スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
野村 和輝(のむら かずき、2003年6月7日 - )は、大… 野村 和輝(のむら かずき、2003年6月7日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 大阪市立榎本小学校5年生から野球を始め、大阪市立今津中学校時代は大阪中央リトルシニアのチームで内野手としてプレーした。 東大阪大学柏原高等学校に進学し、監督の土井健大に指導を受ける。1年生の夏からベンチに入り、その年の秋には三塁手のレギュラーとなる。高校在学中に通算27本塁打を放つ一方、3年生時に投手に挑戦して球速は最高で148km/hを記録した。 2021年11月4日に日本海オセアンリーグが実施したドラフト会議で石川ミリオンスターズから1巡目で指名を受け、高校卒業後の2022年に入団する。
石川 慎吾(いしかわ しんご、1993年4月27日 - )は… 石川 慎吾(いしかわ しんご、1993年4月27日 - )は、大阪府堺市中区出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 愛称は「ダイナマイト・シンゴ」(詳細後述)。 堺市立東陶器小学校1年時からソフトボールを始め、3年時から軟式野球の野田ホークスに所属。中学時代はジュニアホークスボーイズに所属。 中学時代は通算で2本しか本塁打を打っていなかったが、東大阪大柏原高に入り、自分なりのタイミングの取り方を掴むと本塁打を量産する。 主将となり挑んだ3年時の夏は、大阪府予選決勝の大阪桐蔭高戦で一時は最大5点差をつけられるも、最後は押し出し死球でサヨナラ勝ちを収め、同校初の甲子園出場を果たした。
阿南 徹(あなん とおる、1984年7月28日 - )は、大… 阿南 徹(あなん とおる、1984年7月28日 - )は、大分県大野郡緒方町(現在の豊後大野市)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学3年時に野球を始める。柏原高では怪我の影響で公式戦未勝利に終わった。首都大学野球連盟所属の城西大学では4年時の春季リーグ戦で最優秀選手賞を受賞した。 2007年に社会人野球の日本通運に入団。2009年には、比嘉幹貴らと共に第38回IBAFワールドカップ日本代表に選出された。 2009年のプロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズから5巡目で指名。契約金4000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は43。 2012年11月5日に、東野峻・山本和作との交換トレードによって、香月良太と共に読売ジャイアンツ(巨人)へ移籍することが発表された。
久本 祐一(ひさもと ゆういち、1979年3月14日 - )… 久本 祐一(ひさもと ゆういち、1979年3月14日 - )は、大阪府大東市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 柏原高校(現:東大阪大学柏原高校)では1年秋の府大会準決勝で福留孝介を擁するPL学園高に大敗。亜細亜大に進学。大学時代は1年上に左腕・佐藤宏志、松井光介、吉川昌宏が同期、2学年下に木佐貫洋がいて2試合登板したのみで登板機会に恵まれず、通算2試合に登板、0勝0敗、防御率5.40を記録。2001年の第72回都市対抗野球大会で河合楽器が初優勝を果たした際、若獅子賞を受賞する働きを見せ一躍注目される。同年の野球部休部に伴い、特例措置で同僚の山井大介とともにドラフト4巡目指名で中日に入団。
木村 恵二(きむら けいじ、1965年8月30日 - )は、… 木村 恵二(きむら けいじ、1965年8月30日 - )は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小中学生時代は守口リトル、守口シニアに所属した。 柏原高では3年夏の大阪府大会でベスト8まで進出した。近畿大学に進学。大学時代は、1学年上に西岡剛、同学年に山内嘉弘(元オリックス)と小松領平(元プリンスホテル)が主戦投手であったため、控え投手として過ごす。2年秋の明治神宮大会では2試合ともに救援で登板した。当時の松田博明監督の評価は「下半身が全く使えず、カーブばかり投げる投手」という手厳しいものであった。 大学卒業後は日本生命に入社。ここで投球フォームの修正と徹底的な下半身強化に着手。
山田 和英(やまだ かずひで、1958年12月5日 - )は… 山田 和英(やまだ かずひで、1958年12月5日 - )は、大阪府富田林市出身の元プロ野球選手(投手)。 イタリア系アメリカ人の父と日本人の母を持つ二世で、現役時代は、そのスタイルとマスクで阪神タイガースファンに人気があった。 大阪・柏原高校(現・東大阪大学柏原高等学校)では高校三年生から本格的に投手をはじめエースとして活躍。1975年(昭和50年)秋季大阪府大会準々決勝に進むが、山田勉らを擁する大鉄高校(現・阪南大学高等学校)に敗退ベスト8に終わる。非常に優れた身体能力と運動神経を持ち、人並み外れたバネを生かした投球フォームで、球威ある快速球に加えてドロップ(縦に割れるカーブ)を武器に投げ込み、当時の関西No.1本格右腕として脚光を浴び、12球団のスカウトマンが連日、学校や家へ挨拶に来たほどの逸材であった。