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船津 衛(ふなつ まもる、1940年2月23日 - )は、日… 船津 衛(ふなつ まもる、1940年2月23日 - )は、日本の社会学者。学位は、博士(社会学)。主たる研究領域は、社会学理論、社会的自我論、コミュニケーション論。 1940年、東京都生まれ。1967年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。日本を代表する社会学者である新明正道の薫陶を受ける。東北大学在学時、卒業論文では社会意識論を扱い、修士論文では準拠集団論の研究に取り組んだ。山口大学人文学部専任講師、同助教授、大阪市立大学文学部助教授、東北大学文学部教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授、東洋大学社会学部学部長、放送大学教授を歴任する。我が国におけるシンボリック相互作用論研究の第一人者であり、その門弟には、土肥豊、伊藤勇、徳川直人、山尾貴則、桑原司、小川祐喜子、寺田征也等がいる。
小浪 充(こなみ たかし、1932年 <昭和7年> 11月1… 小浪 充(こなみ たかし、1932年 <昭和7年> 11月15日 - 2006年 <平成18年> 11月18日)は、日本の社会学者、東京外国語大学名誉教授。元NHKテレビ英会話講師。元日本カナダ学会会長。位階は正四位。 秋田県生まれ。1955年、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業後、東京大学大学院社会科学研究科入学。東大の教養学科アメリカ分科で主任教授を務めた中屋健一に師事した。東大大学院在学中に、フルブライト奨学生としてコロンビア大学国際関係大学院修士課程に留学。 外務省調査員を経て、母校である東京外国語大学英米語学科の教員となる。在職中(1966-1995年)、学部講座では主にアメリカ事情、大学院では地域研究方法論を担当、1980年代の学際研究ブームの一翼を担った外語黄金期を支えた。
藤井 隆(ふじい たかし、1909年8月4日 - 2000年… 藤井 隆(ふじい たかし、1909年8月4日 - 2000年2月25日)は、日本の生物学者。静岡県出身。東京大学名誉教授。理学博士。 1934年(昭和9年)、東京帝国大学理学部動物学科卒業(理学博士)。 1951年(昭和26年)、東京大学理学部教授に就任。1955年(昭和30年)には皇居に招かれて生物学に関する合同進講に出席。「発生化学 細胞分裂の化学」と題する進講を行った。後に東京大学理学部の学部長となるが、1968年(昭和43年)から始まる東大紛争の期間にも学部長を務めあげた。1970年(昭和40年)定年退官、名誉教授となる。同年、静岡大学理学部教授。 1979年(昭和54年)、勲二等旭日重光章。
外岡 茂十郎(とのおか もじゅうろう、1898年3月25日 … 外岡 茂十郎(とのおか もじゅうろう、1898年3月25日 - 1986年8月27日)は、日本の法学者。学位は法学博士。静岡県出身。 静岡県賀茂郡三坂村(現在の賀茂郡南伊豆町)入間に生まれる。賀茂郡立中学豆陽学校から早稲田大学に進学し、1925年に早稲田大学教授に就任。 1942年から1964年まで早稲田大学野球部部長を務める。あわせて東京六大学野球連盟理事長も務め、1943年には出陣学徒壮行早慶戦を敢行している。 戦後はオール早慶戦の開催、1946年春の六大学野球再開を実現させ、12月に日本学生野球協会が結成されると副会長として30年間アマチュア野球の発展に尽力した。その後は中京大学へと移り、1966年の同大学法学部の開設に関わり、1975年まで法学部長を務めた。
近藤 平三郎(こんどう へいざぶろう、1877年12月11日… 近藤 平三郎(こんどう へいざぶろう、1877年12月11日 - 1963年11月17日)は、日本の薬剤師、薬学者(薬化学)。勲等は文化勲章。学位は薬学博士。日本学士院会員。 陸軍薬剤官、塩野義商店顧問、乙卯研究所所長、東京帝国大学教授、日本薬学会会頭、日本薬剤師会会長などを歴任した。 現在の静岡県賀茂郡松崎町にて生まれた。本郷のドイツ語学校から東京帝国大学医科薬学科に進み、長井長義に師事。帝大卒業後は大学に籍を置きながらも陸軍薬剤官として入隊し、日露戦争に薬剤師として従軍。陸軍医学校教官を経て、ベルリン工科大学に留学して有機化学を専攻した。 1911年に帰国すると塩野義商店の塩野長次郎の懇請を受け、塩野義商店顧問に就任。