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谷垣 邦夫(たにがき くにお、1959年〈昭和34年〉8月2… 谷垣 邦夫(たにがき くにお、1959年〈昭和34年〉8月26日 - )は、日本の郵政官僚、経営者。かんぽ生命保険社長を務める。 兵庫県丹波市柏原町出身。兵庫県立柏原高等学校を経て、1984年(昭和59年)に東京大学教養学部教養学科を卒業。大学では文化人類学を専攻しており、松井孝治(通産官僚を経て、京都市長)は教養学科の同級生。 同年、郵政省に入省。郵務局業務企画課法規係に配属、第3種郵便物の監査や苦情対応に従事。大蔵省主計局調査主任。1989年、豊岡郵便局長。1992年、総理府国際平和協力本部事務局参事官補佐(カンボジアPKO担当)、現地での公正な選挙実施に取り組んだ。2000年近畿郵政局貯金部長、近畿郵政局人事部長 2006年1月、日本郵政株式会社部長。
野村 勝明(のむら かつあき、1957年2月7日 - )は、… 野村 勝明(のむら かつあき、1957年2月7日 - )は、日本の実業家。シャープ社長兼COO。 兵庫県丹波市出身。兵庫県立柏原高等学校、早稲田大学理工学部卒業後、1981年シャープ入社。経理畑を長く歩み、シャープが経営危機に陥り鴻海の傘下に入った2016年からは戴正呉と二人三脚で経営再建に取り組んできた。 取締役などを経て2017年6月から取締役副社長執行役員。2020年6月、社長に就任。2021年3月、シャープは子会社で不正会計があったと発表。記者会見の場で野村は「管理監督が甘かった。」と謝罪した。2022年6月、社長を退任。
山名 昌衛(やまな しょうえい、1954年11月18日 - … 山名 昌衛(やまな しょうえい、1954年11月18日 - )は、日本の経営者。 兵庫県丹波市市島町出身。柏原高等学校を経て1977年に早稲田大学商学部を卒業し、同年にミノルタカメラに入社。 2003年にコニカミノルタホールディングス常務執行役に就任し、取締役常務執行役、取締役専務執行役を経て、2014年4月から取締役代表執行役社長に就任した。 2022年4月から会長に就任した。
江上 剛(えがみ ごう、1954年1月7日 - 、本名・小畠… 江上 剛(えがみ ごう、1954年1月7日 - 、本名・小畠 晴喜(こはた はるき))は、日本の作家、コメンテーター、実業家で、元銀行員。マネジメント事務所は株式会社アンダーパレス。 元日本振興銀行取締役兼代表執行役社長。元(旧)みずほ銀行築地支店長。日本ペンクラブ会員。 兵庫県氷上郡山南町(現・丹波市)出身。兵庫県立柏原高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1977年から2003年まで第一勧業銀行→旧・みずほ銀行に勤務。 1997年、第一勧業銀行総会屋利益供与事件に際し、広報部次長として混乱の収拾に尽力する。この事件後は、同行のコンプライアンス体制構築に大きな役割を果たす。また、この事件を元にした高杉良の小説およびそれを原作とした映画『金融腐蝕列島』のモデルともなった。
永井 幸太郎(ながい こうたろう、1887年4月4日 - 1… 永井 幸太郎(ながい こうたろう、1887年4月4日 - 1983年1月23日)は、日本の実業家。高畑誠一とともに日商を設立し、同社代表取締役社長や、貿易庁長官、学校法人甲南学園理事長、日本発条代表取締役社長等を歴任した。藍綬褒章受章。 兵庫県氷上郡(現丹波市)山南町下滝出身。柏原中学校(現兵庫県立柏原高等学校)首席卒業を経て、1909年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。同期には高畑誠一や出光佐三、和田恒輔がいた。卒業後スタンダード石油入社。その後高畑の誘いを受け鈴木商店に入社。本店穀肥主任、取締役本店総支配人等を経て、日本商業に出向。鈴木商店破綻後、台湾銀行の森広蔵頭取や三菱財閥の各務鎌吉などの支援を得て、高畑らとともに日本商業を分離して日商を設立し取締役に就任した。
有田 邦敬(ありた くによし、くにゆき、1883年9月17日… 有田 邦敬(ありた くによし、くにゆき、1883年9月17日 - 1941年12月21日)は、日本の官僚、経営者。大阪市助役、京阪電気鉄道社長を務めた。兵庫県出身。 旧制兵庫県立柏原中学校、第三高等学校を経て、1908年に京都帝国大学法科を卒業。内務省、逓信省に奉職の後、1915年12月から大阪市長の池上四郎の下で第二助役を務め、1923年12月から1927年12月までは関一の下で助役を務める。両市長の下で迎えた大大阪時代を助役として支えた。1928年4月に太田光凞社長の要請により、京阪電気鉄道副社長に就任し、1936年10月には社長(第5代)に昇格。厳しい経営状況にあった同社の再建を太田とともに進め、現場経験者を抜擢して役員に就任させるなど、次代を支える人材の登用と育成をも周到に行った。