スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤原 寛(ふじわら ひろし、1968年12月10日 - ) … 藤原 寛(ふじわら ひろし、1968年12月10日 - ) は、吉本興業株式会社代表取締役副社長。日本のテレビプロデューサー。ダウンタウンの元マネージャー。 東京マネジメントセンターセンター長、ダウンタウンのチーフマネージャー(松本人志担当)、ルミネtheよしもとプロデューサー、よしもとファンダンゴチーフプロデューサー、番組・ソフトウェア関連のプロデューサー、よしもとクリエイティブエージェンシー社長などを歴任し、吉本興業株式会社副社長に就任。 大阪府和泉市出身。和泉市立北池田小学校、和泉市立石尾中学校、大阪府立三国丘高等学校、関西学院大学社会学部卒業。 ダウンタウンのマネージャーを務めていた頃から『ガキの使い』に出演しており、両腕で胸を寄せるポーズをしながら「乳、寄せまっせ〜」などの一発ギャグで一躍脚光を浴びた。
粟井 一夫(あわい かずお、1964年7月17日 - )は、… 粟井 一夫(あわい かずお、1964年7月17日 - )は、日本の実業家。大阪府堺市出身。 1983年に三国丘高等学校を卒業。高校時代は同校陸上部主将を務めた。 1988年に金沢大学経済学部を卒業後、阪神電気鉄道に入社した。 2004年に関西学院大学大学院商学研究科博士前期課程を修了。 球場リニューアル担当課長、阪神甲子園球場長などを務め、2013年に阪神タイガースの常務取締役、2022年に阪神タイガース代表取締役・副社長、2024年1月に阪神タイガース代表取締役・社長に就任。
高梨 柳太郎(たかなし りゅうたろう、1956年2月10日 … 高梨 柳太郎(たかなし りゅうたろう、1956年2月10日 - )は、日本の実業家。神戸新聞社代表取締役社長。大阪府出身。 大阪府立三国丘高等学校を経て、1979年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、神戸新聞社に入社。編集局社会部長、執行役員地域活動局長などをへて、取締役販売・営業担当や常務取締役企画総務・人事労務担当などを歴任。2017年2月に専務に就任し、2019年2月27日に社長に就任。2025年に代表権のある会長に就任。
唐池 恒二(からいけ こうじ、1953年〈昭和28年〉4月2… 唐池 恒二(からいけ こうじ、1953年〈昭和28年〉4月2日 - )は、日本の経営者。九州旅客鉄道取締役相談役、九州観光機構会長、事業構想大学院大学特別招聘教授。九州旅客鉄道代表取締役会長等を歴任。 本籍は大阪府である。大阪府立三国丘高等学校、京都大学法学部卒業。高校・大学では柔道部に所属 し、本人曰く「大学時代は柔道ばっかりしてまして4年の夏も大会があって就職活動してなかった」といい、1977年(昭和52年)4月の日本国有鉄道入社も「柔道部の先輩につられて」と述懐している。九州旅客鉄道社長の青柳俊彦、東海旅客鉄道会長の柘植康英とは同期に当たる。東京北鉄道管理局に配属。国鉄バス棚倉営業所長などを務め、労組交渉に長く携わった。
今井 雅則(いまい まさのり、1952年7月21日 - )は… 今井 雅則(いまい まさのり、1952年7月21日 - )は、日本の実業家。戸田建設代表取締役会長。全国建設業協会会長。 大阪府出身。料亭を営む家の二男に生まれる。大阪府立三国丘高等学校(高23回)を経て、1978年3月大阪大学大学院工学研究科博士前期課程建築学専攻を修了し、戸田建設入社。建設とは無縁な環境に育ったものの建設会社に入社したのは、大学受験に失敗した失意の時期に大阪万博を訪れ、場内の建造物の素晴らしさに目を奪われたことがきっかけ。座右の銘は明末の陽明学者・崔後渠の説いた「六然」。 2008年執行役員、2009年常務執行役員大阪支店長、2013年4月執行役員副社長を経て、2013年6月に社長に就任。
森 喜行(もり きゆき、1951年8月25日 - )は、日本… 森 喜行(もり きゆき、1951年8月25日 - )は、日本の俳優、政治家、実業家。熊本県天草郡御所浦町(現・天草市)出身。希楽星所属。 大阪府立三国丘高等学校卒業。劇団新人会、NHKプロモーションアクターゼミ出身。俳優業の傍ら、市民劇団みみずくを主宰。東京都国分寺市周辺をエリアとする自転車の出張修理業「自転車なおしマン」としても活動している。また、同市の市議会議員を計2期務めた。
石井 繁礼(いしい しげのり、1949年11月17日 - )… 石井 繁礼(いしい しげのり、1949年11月17日 - )は、日本の実業家。川崎近海汽船株式会社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本内航海運組合総連合会理事などを務めた。 大阪府出身。1968年大阪府立三国丘高等学校卒業。1972年神戸大学経営学部卒業、川崎汽船入社。2002年川崎汽船取締役電力炭グループ長。2005年川崎汽船常務取締役。2006年川崎汽船常務執行役員。2009年川崎近海汽船常務取締役。2010年川崎近海汽船専務取締役。2011年から川崎近海汽船代表取締役社長を務め、人手不足に対応して新航路開設などを進めた。2017年川崎近海汽船代表取締役会長。2020年川崎近海汽船特別顧問。
島野 喜三(しまの よしぞう、1934年(昭和9年)11月2… 島野 喜三(しまの よしぞう、1934年(昭和9年)11月27日 - 2020年(令和2年)7月3日)は、日本の実業家。島野工業(現・シマノ)第4代・代表取締役社長、会長、最高顧問。公益財団法人日本自転車競技連盟理事。社団法人自転車協会理事長を経て名誉会長。2005年日本国際博覧会評議員。米国市場を攻略し、シマノをイタリア・カンパニョーロやドイツ・ボッシュと並び称される世界的な自転車部品メーカーに育てた。また、マウンテンバイク用部品のパイオニアとして知られる。旭日中綬章受章。 島野鐵工所(現・シマノ)の創業者・島野庄三郎の三男として堺市に生まれる。小学校4年の時に父から兄弟喧嘩の仲裁の為に日本刀で切腹を命じられる等厳格な家庭で育つ。
吉田 二郎(よしだ じろう、1934年4月20日 - )は、… 吉田 二郎(よしだ じろう、1934年4月20日 - )は、南海電気鉄道(南海電鉄)社長、会長、日本民営鉄道協会会長、東京地下鉄第2代会長などを務めた日本の鉄道事業経営者。 大阪府出身。大阪府立三国丘高等学校を経て、大阪大学経済学部卒業。 1957年大阪大学経済学部を卒業して南海電鉄に入社。 南海電鉄では、鉄道、バス、人事・労務を経験した。人事部長、取締役、常務、鉄道事業本部長、和歌山支社長、専務、副社長、を経て、1999年に社長に就任した。 2001年には、社長の座を山中諄に譲り、自らは代表権を持つ会長となって、もっぱらグループ企業の経営を担当するようになった。 その後は、日本民営鉄道協会会長を務めたり、帝都高速度交通営団の民営化による東京地下鉄の設立委員会委員長となり、同社の設立後には第2代会長となった。
島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年1月3日 - 20… 島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年1月3日 - 2002年6月15日)は、日本の経営者。シマノ社長を務めた。 大阪府出身。父親はシマノ創業者の島野庄三郎で、三兄弟の長男(次男が島野敬三、三男が島野喜三)として生まれる。 1944年に旧制堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を卒業し、1946年に島野工業(現在のシマノ)に入社。常務を経て、1958年9月に父・庄三郎の逝去に伴い社長に就任した。当時のシマノは売上高7億円弱の赤字会社で、誰も社長の座に手を挙げなかった中、唯一人「3年で黒字化するから、その間は自分の言う事を聞いてほしい」として社長に就任し、本当に3年で経営を黒字に転換させた。
藤村 義朗(ふじむら よしろう、1907年〈明治40年〉2月… 藤村 義朗(ふじむら よしろう、1907年〈明治40年〉2月24日 - 1992年〈平成4年〉3月18日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍中佐。旧名・義一(よしかず)。 大阪府出身。実業家・藤村義正の長男として生まれる。堺中学を経て、1927年(昭和2年)3月、海軍兵学校(55期)卒業。1928年(昭和3年)10月、海軍少尉任官。海軍砲術学校高等科で学ぶ。1934年(昭和9年)7月、「長月」砲術長に就任、以後、砲術学校専攻科学生、「綾波」砲術長、砲術学校教官、「白雲」「厳島」の各砲術長を歴任。1939年(昭和14年)11月、海軍少佐に昇進。1940年(昭和15年)4月、海軍大学校(甲種37期)を首席で卒業した。
飯国 壮三郎(飯國 壯三郎、いいぐに / いいくに そうざぶ… 飯国 壮三郎(飯國 壯三郎、いいぐに / いいくに そうざぶろう、1901年(明治34年)9月8日 - 1955年(昭和30年)10月27日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 島根県簸川郡塩冶村上塩冶(現出雲市上塩冶町)で、飯国恒一の六男として生まれる。同郷出身の宍道政一郎(出雲製織創業者)の書生を務めながら、堺中学(現大阪府立三国丘高等学校)、関西大学専門部法律科を卒業した。 宍道が経営していた大阪帆布、出雲製織で勤務。1941年(昭和16年)、出雲製織、錦華紡績、日出紡織、和歌山紡織が合併して大和紡績が設立されると、出雲工場長に就任。戦後は、常務、専務取締役を務めた。その他、島根県商工経済会評議員、石見人絹工場取締役、島根繊維工業取締役・社長、大和工業取締役、浜田機械工業取締役、大和農機具工業社長なども務めた。
坂 信弥(さか のぶよし、1898年12月23日 - 199… 坂 信弥(さか のぶよし、1898年12月23日 - 1991年2月22日)は、日本の内務官僚、実業家。富山県知事、警視総監、大商証券社長。旧姓・田中。坂信彌とも表記、あるいはこちらが正確か。 堺市出身、本籍・山口県。農業・市会議員、田中龍太郎の四男として生まれる。堺中学校、第八高等学校を経て、1924年4月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り茨城県属として内務部産業課に配属された。その後、長州系官僚である坂仲輔の家の婿養子に迎えられる。 1924年12月、茨城県警部を兼務。以後、地方警視・滋賀県警務課長、長野県警務課長、京都府保安課長、北海道庁道路課長、奈良県書記官・経済部長、鹿児島県書記官・警察部長、埼玉県書記官・警察部長、上海領事(工部局警察部長)、警視庁官房主事、大阪府部長・警察部長などを歴任。