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菅谷 昭(すげのや あきら、1943年(昭和18年)11月2… 菅谷 昭(すげのや あきら、1943年(昭和18年)11月22日 - )は、日本の医師・医学博士、元政治家(松本市長 4期)、松本大学学長なども務めた。 長野県更埴市(現:千曲市)生まれ。稲荷山町立稲荷山中学校(現:千曲市立更埴西中学校)長野県上田高等学校を経て、信州大学医学部卒業・医学博士取得。聖路加国際病院での研修を経て信州大学医学部第二外科学教室に入局。1976年トロント大学に留学して甲状腺疾患の基礎研究を学ぶ。1991年から松本市のNGOによるチェルノブイリ原子力発電所事故の医療支援活動に参加する。1993年信州大学医学部助教授に就任。その後教授選考から漏れたことをきっかけに退局。 鎌田實らの勧めにより、1996年からベラルーシ共和国の首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターにて小児甲状腺癌の外科治療を中心に医療支援活動に従事した。
中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6… 中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6月5日)は、日本の医師、医療評論家。 長野県更埴市(現千曲市)生まれ。長野県上田高等学校を経て、1966年京都大学医学部卒業(医学士)。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。1996年より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰。医師による延命治療の拒否を唱えている。 生前は 毎月第3土曜日に京都市内にて「自分の死を考える集い」を開催し講演をしていた。 また、1970年代にはクイズプレイヤーとして数々のクイズ番組に出場し、「クイズグランプリ」グランドチャンピョンなど数々の優勝経験を持ち、さらに日本テレビ系「アメリカ横断ウルトラクイズ」の栄えある第1回で、機内800問(当時)ペーパーテストでは第1位で優勝者の松尾清三とわずか5点差の707点で第2位の成績を残すが、アメリカ本土上陸後のチェックポイント「サンディエゴ」で敗者となり、シャチにキスされるという罰ゲームを受けた。
小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は… 小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は、日本の医学者、医師。専門は脳神経外科。米国脳神経外科学会専門医。前小諸厚生総合病院院長。相澤病院顧問、世界脳神経外科学会連盟名誉会長、信州大学名誉教授。 長野県千曲市出身。長野県上田高等学校を経て、1963年信州大学医学部卒業。脳神経外科を専攻し、在日米軍横須賀海軍病院でのインターンを経て、1965年から6年間メイヨー医科大学院に留学。帰国後は信州大学医学部附属病院で杉田虔一郎に師事し、脳神経外科の手術・研究に従事した。また、ロボット手術の機械を開発し、脳深部の腫瘍や動脈瘤の新たな手術方法を考案するなど脳外科分野の発展に大きく貢献し、米国脳神経外科学会の「国際功労賞」を日本人として初めて受賞。
勝俣 稔(かつまた みのる、1891年(明治24年)9月5日… 勝俣 稔(かつまた みのる、1891年(明治24年)9月5日 - 1969年(昭和44年)3月9日)は、大正から昭和期の医師、技官、公衆衛生学者、政治家。参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)、厚生省顧問、藤楓協会理事。父は、医師で第2代上田市長を務めた勝俣英吉郎。日本の近代公衆衛生の父と称された。 長野県小県郡上田町馬場町(現上田市)で勝俣英吉郎の長男として生まれた。上田中学校(現長野県上田高等学校)、第八高等学校を経て、1919年(大正8年)東京帝国大学医学部を卒業。 北里研究所に入所。慶應義塾大学医学部に転じ細菌学教室助手に就任。 1923年(大正12年)内務省衛生局に移り防疫官に就任。関東大震災では医療救護に尽力。
金井 章次(かない しょうじ、1886年(明治19年)12月… 金井 章次(かない しょうじ、1886年(明治19年)12月1日 - 1967年(昭和42年)12月3日)は、日本の医師、官僚。蒙古聯合自治政府最高顧問。旧姓は倉島。 長野県小県郡住吉村[要出典](神科村を経て現上田市)で、倉島称平の四男として生まれ。旧上田藩士・金井広治の養子となる。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、第二高等学校を経て、1913年東京帝国大学医学部卒業。1912年同郷の山極勝三郎の病理学研究室に入り、1914年北里研究所に移籍。1920年ロンドン大学に留学、ついで1922年国際連盟事務局保健部に勤務。日本人の海外における風土馴化を研究し、1924年帰国して慶應義塾大学教授。 1930年南満州鉄道の招きで満州に渡り、満州青年連盟理事長代理となる。
高橋 信美(たかはし のぶよし、1884年1月5日 - 19… 高橋 信美(たかはし のぶよし、1884年1月5日 - 1958年2月24日)は、日本の医師・医学者。妻・ふく子は大沢岳太郎の次女。 長野県小県郡武石村(現上田市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、第四高等学校を経て、1910年東京帝国大学医学部卒業。同大助手を経て、1917年千葉医学専門学校(現千葉大学医学部)の第一外科主任教授となる。1919年から2年間欧米諸国に留学、1923年、千葉医科大学(同)教授となり、1929年には学長に就任した。1938年勲二等瑞宝章、1940年従三位に叙された。 その後、千葉県医師会会長、千葉県済生会長、日本外科学会会長、国際外科学会名誉会員などを歴任した。