語学研究会および教育科学研究会・国語部会を指導。宮城教育大学教授を経て、同大学名誉教授。学位は文学博士(大阪大学・1993年)。 1919年10月19日、富山県富山市愛宕町に生まれる。。1932年に富山県立富山中学校(現・富山県立富山高等学校)に入学。1933年に両親が死去。兄・布村一男を頼って満州国に渡り、新京商業学校を経て、日露協会立専門学校ハルピン学院入学。
相川 春喜(あいかわ はるき、1909年〈明治42年〉8月1… 相川 春喜(あいかわ はるき、1909年〈明治42年〉8月15日 - 1953年〈昭和28年〉4月29日)は、日本の科学史家、社会運動家。本名は矢浪久雄。 第二次世界大戦前の時期に唯物論研究会に参加し、技術史、科学哲学を中心にした理論学習運動の中核を担い、戦後は、シベリア抑留を経て、アジア地域における抑留者引揚運動に尽力した。第四高等学校中退。 新潟県高田市(現・新潟県上越市)南土橋出身。新潟師範附属小学校、佐渡河原田小学校、佐渡中学校、富山中学校を経て、第四高等学校文科乙類に首席で入学後、社会研究会、全国学聯支部に加盟。1928年6月の学生ストライキの責任者となる。 1929年、卒業試験後、雑誌「広場」の編集責任者であることを理由として卒業を取り消され、退学を命ぜられる。
桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)… 桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)4月9日 - 1976年(昭和51年)3月9日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員(2期)。旧姓は南日。 富山県上新川郡山室村(現富山市)で南日恒太郎の四男として生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部農学科を卒業した。 1931年、東礪波郡油田村三郎丸(砺波町を経て現砺波市)の大地主、12代・桜井宗一郎の養子となり、農林省に入省した。三重県耕地課長、和歌山県農地部長、農林省土地改良課長、同設計課長、同建設部長などを歴任。この間、東京大学講師、日本農業土木学会副会長、国際かんがい排水委員会日本代表なども務めた。
志田 延義(しだ のぶよし / えんぎ、1906年6月10日… 志田 延義(しだ のぶよし / えんぎ、1906年6月10日 - 2003年8月3日)は、日本の国文学者。専門は日本古代歌謡。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1957年)。鶴見大学名誉教授、山梨大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 富山県富山市出身。志田義秀の次男。富山中学校、甲南高等学校を経て、1930年東京帝国大学国文科卒。学問で久松潜一、短歌で佐佐木信綱に師事する。 神奈川県立の中学校教諭の後、1932年国民精神文化研究所助手、1937年同研究員として『国体の本義』研究、二度の中国への出張などの戦争協力を行う。戦後、公職追放。1952年から日本大学などで講師、1953年鶴見女子短期大学教授、1955年山梨大学教授、1957年歌謡研究で東京大学より文学博士の学位を取得、1966-1969年学芸学部長・教育学部長、1966-1981年国語審議会委員、1972年山梨大定年退官、名誉教授、鶴見女子大学文学部長、1977年辞職、鶴見大学名誉教授、勲三等旭日中綬章受章。
見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 197… 見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 1975年8月9日)は、日本の哲学者・マルクス主義経済学者・ヘーゲル研究者。旧姓は甘粕、筆名「佐竹 恒有」、「瀬木 健」。 1906年、島根県津和野生まれ。1923年3月県立富山中学校4学年修了。1927年3月旧制第四高等学校理科卒業。1930年京都帝国大学文学部哲学科卒業。波多野精一に師事し、ヘーゲルの歴史哲学を研究した。 1930年4月に同大学大学院に進学し、同時に平安女学院講師に就職するが、1931年3月に大学院を退学。同年4月に平安女学院講師も退職する。1932年10月に創立された唯物論研究会に11月に参加。1933年機関誌『唯物論研究』に執筆開始。
瀧口 修造(たきぐち しゅうぞう、1903年(明治36年)1… 瀧口 修造(たきぐち しゅうぞう、1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)は、近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱であり、近代詩の詩人とは一線を画す存在。 1903年、富山県婦負郡寒江村(のち呉羽町、現:富山市)大塚に3人姉弟の長男として生まれる。家は祖父の代から医者であり、長男の修造は当然家業を継ぐものとして期待されていた。だが、それに反するかのように本人は子供の頃から大の学校嫌いで、よく家の大黒柱につかまっていたという。小学5年生のある日、父の勤めている病院に連れて行ってもらい、実際の手術の現場を見せてもらったところ、あやうく卒倒しかける。
高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - … 高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 折口信夫に師事(著書『折口学への招待』(桜楓社)がある)、折口信夫の五博士のうちの一人である。著作は『高崎正秀著作集』(桜楓社、全8巻、1971年)にまとめられている。
大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4… 大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4月9日 - 1970年(昭和45年)2月26日)は、日本の民俗学者。 1900年、富山県富山市愛宕町生まれ。呉服屋を営む旧家に生まれ、父は富山橋北銀行の頭取。富山中学校、第四高等学校卒、1927年、東京帝国大学文学部独文科卒。在学中、新人会に所属し、幹事長を務める。 卒業後には労働農民党書記を務め、日本共産党に入る。金沢連隊に入営ののち、1927年三・一五事件で三年間下獄。大間知ら、1927年2月『政治批判』創刊、1928年2月まで。1931年、出所して大宅壮一の翻訳団に加わる。1933年より柳田國男に師事、民間伝承の会(現日本民俗学会)の創立に参加。
浅尾 荘一郎(あさお そういちろう、1898年12月29日 … 浅尾 荘一郎(あさお そういちろう、1898年12月29日 - 1978年5月31日)は、日本の電子工学者。富山県出身。 銀セシウム光電管の光電感度を飛躍的に高めた。また日本真空協会会長の初代会長を務めた。 妻は大日本帝国陸軍軍人・矢木亮太郎の長女。長女の夫は西洋史学者で大東文化大学名誉教授の穂積重行。次女の徳川陽子は物理学者で東京工芸大学名誉教授。同夫は言語学者で大阪大学名誉教授の徳川宗賢。孫は日本史学者で東京大学教授の松方冬子。 旧制富山中学、旧制四高を経て、1923年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業後、東京電気に入社。 ドイツのエルスターおよびガイテルにより1888年に発明された光電管は光電感度が低く実用で使えるものではなかった。
三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年(明治31年)1月2… 三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年(明治31年)1月25日 - 1961年(昭和36年)8月14日)は、大正から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。柔道7段。 富山県上新川郡新庄町(現富山市)で生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)を経て、1919年(大正8年)武道専門学校を卒業し、1921年(大正10年)同校研究科を修業した。 富山県立神通中学校(現富山県立富山中部高等学校)教諭に就任して1945年(昭和20年)まで在任し、柔道、野球の指導に努めた。その後、町立滑川薬業学校(現富山県立滑川高等学校)長、和合中学校長、呉羽中学校長を歴任。労働運動に加わり、呉羽中学校長在任中の1949年(昭和24年)に富山県教職員組合執行委員長に就任し、県全官公庁労働組合協議会議長も務めた。
渡辺 順三(わたなべ じゅんぞう、1894年9月10日 - … 渡辺 順三(わたなべ じゅんぞう、1894年9月10日 - 1972年2月26日)は、大正・昭和期の歌人。 富山県富山市に生まれる。士族の家柄で、祖父は富山藩砲術指南である。しかし家は維新後に没落。父は小学校の校長を勤めたが、精神病を患い順三が12歳のときに亡くなった。姉夫婦の援助で富山中学校に進学するが、他人の世話になることを好まない母の方針により三ヶ月で中退し、母とともに上京して、神田の家具店に住み込みで働き始めた。母は東京控訴院検事長河村善益の家の住み込み女中となった。 1910年、流行性脳脊髄膜炎にかかり、その後遺症で左耳の聴覚を失う。1913年頃から「時事新報」の窪田空穂選歌欄へ投稿を始め、「国民文学」創刊にも参加し、空穂に師事する。