スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山本 雅弘(やまもと まさひろ、1951年5月23日 - )… 山本 雅弘(やまもと まさひろ、1951年5月23日 - )は、石川県白山市出身の野球指導者。星稜中学校、遊学館高等学校の監督を歴任した。理論(ビデオ分析等)立てた指導で知られる。 白山市立鳥越中学校在学時は軟式野球部に所属。石川県立金沢桜丘高等学校在学時には陸上競技に打ち込んだ。教員を目指して日本体育大学に進学し、卒業後は星稜高等学校に赴任。1990年に同校付属の星稜中学校野球部監督に就任すると11年の在任期間中に9度の全国大会に出場。全国中学校軟式野球大会で2度、全日本少年軟式野球大会で1度それぞれ優勝を果たす。同校は全国で唯一全国中学校軟式野球大会と全日本少年軟式野球大会の両方で優勝経験のある学校であると同時に、両大会での優勝経験を持つ監督は山本と後任の田中辰治のみである。
西能 勇夫(さいのう いさお、1938年5月28日 - )は… 西能 勇夫(さいのう いさお、1938年5月28日 - )は、石川県出身の元プロ野球選手。 金沢桜丘高校から金沢鉄道管理局を経て1958年に大阪タイガースへ入団。1959年に退団。
大根 晃(おおね あきら、1935年7月15日 - )は、石… 大根 晃(おおね あきら、1935年7月15日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 金沢桜丘高校時代は、高校1年からエースで4番だった。高校3年時には1953年春の甲子園に出場(初戦で、浪華商に0-7で大敗)。夏は県大会準決勝・決勝で2試合連続ノーヒットノーラン達成し優勝したが、北陸大会で金沢泉丘高校(その後、本大会に出場)に敗退し、甲子園に行けなかった。この事でプロ入りを決意し、秋に大阪タイガースの入団テストを受けて合格し、入団した。 ルーキーイヤーの1954年7月8日に洋松戦(大阪スタヂアム)で、プロ入り初登板にして初先発。タイガースの選手において、初の石川県出身者として出場を果たした。
横井 啓二(よこい けいじ、1930年7月15日 - )は、… 横井 啓二(よこい けいじ、1930年7月15日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは捕手、内野手。 石川県金沢市出身。金沢三中時代は、1948年春の甲子園に出場(初戦で、北野中に3-5で惜敗)。夏は投手・三塁手・右翼手など、色々な守備についたが県大会予選でライバルの金沢一中に敗退し、甲子園に行けなかった。 卒業後は、社会人野球の強豪・日鉄鉱業二瀬に入団。ここで真野春美監督と出会い、真野監督が同じ大学(明治大学)の後輩に当たる松木謙治郎に三船正俊投手と共に紹介したことが縁で、1951年に大阪タイガースに入団した。石川県出身者としては初のプロ野球選手かつ初のタイガース選手でもあったが、翌1952年に選手登録(1952年は内野手、1953年は捕手として登録)されるも三船とは違い、一軍出場を果たすことなく1953年に退団した。