スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三日月 大造(みかづき たいぞう、1971年〈昭和46年〉5… 三日月 大造(みかづき たいぞう、1971年〈昭和46年〉5月24日 - )は、日本の政治家。滋賀県知事(公選第18・19・20代)。関西広域連合広域連合長。地域政党チームしが特別顧問(執行部員ではない)。無所属。 松下政経塾出身。JR西日本勤務を経て、衆議院議員、国土交通大臣政務官(鳩山由紀夫内閣)、国土交通副大臣(菅直人内閣)、裁判官訴追委員会第2代理委員長などを務めた。元チームしが共同代表。 滋賀県大津市出身。父は中小企業の従業員。京都市右京区広沢小学校から2年時に大津市立日吉台小学校へ転校、大津市立日吉中学校、滋賀県立膳所高等学校、一橋大学経済学部卒業。中学・高校時代は生徒会長を務め、一橋大在学中は財政学の石弘光教授のゼミナールに所属していた。
谷畑 英吾(たにはた えいご、1966年(昭和41年)9月1… 谷畑 英吾(たにはた えいご、1966年(昭和41年)9月11日 - )は、日本の政治家。彦根党政策アドバイザー、元滋賀県湖南市長(4期)、元甲西町長(1期)。 神奈川県小田原市生まれ。甲西町立甲西中学校、滋賀県立膳所高等学校卒業。1989年(平成元年)3月、金沢大学法学部法学科卒業。同年4月1日、滋賀県庁に採用され農林水産部農政課に配属される。1992年(平成4年)4月1日、総務部総務課に異動。滋賀県立大学開設準備室に席を置く。 1998年(平成10年)3月、京都大学大学院法学研究科修士課程修了。 2003年(平成15年)4月27日、甲西町長に就任。 2004年(平成16年)10月1日、甲西町と石部町は合併し湖南市が発足。
小鑓 隆史(こやり たかし、1966年9月9日 - )は、日… 小鑓 隆史(こやり たかし、1966年9月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。同党人事局長兼政務調査会財務金融部会長。 国土交通大臣政務官、厚生労働大臣政務官、内閣参事官を歴任。 参議院議員としては「こやり隆史」の表記で登録している。 1966年、滋賀県大津市仰木町生まれ。大津市立仰木小学校、大津市立堅田中学校、滋賀県立膳所高等学校、京都大学工学部卒業。京都大学大学院工学研究科物理工学専攻修士課程修了。1992年、通商産業技官に採用され、旧通商産業省入省。通産省・経産省では中小企業政策・公務員制度改革・環境政策などに携わり、2002年からイギリスへ留学し、インペリアル・カレッジ・ロンドンで修士号を取得。
松浦 加代子(まつうら かよこ、1963年〈昭和38年〉2月… 松浦 加代子(まつうら かよこ、1963年〈昭和38年〉2月10日 - )は、日本の政治家、教諭。滋賀県湖南市長(1期)。 現在の滋賀県湖南市出身。甲西町立三雲小学校(現在の湖南市立三雲小学校)、甲西町立甲西中学校(現在の湖南市立甲西中学校)、滋賀県立膳所高等学校を経て、滋賀大学教育学部卒業。小学校教諭、教頭、校長を経て、湖南市教育委員会の学校教育課長、湖南市教育長などを務める。 2024年1月、湖南市長の生田邦夫が転倒により腰椎を圧迫骨折。公務に支障をきたしたため、10月19日、10月27日投開票の市長選挙には不出馬と表明し、市長を1期限りで退任した(生田は11月25日に死去)。これに代わり、前教育長の松浦が湖南市長選挙に立候補することを表明。
曽我 逸郎(そが いつろう、1955年11月12日 - )は… 曽我 逸郎(そが いつろう、1955年11月12日 - )は、日本の政治家。長野県上伊那郡中川村長を3期務めた。 長崎県対馬生まれ。本籍地は兵庫県西宮市。滋賀県に転居し、滋賀県立膳所高等学校卒業。大学で仏教学を学ぼうと志し、のち哲学専攻に転ずる。京都大学文学部卒業。電通に入社、大阪・香港・名古屋で勤務し、営業部長を経て、2002年退社。中川村に移り、農業を営む。 2005年4月24日、民間感覚の導入や観光と農業を結び付けた活性化策、村長給料30%カットを掲げ、草の根型の活動を展開して、中川村村長に初当選した。 生きていくのに必要・十分な所得を、すべての人に条件を設けずに給付しようというベーシックインカムの発想に関心をもち、しばしば文章を発表している。
山田 耕三郎(やまだ こうざぶろう、1917年(大正6年)1… 山田 耕三郎(やまだ こうざぶろう、1917年(大正6年)1月15日 ‐ 2012年(平成24年)9月22日)は、日本の政治家。滋賀県下阪本村長、大津市議会議員、滋賀県議会議員を歴任。第20代大津市長(2期)となり、革新派の市長として福祉事業などを推進、「福祉の山耕」と呼ばれた。その後参議院議員を2期務め、一の会や連合参議院に加わった。大津市名誉市民。 1934年、滋賀県立膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)を卒業、1935年4月に島津製作所に入社。 1949年4月に下坂本村長となり、村長として大津市との合併に反対したが、在任中の1950年に合併した。1951年4月から1959年4月まで大津市議会議員を務め、在日米軍の大津キャンプ返還運動を主導した。
西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1… 西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1日 - 1981年(昭和56年)4月25日)は、日本の政治家・実業家。大津市長(2期)、滋賀県議会議員、大津市議会議員などを歴任。大津市長として総合開発計画、市庁舎の移転建設、町村合併、びわこ大博覧会などの大事業を行った。位階は従五位。 1908年8月1日に、大津市下堅田町(現・島の関)で、油屋「西利商店」の子に生まれる。旧制膳所中学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1929年3月に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)を卒業。学生時代は、「名ピッチャー」でならしたといい、当時バッテリーを組んでいたのは後に近江八幡市長となる井狩貞之だった。
西村 関一(にしむら せきかづ、1900年6月4日-1979… 西村 関一(にしむら せきかづ、1900年6月4日-1979年8月15日)は、日本の牧師、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。アムネスティ・インターナショナル日本支部理事長。川北対合衆国事件の時には、減刑嘆願運動の中心的な人物として活動した。 新東京国際空港(現・成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
服部 岩吉(はっとり いわきち、1885年 <明治18年> … 服部 岩吉(はっとり いわきち、1885年 <明治18年> 11月20日 - 1965年 <昭和40年> 11月24日)は、大正・昭和期の政治家。初名は清太郎。なお、「岩吉」は服部家の世襲の名乗りで、本項の岩吉は2代目にあたる。位階は正四位。 滋賀県栗太郡金勝村(現在の栗東市)の酒造業の家に生まれる。膳所中学校卒業後は家業に従事していたが、28歳の時に金勝村の依頼で同村の助役となり、その後村会議員を経て金勝村村長に就任して5期務める。更に県会議員を2期務めた後に1932年の第18回衆議院議員総選挙滋賀県全県区に立憲政友会から立候補して当選、1942年の第21回総選挙には立候補しなかったものの、次の第22回総選挙では日本自由党から当選を果たし、通算4期務めた。
堀 正一(ほり しょういち、1873年(明治6年)10月22… 堀 正一(ほり しょういち、1873年(明治6年)10月22日 - 1920年(大正9年)4月3日)は、明治から大正期の地主、教育者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 山口県都濃郡、のちの末武北村(花岡村を経て現下松市)で、豪農・堀済三の長男として生まれる。山口高等中学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学文科大学史学科を卒業し、さらに同研究科を修了した。 1900年(明治33年)以降、滋賀県立第二中学校(現滋賀県立膳所高等学校)教諭、日本大学講師、学習院講師、宮内省図書寮勤務などを務めた。1905年(明治38年)3月、家督を相続した。 1907年(明治40年)に帰郷し農業経営を行う。