スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
橋本 英也(はしもと えいや、1993年12月15日 - )… 橋本 英也(はしもと えいや、1993年12月15日 - )は、岐阜市出身の競輪選手、自転車競技(トラックレース)選手。自転車競技選手としては、弱虫ペダルサイクリングチーム所属。競輪選手としては、日本競輪選手会岐阜支部所属、ホームバンクは大垣競輪場。日本競輪学校113期生。師匠は児玉利文(76期)。 岐阜県立岐南工業高等学校に入学後に自転車競技をはじめた。 全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(高校総体)では、2010年および2011年に団体追抜で優勝に貢献、2011年には個人追抜も制した。また、国民体育大会自転車競技(国体)では、少年・4000m速度競走において、2010年および2011年と連覇。
加藤 慎平(かとう しんぺい、1978年5月18日 - )は… 加藤 慎平(かとう しんぺい、1978年5月18日 - )は、日本の元競輪選手。現在は競輪評論家、コメンテーター、実業家、YouTuber。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第81期卒業。岐阜県羽島郡岐南町出身。現役時代は日本競輪選手会岐阜支部所属。初出走は1998年8月13日、名古屋競輪場。初勝利も同レース。血液型O。 岐阜県立岐南工業高等学校を経て、競輪学校に第81期生として入学。 デビュー後の2000年には、最後の開催となった競輪祭での全日本新人王戦を優勝。 その後、自力を主体としつつも、メンバー構成や展開次第によってはマークにも転じるといった変幻自在な脚質を武器に、2004年の岐阜記念完全優勝などを足がかりとして、同年年末から2005年年初にかけて10連勝を達成。
志智 俊夫(しっち としお、1972年9月3日 - )は、競… 志智 俊夫(しっち としお、1972年9月3日 - )は、競輪選手。日本競輪選手会岐阜支部所属、ホームバンクは岐阜競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第70期生。師匠は大島昭二(50期)。 岐阜県立岐南工業高等学校を経て競輪学校に入校。在校競走成績は25位(21勝)。1992年8月9日、西武園競輪場でデビューし5着。初勝利は同年9月21日の高知競輪場。 2005年に行われた第1回サマーナイトフェスティバル(川崎競輪場、7着)、翌2006年の競輪祭(小倉競輪場、9着)、ふるさとダービー(小松島競輪場、6着)でそれぞれ決勝に進出。開設記念競輪では、4日制移行以後4回の優勝を記録している。 2012年に通算400勝を、2017年には500勝を達成。
濱口 高彰(はまぐち たかあき、1968年2月26日 - )… 濱口 高彰(はまぐち たかあき、1968年2月26日 - )は、日本の元競輪選手、新聞記者。愛知県名古屋市出身(出生は三重県)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第59期生。現役時代は日本競輪選手会岐阜支部所属、ホームバンクは岐阜競輪場であった。初出走は1987年5月2日の福井競輪場(8着)。初勝利は同月25日の熊本競輪場。 ニックネームは「ハマちゃん」・「中部の総帥」・「中部の司令塔」。 自転車競技を行うために岐阜県立岐南工業高等学校へ入学し、卒業後は競輪学校に第59期生として入学。デビュー後は順調にトップクラスへ駆け上がり、特別競輪の決勝に勝ち上がるなど徐々に知名度を上げていった。 やがて1997年の第50回日本選手権競輪の決勝で、逃げる山田裕仁の番手から抜け出して特別初優勝を果たし、この時の優勝インタビューにおいて「この優勝を期に、特別競輪の優勝は中部でたらいまわしにします」と豪語したことが話題となったが、その後の中部勢の活躍のきっかけとなったことを見る限り、実に的を射た言葉となった。