佐野 大夢(さの ひろむ、1990年10月4日 - )は、山… 佐野 大夢(さの ひろむ、1990年10月4日 - )は、山梨県出身のサッカー選手。ポジションはMF。
山梨県立韮崎高等学校:23人
佐野 大夢(さの ひろむ、1990年10月4日 - )は、山… 佐野 大夢(さの ひろむ、1990年10月4日 - )は、山梨県出身のサッカー選手。ポジションはMF。
柏 好文(かしわ よしふみ、1987年7月28日 - )は、… 柏 好文(かしわ よしふみ、1987年7月28日 - )は、山梨県南巨摩郡増穂町(現:富士川町)出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 旧・南巨摩郡増穂町の出身。長谷川悠は小学校の同級生であり、共に増穂サッカースポーツ少年団でサッカーを学ぶ。中学は地元強豪・フォルトゥナSCでプレー。 2003年、名門の山梨県立韮崎高等学校へと進学する。2年先輩に千野俊樹。2004年高校2年時のインターハイでベスト8に進出、この頃から名を知られるようになる。 2006年、国士舘大学へ入学、大学サッカーの強豪・国士大サッカー部に入団する。同期に伊東俊・内藤圭佑・先崎勝也がいた。3年上の先輩に養父雄仁・柴崎晃誠、1年後輩に塩谷司がいる。
小野 博信(おの ひろのぶ、1987年7月7日 - )は、山… 小野 博信(おの ひろのぶ、1987年7月7日 - )は、山梨県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。現在は地元山梨県のヴァンフォーレ甲府で広報担当を務めている。 2010年4月10日の鳥栖戦の遠征の際の飛行機移動が自身初の飛行機搭乗だった。
平嶋 裕輔(ひらしま ゆうすけ、1986年5月31日 - )… 平嶋 裕輔(ひらしま ゆうすけ、1986年5月31日 - )は、山梨県出身のサッカー指導者。 2009年、筑波大学蹴球部で指導者のキャリアをスタートさせた。2012年4月には、U-14北マリアナ諸島代表のGKコーチとしてAFC U-14フェスティバルに帯同した。 2014年より、カマタマーレ讃岐のGKコーチに就任したが、契約満了により2016年シーズンをもって退任。
千野 俊樹(ちの としき、1985年7月19日 - )は、山… 千野 俊樹(ちの としき、1985年7月19日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手。 韮崎高校時代から指定強化選手として甲府の練習に参加。2004年にヴァンフォーレ甲府に入団。2004年シーズンはボランチとして7試合に出場。2006年4月にTDK(後のブラウブリッツ秋田)に移籍。2011年限りで現役引退を発表。
小澤 亮介(おざわ りょうすけ、1983年4月10日 - )… 小澤 亮介(おざわ りょうすけ、1983年4月10日 - )は、日本のプロサッカー選手、指導者。山梨県出身。 1983年、山梨県韮崎市出身。幼少期は韮崎市の少年団、甘利サッカースポーツ少年団でサッカーを始める。 高校時代は韮崎高校に進学しサッカー部に入部、キャプテンを務めた2001年のインターハイでは3回戦まで進出した。 高校卒業後は新潟にあるアルビレックス新潟の下部組織でもあるJAPANサッカーカレッジに進みプロサッカー選手を目指す。卒業後、アルビレックス新潟シンガポールに入団したが1年で契約終了となった。 2011年、ヴァンフォーレ甲府アカデミーに入団し、指導者を始める。 2020年にヴァンフォーレ甲府U-12の監督に就任し、2021年には全日本U-12サッカー選手権大会に出場している。
高部 聖(たかべ あきら、1982年5月9日 - )は、山梨… 高部 聖(たかべ あきら、1982年5月9日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手である。ポジションはFW。2006年に現役を引退。現在は地元の山梨県南アルプス市でWING Futsal Club代表 幼児-小学生のスクール指導をおこなっている。中学生サッカークラブチームFC ALASERIO 代表
深井 正樹(ふかい まさき、1980年9月13日 - )は、… 深井 正樹(ふかい まさき、1980年9月13日 - )は、山梨県南巨摩郡増穂町(現:富士川町)出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 増穂小学校在学中に増穂サッカースポーツ少年団にてサッカーを始める。6年生で全国大会出場も経験。 増穂中学校に入学、甲西トラベッソ(旧甲西町・現南アルプス市)に入団。クラブの「ドリブルが得意な選手を育てる」指導方針の元、ドリブルという武器が生まれる。 1996年、山梨県立韮崎高校に進学。1、3年時に全国選手権に出場し、いずれも早期敗退のため全国的には無名であったが、1回戦で敗退した3年の選手権終了後には「もっと見てみたい選手だった」と紹介する記事も存在した。
鶴見 智美(つるみ ともよし、1979年10月12日 - )… 鶴見 智美(つるみ ともよし、1979年10月12日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 スピードはないが、人に対する強さと正確なフィードがあり、本職はボランチだが守備的なポジションならどこでもこなしていた。 1999年のユニバーシアード代表、U-20日本代表に選ばれる。筑波大学の時には日本代表との練習試合で三浦知良を抑え注目を集める。 プロデビューした2002年には甲府の主力として8得点を挙げる活躍をする。2003年には大木武監督に連れられる形で清水エスパルスへ期限付き移籍し、コンスタントに出場機会を得るなどして翌2004年には完全移籍する。
石原 克哉(いしはら かつや、1978年10月2日 - )は… 石原 克哉(いしはら かつや、1978年10月2日 - )は、山梨県韮崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー 2001年のプロデビュー以来、ヴァンフォーレ甲府一筋のバンディエラ。 順天堂大学卒業後の2001年のシーズン開幕直後の4月にヴァンフォーレ甲府に加入し一年目から30試合に出場。以降もレギュラーに定着し、地元出身選手ということもあり名実ともに甲府の中心となっていく。2005年はJ2リーグ戦、入れ替え戦全試合に出場しチームの初昇格に大きく貢献。 J1初挑戦となった2006年、第2節のジェフユナイテッド市原・千葉戦(千葉2-2甲府、フクダ電子アリーナ)では右サイドからのクロスが流れたところを中央に折り返し堀井岳也の得点をアシスト。
中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は… 中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロサッカー選手、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元日本代表。国際サッカー評議会(IFAB)諮問委員・一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」代表理事・観光庁「アドバイザリー・ボード」メンバー・株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANY代表取締役。 日本代表のFIFAワールドカップ(以下W杯)3大会連続出場に貢献。FIFA100選。アジア年間最優秀選手賞2回。イタリア政府よりイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ)受章。U-17世界選手権(現在のU-17W杯)、ワールドユース(現在のU-20W杯) 、U-23オリンピック 、コンフェデレーションズカップ 、W杯 、以上のナショナルチーム主要世界大会すべてでゴールをあげた唯一の日本人選手。
堀井 岳也(ほりい がくや、1975年7月3日 - )は、山… 堀井 岳也(ほりい がくや、1975年7月3日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。 1984年に貢川サッカースポーツ少年団に入団。昭和町立押原中学校を経て山梨県立韮崎高等学校に入学してサッカー部に入部。在学中、1991年、1993年の2回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。中田英寿は1年後輩。卒業後は青山学院大学に入学し、サッカー部でプレーした。 大学卒業後地元山梨県に戻り、当時旧JFL所属だったヴァンフォーレ甲府に入団。翌年甲府は新設されたJリーグ2部に参入した。堀井は2年間で49試合に出場して合計8得点を挙げた。 2000年にモンテディオ山形に移籍。2001年9月、コンサドーレ札幌にレンタル移籍で加入した。
仲田 建二(なかだ けんじ、1973年10月4日 - )は、… 仲田 建二(なかだ けんじ、1973年10月4日 - )は、山梨県北巨摩郡須玉町(現:北杜市) 出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1996年に地元・甲府に入団以来10年間、DFの要として最終ラインを支え続けた。J2参戦後は主将を務め、「ミスター・ヴァンフォーレ」としてファンから愛された。 1999年から3年連続J2最下位、2000年にはJリーグワーストの19連敗、さらに深刻な経営難という苦しいチーム状況の中でも仲田の奮闘ぶりは光った。2000年シーズン終了後に一旦は戦力外通告を受けるも、結局翌2001年シーズン直前にクラブと再契約を交わしている。背番号が同シーズンのみお馴染みの"6"でないのはそのため。
大柴 克友(おおしば かつとも、1973年5月10日 - )… 大柴 克友(おおしば かつとも、1973年5月10日 - )は、山梨県出身の元プロサッカー選手(ポジションはFW)、サッカー指導者。 現役時代はヴァンフォーレ甲府、ジェフユナイテッド市原、ベガルタ仙台に在籍した。また、甲府時代から所属した各チームで、長身FWバロンとのコンビで数々の活躍を見せてきた。 2007年4月に仙台から現役引退が発表された際、ミズノアルファサービス社とプロコーチ契約を結んで、ミズノサッカースクールで活動していると紹介された。「ミズノサッカースクール MFP所沢校」の指導を経て、ジェフ千葉のU-15アシスタントコーチとなり中学生年代の指導に当たった。2009年よりジェフユナイテッド市原・千葉のU-18コーチ、さらに2010年よりジェフリザーブスのコーチとなった。
坂本 武久(さかもと たけひさ、1971年8月26日 - )… 坂本 武久(さかもと たけひさ、1971年8月26日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはGK(ゴールキーパー)。 高校時代は低迷していた韮崎高校の正GKとして1989年、7年ぶりとなる全国高校サッカー選手権への出場に貢献。 明治大学を経て 1994年に地元クラブチームの甲府サッカークラブに入団。同年の第74回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦においてJリーグでサントリーシリーズを制覇したサンフレッチェ広島相手に90分間ノーゴールという鉄壁を見せた(延長戦で2失点し、敗退)。ヴァンフォーレ甲府と改称した1995年の試合中に選手生命を脅かす程の大怪我を負うものの復活し、Jリーグに参入した1999年まで甲府の正GKとしてゴールを守っていた。
斉木 和人(さいき かずと、1970年4月30日 - )は、… 斉木 和人(さいき かずと、1970年4月30日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手。 サッカーの強豪山梨県立韮崎高等学校、青山学院大学を経て1993年にJリーグ・横浜マリノスへ入団する。しかし出場機会を得られないまま1994年に退団。 1995年にJリーグ入りを目指す地元チーム・ヴァンフォーレ甲府に入団。ここでキャプテンに指名され、レギュラーとして活躍。チームのJリーグ参入に貢献した。1998年にはJFLオールスターサッカーにも出場している。 1999年にJリーグチーム・ヴァンフォーレ甲府の初代キャプテンに就任し、リーグ31試合に出場するもこの年で退団。その後オーストラリアに渡るも2000年に引退した。
山本 健二(やまもと けんじ、1965年8月28日 - )は… 山本 健二(やまもと けんじ、1965年8月28日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。 山梨県立韮崎高等学校では1学年上に保坂孝、羽中田昌がいる。全国高等学校サッカー選手権大会では2年時に準優勝(第61回)、3年時にベスト4進出(第62回)に貢献。両大会で優秀選手に選ばれ、日本高校選抜のヨーロッパ遠征に参加した。 駒澤大学を卒業後、1988年に日本サッカーリーグの古河電工に加入。加入初年度の1988-89シーズンのJSL1部では第1節から出場機会をつかみ19試合に出場。4シーズンの間にJSL1部通算53試合に出場した。 1992年、プロ化によりジェフユナイテッド市原へと移行後もチームに在籍し、同年のJリーグカップでは1試合に出場 したが同年限りで退団。
羽中田 昌(はちゅうだ まさし、1964年7月19日 - )… 羽中田 昌(はちゅうだ まさし、1964年7月19日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、解説者およびスポーツエッセイスト。JFA 公認S級コーチ(2006年取得)。 甲府市丸の内で家具商を営む羽中田家の次男として生まれる。6歳上の兄の影響で小さいころからサッカーに親しみ、甲府市立春日小学校(現:甲府市立舞鶴小学校)3年時にサッカー少年団が設立されるとこれに入部してサッカーに熱中するようになった。少年時代から切れ味鋭いドリブル突破が持ち味のフォワードとしてプレーし、小学校5年生の時に湯田少年団の一員として全国サッカー少年団大会(全日本少年サッカー大会の前身)に出場。翌年には春日少年団の一員として同大会に出場し、2年連続で優秀選手に選ばれ全国的に名前が知れ渡るようになった。
保坂 孝(ほさか たかし、1964年5月5日 - )は、日本… 保坂 孝(ほさか たかし、1964年5月5日 - )は、日本のサッカー選手およびサッカー指導者である。 サッカーの街として知られる山梨県韮崎市生まれ。韮崎市立韮崎東中学校時代に羽中田昌を擁する甲府市立西中学校と出場権をかけて対戦し、全国中学校サッカー大会出場を果たした後、サッカーの古豪である地元の山梨県立韮崎高等学校に進学。ライバルである羽中田や1学年上の大柴剛とともに「H2Oトリオ」として脚光を浴び、全国高校サッカー選手権において1年次はベスト4、2年次は準優勝に輝く。大柴が卒業し、羽中田が腎臓病で出場機会が限られていた3年次の大会でも決勝まで勝ち上がり、清水東三羽烏擁する静岡県立清水東高等学校と優勝を争った(結果は準優勝)。
小林 慎二(こばやし しんじ、1963年10月17日 - )… 小林 慎二(こばやし しんじ、1963年10月17日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、ミッドフィールダー。 明治大学を卒業後、1986年に山梨県教育委員会へ就職すると同時に、甲府サッカークラブへ入団。1990-91シーズンにはJSL2部で14アシストを記録し、アシスト王のタイトルを獲得。1991年、全日空サッカークラブへ移籍し、1993年までプレーした。その後は富士通サッカー部、福島FCでプレーし、1997年に現役を引退。 引退後は古巣横浜フリューゲルスで指導者としてのキャリアをスタートさせ、2001年からは横浜F・マリノスのアシスタントコーチを務める。
横川 泉(よこかわ いずみ、1963年2月25日 - )とは… 横川 泉(よこかわ いずみ、1963年2月25日 - )とは、日本の元サッカー選手。選手時代のポジションはGK。高校選抜、ユース代表、全日本B代表、日本代表候補の経歴がある。 身体能力に恵まれたゴールキーパー で、フジタ工業での日本サッカーリーグ(112試合1部通算84試合/2部28試合)の経験を買われてJリーグ開幕を控えた1992年に横浜マリノスへ移籍した。 サッカーの盛んな山梨県韮崎市で生まれる。実家は畳屋を営み、三人兄弟の末っ子として育つ。小学校4年時に韮崎サッカースポーツ少年団が開団し、そこに入団。GKとしての基礎を学ぶ。 中学は韮崎西中学に進学、3年時に山梨中学総体で優勝。高校は名門の山梨県立韮崎高等学校へ進学し、1年次よりレギュラーとして活躍。
塚田 雄二(つかだ ゆうじ、1957年12月28日 - )は… 塚田 雄二(つかだ ゆうじ、1957年12月28日 - )は、山梨県甲府市出身 の元サッカー選手、サッカー指導者。Uスポーツクラブ代表。 中学1年の途中からサッカーを始める。山梨県立韮崎高等学校時代にはインターハイに優勝し、体育教師を目指して日本体育大学に進学。卒業後は山梨に戻り高校の教員としてサッカー部を指導していたが、その後、高校を辞めて幼稚園で体育の指導および園児たちを対象としたサッカー教室を始める。またそれらと並行して日本サッカーリーグ2部(JSL2部)に在籍していた甲府サッカークラブ(現 ヴァンフォーレ甲府)で選手として1980年より9年間活動した。 ドイツのケルンで見た地域に根ざしたスポーツクラブのあり方に感化され、1989年に「Uスポーツクラブ」を設立する。
保坂 不二夫(ほさか ふじお、1957年5月1日 - )は、… 保坂 不二夫(ほさか ふじお、1957年5月1日 - )は、山梨県韮崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級ライセンスを有する。 山梨県立韮崎高等学校や法政大学時代には数多くのタイトル獲得に貢献。1980年からは日本サッカーリーグ2部の東芝サッカー部でプレーを続けた。現役引退後は同サッカー部のコーチを務め、Jリーグ所属のコンサドーレ札幌のトップチームやユースのコーチを務めた。2009年より地元であるJリーグ所属のヴァンフォーレ甲府のユース監督に就任。2011年より同トップチームのコーチに就任した。 2014年2月、山梨県ユースダイレクターおよびJFAインストラクターに就任した(甲府のアカデミーダイレクターを兼任)。