スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小島 佑太(こじま ゆうた、1996年11月8日 - )は、… 小島 佑太(こじま ゆうた、1996年11月8日 - )は、日本出身のラグビーユニオン選手。2025年現在ジャパンラグビーリーグワンに参戦する浦安D-Rocksに所属している。 2015年、洛北高校卒業後、立命館大学に入る。 2019年、立命館大学卒業後、NTTドコモレッドハリケーンズ(現・レッドハリケーンズ大阪)に加入。 2020年2月22日にジャパンラグビートップリーグ第6節パナソニック ワイルドナイツ戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 2021年トップリーグ最後のシーズンは7戦にすべて出場。 2020-2021: NTTドコモレッドハリケーンズチームシーズンアワード選出 2022年7月、NTT再編に伴う新チーム浦安D-Rocks選手スコッドに選ばれた。
佐原 慧大(さはら けいた、1995年8月19日 - )は、… 佐原 慧大(さはら けいた、1995年8月19日 - )は、ラグビーユニオン選手。 2014年、洛北高校卒業後、愛知学院大学に入る。 2019年、愛知学院大学卒業後、近鉄ライナーズ(現・花園近鉄ライナーズ)に加入。 2021年3月20日に行われたジャパンラグビートップチャレンジリーグ2021順位決定戦第1節コカ・コーラレッドスパークス戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2025年5月、花園近鉄ライナーズを退団。
森田 慎也(もりた しんや、1994年10月15日 - )は… 森田 慎也(もりた しんや、1994年10月15日 - )は、トップウェストB・関西丸和ロジスティクスラグビー部に所属するラグビー選手。 2013年、洛北高校卒業後、京都産業大学に入る。なお洛北高校時代、高校日本代表に選ばれたことがある。 2017年、京都産業大学卒業後、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現・コベルコ神戸スティーラーズ)に加入。 2020年、神戸製鋼コベルコスティーラーズを退団した。 2022年、関西丸和ロジスティクスラグビー部に加入。
伊尾木 洋斗(いおき ようと、1992年12月20日 - )… 伊尾木 洋斗(いおき ようと、1992年12月20日 - )は、日本の元ラグビー選手。 ラグビーを始めたきっかけは友人に誘われたことから。 2011年、洛北高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2015年、大阪体育大学卒業後、トヨタ自動車ヴェルブリッツ(現・トヨタヴェルブリッツ)に加入。同年11月14日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のヤマハ発動機ジュビロ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2023年、現役を引退した。
真継 丈友紀(まつぐ ともゆき、1982年8月10日 - )… 真継 丈友紀(まつぐ ともゆき、1982年8月10日 - )は、日本のラグビーレフリー(審判員)。2021年現在、日本協会A級公認レフリーを務めている。選手時代のポジションはBK。 小学3年生からラグビーを始めた。 洛北高校、同志社大学を経て、大学在学中3年生でレフリーになる。
中村 直人(なかむら なおと、1969年1月18日 - )は… 中村 直人(なかむら なおと、1969年1月18日 - )は、日本の実業家、元ラグビー選手。競技引退後は、祖父が創業した酒類販売店「なおかつ」の代表取締役社長を務めている。 洛北高校(同期にサッカー選手・指導者の曺貴裁がいる)、同志社大学を経て、1991年、サントリー(現:東京サントリーサンゴリアス)に加入。 1998年5月3日に行われたパシフィック・リム選手権カナダ戦で日本代表初キャップを獲得した。 2002年、現役を引退した。 その後サントリーサンゴリアス、キヤノンイーグルスのコーチを経て、2013年、同志社高校のヘッドコーチ就任。
坂田 好弘(さかた よしひろ、1942年9月26日 - )は… 坂田 好弘(さかた よしひろ、1942年9月26日 - )は、日本の元ラグビー選手・ラグビー指導者。大阪体育大学名誉教授、日本ラグビーフットボール協会理事、関西ラグビー協会長を務める。 2012年までは大阪体育大学ラグビー部監督を務め、2013年から同ラグビー部エグゼクティブ・アドバイザー。日本ラグビー史、ワールドクラスの選手として知られている。2012年に東洋人として初となるワールドラグビー殿堂入りを果たした。 洛北高校から同志社大学に進学。在学中の1963年、全日本のメンバーに初選出される。大学卒業後は、近畿日本鉄道(近鉄)に入社。ラグビー部(現花園近鉄ライナーズ)に入部。 1968年、大西鉄之祐監督率いる全日本のニュージーランド遠征メンバーに選ばれ、オールブラックス・ジュニア相手に4トライを上げ、大金星に貢献。
川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 -… 川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 - 2002年4月16日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。後に日本ラグビーフットボール協会第9代会長。 京都府立京都第一中學校(現在の京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、早稲田大学(以下、早大)に進学。1937年度シーズンには早大の主将を務め、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦の制覇に貢献。また日本代表選手として、1936年のニュージーランド学生代表 (NZU) 戦でキャップ1を獲得した。 その後、1987年〜1992年まで関西ラグビーフットボール協会会長(後に同協会名誉会長に就任)、1992年〜1994年まで日本ラグビーフットボール協会第9代会長を務めた。