スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
真砂 勇介(まさご ゆうすけ、1994年5月4日 - )は、… 真砂 勇介(まさご ゆうすけ、1994年5月4日 - )は、京都府京都市伏見区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打で、愛称は"ミギータ"(後述)。 両親が中華人民共和国(中国)の出身で、自身は京都市立向島藤の木小学校4年時から軟式野球をスタート。宇治市立槇島中学校への在学中は京都木津川シニアに所属していた。3年時の夏に全国大会へ出場している。 京都府立西城陽高校への進学後は、1年時夏の全国高等学校野球選手権京都大会からベンチ入りを果たすと、1年時の秋からレギュラーの座を獲得。選手権の京都大会では2年時から2年連続で準々決勝まで進んだものの、いずれも福知山成美高校に敗れた。 高校時代には春夏とも甲子園球場での全国大会へ出場できなかったが、2012年のNPBドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから4巡目で指名。
福嶋 亮大(ふくしま りょうた、1981年2月21日 - )… 福嶋 亮大(ふくしま りょうた、1981年2月21日 - )は、日本の批評家(文芸評論家)・中国文学者。立教大学大学院文学研究科(比較文明学専攻)教授。学位は博士(文学)。 京都府生まれ。2003年3月、京都大学文学部中国文学科卒業。 2004年8月、東浩紀の発行していたメールマガジン「波状言論」に論文を送り、9月に返事を得る。そして9月30日配信分の「波状言論」16号(9月B号)に論文「自然・批評・祈り - 舞城王太郎について」の前編が、10月30日に配信された「波状ゲンロン」18号(10月B号)に後編がそれぞれ掲載された。 『群像』2005年10月の特集「評論特集11人評論競作」に「コンラッドの末裔たち1900 / 2000 - 桜坂洋、平山瑞穂、山崎ナオコーラ論」を寄稿。
玉山 鉄二(たまやま てつじ、1980年〈昭和55年〉4月7… 玉山 鉄二(たまやま てつじ、1980年〈昭和55年〉4月7日 - )は、日本の俳優。京都府京都市伏見区出身。メリーゴーランド所属。 京都府立西城陽高等学校在学中に雑誌のモデル募集に応募し、オーディションなどを経て芸能界入り。 1999年6月、テレビドラマ『ナオミ』で俳優デビュー。 2001年、スーパー戦隊シリーズ『百獣戦隊ガオレンジャー』にて、大神月麿 / ガオシルバー役で出演。 2002年から2008年まで、P&G衣料用洗剤「ボールド」のCMに出演。 2005年、映画『逆境ナイン』で不屈闘志役として初主演を果たす。 2007年、『牛に願いを Love&Farm』で連続ドラマ初主演。 2010年、第33回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。
河端 龍(かわばた りゅう、1976年11月10日 - )は… 河端 龍(かわばた りゅう、1976年11月10日 - )は、京都府城陽市出身の元プロ野球選手(投手)。 西城陽高ではエースとして1994年夏の第76回全国選手権に出場。1回戦の対大垣商業戦で完投するも、7失点(自責点4)で敗退。 龍谷大学時代は先発投手として活躍。1995年、1年生にして頭角を現し新人賞を受賞している。その後も1997年春と1998年春の2度のMVPの他、最優秀投手賞3度受賞、ベストナイン3回など、エースとして大活躍。大学選手権では1997年の3年時は初戦九州東海大戦に先発し5-4で勝利、翌1998年の4年時は初戦完投から全試合で先発し準々決勝では亜大を5-3で下し、準決勝で準優勝した東海大に0-2て惜敗したもののベスト4。
塚本 善之(つかもと よしゆき、1969年11月14日 - … 塚本 善之(つかもと よしゆき、1969年11月14日 - )は、京都府綴喜郡宇治田原町出身の元プロ野球選手(投手)、元競輪選手。 西城陽高時代、長身から繰り出す直球とフォークを武器に、1987年夏の京都府大会でベスト8に進出。 1987年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団した。ニックネームは角張った顔や長身から「フランケン」だった。 現役中は肩を痛め、一軍登板のないまま、1990年オフに現役を引退した。二軍通算7試合登板、防御率10.00。「三軍みたいなところに、ずっといた」と振り返っている。 京都の実家へ帰り、鉄工所で働きながら新たな職を探していたが、「もう1度、自分の力で金を稼げる世界で勝負したかった。
植村 ひろみ(うえむら ひろみ、1969年10月31日 - … 植村 ひろみ(うえむら ひろみ、1969年10月31日 - )は、日本の元ウエイトリフティング選手。現姓・佐藤。日本人女子として初めてウエイトリフティング世界選手権メダルを獲得した。世界選手権メダルは銀2個・銅1個獲得。日本体育大学卒業。 京都府綴喜郡八幡町(現・八幡市)出身。西城陽高校在学中の1987年、第1回全国女子大会52kg級で優勝。この年開かれた第1回女子世界選手権に日本代表として出場し4位入賞。 1989年11月に開かれた第3回世界選手権52kg級でキャリア3年にして銀メダル獲得。翌1990年の同大会でも銀、1991年は銅メダルを獲得した。世界選手権は計7度出場しすべて6位以内で入賞。