スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
今野 瑠斗(こんの りゅうと、2004年7月13日 - )は… 今野 瑠斗(こんの りゅうと、2004年7月13日 - )は、東京都中央区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学校1年生の時に兄の影響で野球を始め、中央フェニックス所属後北砂リトルリーグに所属。中央区立晴海中学校時代は新宿シニアでプレーした。高校は、生まれ育った東京を離れ、長野県の東京都市大学塩尻高等学校に進学。1年秋から主力となり、2年秋から主将を務めた。3年夏の長野県大会では、延長戦を含め準決勝まで3試合を完投し、同校を11年ぶりに決勝進出まで導くが、佐久長聖高校に敗れ甲子園出場はならなかった。 2022年10月20日、プロ野球ドラフト会議が行われ、横浜DeNAベイスターズから育成3位指名を受けた。
菊池 涼介(きくち りょうすけ、1990年3月11日 - )… 菊池 涼介(きくち りょうすけ、1990年3月11日 - )は、東京都東大和市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 愛称は「キク」。2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 守備の名手として知られ、二塁手としていずれもNPB記録であるシーズン535補殺、シーズン守備率10割(無失策)、569連続守備機会無失策を記録し、10年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。打撃面では2022年にセ・リーグ史上初となる100本塁打&300犠打を達成した。 東大和市立第三中学校時代は地元の東大和リトルシニアでプレーし、中学まで東大和市で暮らした後に、シニアの監督の勧めで長野県塩尻市にある武蔵工業大学第二高等学校へ進学。
中原 恵司(なかはら けいじ、旧姓:下平(しもひら)、198… 中原 恵司(なかはら けいじ、旧姓:下平(しもひら)、1987年7月10日 - )は、愛知県大府市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 愛知県大府市出身。小学2年から投手兼捕手として野球をはじめ、中学時代は投手兼外野手。 武蔵工大二高(現:東京都市大塩尻高)では1年春からベンチ入り、秋にはエースとなるが2年秋には遊撃手に転向。強肩強打の大型遊撃手として注目された。2学年下には菊池涼介がいた。 2006年に進学した亜細亜大学でも1年春からベンチ入り。3年春(2008年)に外野手のレギュラーを掴むと、3季連続でベストナインに選出された。東都大学リーグ通算61試合出場、186打数42安打、打率.226、9本塁打、24打点。
小池 秀郎(こいけ ひでお、1969年3月18日 - )は、… 小池 秀郎(こいけ ひでお、1969年3月18日 - )は、愛知県尾西市(現:一宮市)生まれの元プロ野球選手(投手)。左投左打。 1990年のドラフト会議における「小池騒動」で知られる人物である。プロ野球選手時代は1993年から1999年、2002年から2004年と、通算10年間にわたってパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の近鉄バファローズ(1999年以降の球団名は「大阪近鉄バファローズ」)に在籍し、1997年シーズンには15勝を挙げてパ・リーグ最多勝投手のタイトルを獲得した。 中学校時代までは愛知県尾西市(現:一宮市)で育った。プロ入り前の『週刊ベースボール』、およびプロ入り前後の『中日スポーツ』では尾西市出身とされているが、後述のドラフト会議で8球団から1位指名を受けた1990年時点では実家は岐阜県羽島市にあり、プロ入り後の選手名鑑に掲載されているプロフィールでは羽島市出身とされている。
伊藤 優(いとう まさる、1963年7月15日 - )は、長… 伊藤 優(いとう まさる、1963年7月15日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(投手)。 南松ファイタース(リトルリーグ)、松本南シニアで投手として活躍。当時は右バッターであった。松本市立鎌田小学校ではソフトボールクラブ、鎌田中学校では軟式テニス部に所属していた。 信州工業高では3年春の北信越大会で3番手として登板するが6回コールドで敗退。社会人野球の東芝府中へ入団。東芝府中では1983年の日本選手権の初戦で2番手として延長10回から登板したが優勝した住友金属に12回サヨナラ負け。社会人通算34勝17敗。 1984年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受け、翌1985年シーズン終了後に入団。