スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田畑 昇悟(たはた しょうご、1985年3月30日 - )は… 田畑 昇悟(たはた しょうご、1985年3月30日 - )は、日本の活動家。 兵庫県丹波市山南町出身。2003年(平成15年)、兵庫県立柏原高等学校を卒業後、京都学園大学人間文化学部に進学し、学生自治会代表を務める。休学中、インド一周、イベント会社・共創社を設立。卒業後、株式会社亀岡市民新聞社の記者として6年間勤める。退職後、ガーナで農園作りのNGO活動に参加。帰国後、2014年(平成26年)に特定非営利活動法人テダスに就職し、事務局長としてNPOの支援活動を行っている。2015年(平成27年)に移住者向け地域情報『集落の教科書』をプロデュースし、それ以降、集落の教科書及びそれに類似した取り組みが全国に広がっている。
もっと読む
笑福亭由瓶(しょうふくてい ゆうへい、1971年5月21日 … 笑福亭由瓶(しょうふくてい ゆうへい、1971年5月21日 - )は、日本の落語家(上方噺家)。所属事務所は松竹芸能。本名∶由良 宏人。血液型はO型。兵庫県丹波市生まれ。兵庫県立柏原高等学校卒業。 『鶴瓶上岡パペポTV』が好きで、食品の営業マンを辞めて1997年10月12日、笑福亭鶴瓶に入門。入門当時は12番弟子。その後瓶太とのり瓶の廃業と笑瓶の死去により2023年10月時点では9番弟子。タレント志望であった。 1998年8月30日、ホテル竹園で当時年2回行っていた鶴瓶一門会「竹園寄席」で初舞台、演目は「二人ぐせ」(鶴瓶の兄弟子である6代目松喬の音源で覚えて、後に鶴瓶が稽古をつけた)。一時期毎日放送の『ちちんぷいぷい』(テレビ)、『MBSヤングタウン日曜日』(ラジオ)のレギュラーだった。
もっと読む
大西 裕(おおにし ゆたか、1965年 - )は、日本の政治… 大西 裕(おおにし ゆたか、1965年 - )は、日本の政治学者、行政学者。神戸大学大学院法学研究科教授、日本政治学会第32代理事長。専門は韓国の政治・行政、アジアの政治経済。 兵庫県氷上郡春日町(現:丹波市)生まれ。1983年3月兵庫県立柏原高等学校卒業。1989年3月京都大学法学部卒業。1991年3月京都大学大学院法学研究科修士課程修了。1993年3月京都大学大学院法学研究科博士課程中途退学。京都大学では村松岐夫に師事した。 大阪市立大学法学部助手(1993年)、同助教授(1994年)、高麗大学校客員教授(1997年 - 1998年)を経て、2005年より神戸大学大学院法学研究科教授。 2006年9月、京都大学より博士(法学)を取得。
もっと読む
平田 岳史(ひらた たかふみ、1962年6月17日 - ) … 平田 岳史(ひらた たかふみ、1962年6月17日 - ) は、日本の化学者。東京大学大学院理学系研究科教授。元日本地球化学会副会長。 兵庫県丹波市柏原町新町出身。1981年、兵庫県立柏原高等学校卒業。1985年、東京理科大学理学部化学科卒業。1990年、東京大学大学院理学系研究科化学専門課程博士課程修了、理学博士。通商産業省入省、工業技術院地質調査所入所。東京工業大学理学部助手、サウサンプトン大学客員研究員、東京工業大学大学院理工学研究科地球惑星科学専攻准教授、東京大学海洋研究所国際沿岸海洋研究センター客員准教授を経て、2009年、京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻教授。2016年、東京大学大学院理学系研究科附属地殻化学実験施設教授、日本地球化学会副会長。
もっと読む
中野 貴志(なかの たかし、1961年12月19日 - )は… 中野 貴志(なかの たかし、1961年12月19日 - )は日本の物理学者。大阪大学教授。大阪大学核物理研究センター長。理学博士(京都大学、1991年)。大阪市出身。2003年7月大型放射光施設SPring-8で合計五つのクォークと反クォークから構成されている重粒子ペンタクォークの存在を確認した、と主張。 2002年、中野貴志らは、ペンタクォークを発見したと発表した。しかし、その他の多くの実験グループはペンタクォーク状態が存在する証拠を発見できず、2005年にはペンタクォークの発見は誤りだったと結論された。特に、トーマス・ジェファーソン国立加速器施設(米国バージニア州ニューポートニューズ)を使った研究チームは、SPring-8と同様の測定を行い、さらに多くのデータを得た上でペンタクォークの存在を否定した。
もっと読む
谷垣 邦夫(たにがき くにお、1959年〈昭和34年〉8月2… 谷垣 邦夫(たにがき くにお、1959年〈昭和34年〉8月26日 - )は、日本の郵政官僚、経営者。かんぽ生命保険社長を務める。 兵庫県丹波市柏原町出身。兵庫県立柏原高等学校を経て、1984年(昭和59年)に東京大学教養学部教養学科を卒業。大学では文化人類学を専攻しており、松井孝治(通産官僚を経て、京都市長)は教養学科の同級生。 同年、郵政省に入省。郵務局業務企画課法規係に配属、第3種郵便物の監査や苦情対応に従事。大蔵省主計局調査主任。1989年、豊岡郵便局長。1992年、総理府国際平和協力本部事務局参事官補佐(カンボジアPKO担当)、現地での公正な選挙実施に取り組んだ。2000年近畿郵政局貯金部長、近畿郵政局人事部長 2006年1月、日本郵政株式会社部長。
もっと読む
山内 正和(やまうち まさかず、1958年3月15日 – )… 山内 正和(やまうち まさかず、1958年3月15日 – )は、日本の防衛官僚。 兵庫県丹波市出身。兵庫県立柏原高等学校を経て、東京大学法学部卒業。
もっと読む
野村 勝明(のむら かつあき、1957年2月7日 - )は、… 野村 勝明(のむら かつあき、1957年2月7日 - )は、日本の実業家。シャープ社長兼COO。 兵庫県丹波市出身。兵庫県立柏原高等学校、早稲田大学理工学部卒業後、1981年シャープ入社。経理畑を長く歩み、シャープが経営危機に陥り鴻海の傘下に入った2016年からは戴正呉と二人三脚で経営再建に取り組んできた。 取締役などを経て2017年6月から取締役副社長執行役員。2020年6月、社長に就任。2021年3月、シャープは子会社で不正会計があったと発表。記者会見の場で野村は「管理監督が甘かった。」と謝罪した。2022年6月、社長を退任。
もっと読む
藤本 幸人(ふじもと さちと、1957年 - )は、日本の自… 藤本 幸人(ふじもと さちと、1957年 - )は、日本の自動車技術者。
もっと読む
中井 國緒 (なかい くにお、1954年11月20日 - 2… 中井 國緒 (なかい くにお、1954年11月20日 - 2017年9月1日)は、日本の検察官、公証人。 旭川地方検察庁検事正、前橋地方検察庁検事正、福岡地方検察庁検事正、さいたま地方検察庁検事正等を歴任した。 兵庫県出身。兵庫県立柏原高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。地下鉄サリン事件の林郁夫オウム真理教治療大臣の取調べをするなどした。 大阪高等検察庁公安部長、旭川地方検察庁検事正、前橋地方検察庁検事正、福岡地方検察庁検事正、最高検察庁検事等を歴任後、さいたま地方検察庁検事正を最後に2014年に退官し、2015年から新橋公証役場公証人に転じた。 公証人退任後の2017年、兵庫県丹波市春日町池尾の実家田んぼで稲刈り中、運転するコンバインに轢かれ死亡した。
もっと読む
山名 昌衛(やまな しょうえい、1954年11月18日 - … 山名 昌衛(やまな しょうえい、1954年11月18日 - )は、日本の経営者。 兵庫県丹波市市島町出身。柏原高等学校を経て1977年に早稲田大学商学部を卒業し、同年にミノルタカメラに入社。 2003年にコニカミノルタホールディングス常務執行役に就任し、取締役常務執行役、取締役専務執行役を経て、2014年4月から取締役代表執行役社長に就任した。 2022年4月から会長に就任した。
もっと読む
笹倉 鉄平(ささくら てっぺい、1954年11月7日 - )… 笹倉 鉄平(ささくら てっぺい、1954年11月7日 - )は、兵庫県出身の画家。「光の情景画家」と称され、様々な表情の光があふれる画風は、写実的でありながらも想像性に富み、"心が安らぐ"絵として、老若男女幅広いファン層を持ち、支持を得ている。 画家デビュー以来、220作品以上の版画作品をはじめ、画集、詩画集、版画集、DVD作品集等が出版され、ポスターやポストカード、ジグソーパズル、カレンダー等のアートグッズも高い人気を保持し現在に至っている。 デビューから30年以上に渡り毎年、全国百貨店での個展・展覧会を開催。近年では、フランス、中国、イタリア等での展覧会も成功を収め、日本の良さや日本人の優しさ・美意識等を情景画として表現し世界へ伝えている。
もっと読む
林 時彦(はやし ときひこ、1954年〈昭和29年〉5月3日… 林 時彦(はやし ときひこ、1954年〈昭和29年〉5月3日 - )は、日本の政治家。兵庫県丹波市長(2期)。元丹波市議会議員(3期)。 兵庫県春日町(現・丹波市春日町黒井)生まれ。春日町立黒井小学校(現・丹波市立黒井小学校)、春日町立明徳中学校(現・丹波市立春日中学校)、兵庫県立柏原高等学校卒業。1979年(昭和54年)3月、明治大学商学部卒業。同年4月、林建設に入社。 1994年(平成6年)、林建設代表取締役に就任。 2008年(平成20年)11月の丹波市議会議員選挙に立候補し初当選。2018年(平成30年)12月、議長に就任。 2020年(令和2年)9月30日、任期満了に伴う丹波市長選挙に立候補する意向を表明。
もっと読む
江上 剛(えがみ ごう、1954年1月7日 - 、本名・小畠… 江上 剛(えがみ ごう、1954年1月7日 - 、本名・小畠 晴喜(こはた はるき))は、日本の作家、コメンテーター、実業家で、元銀行員。マネジメント事務所は株式会社アンダーパレス。 元日本振興銀行取締役兼代表執行役社長。元(旧)みずほ銀行築地支店長。日本ペンクラブ会員。 兵庫県氷上郡山南町(現・丹波市)出身。兵庫県立柏原高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1977年から2003年まで第一勧業銀行→旧・みずほ銀行に勤務。 1997年、第一勧業銀行総会屋利益供与事件に際し、広報部次長として混乱の収拾に尽力する。この事件後は、同行のコンプライアンス体制構築に大きな役割を果たす。また、この事件を元にした高杉良の小説およびそれを原作とした映画『金融腐蝕列島』のモデルともなった。
もっと読む
佐々木 恭介(ささき きょうすけ、1949年12月28日 -… 佐々木 恭介(ささき きょうすけ、1949年12月28日 - )は、兵庫県氷上郡青垣町(現・丹波市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・監督、野球解説者、野球評論家。 少年時代は相撲を取ったら負け知らずだったため、相撲部屋からスカウトが来たという。 兵庫県立柏原高校では捕手で4番を打つと、社会人野球の新日本製鐵広畑に入社する。新人の頃は神部年男(後に近鉄でも先輩)の球も受けていたが、2年目から一塁手に転向して1970年の第41回都市対抗野球大会に鐘淵化学の補強選手として出場し、チームの準々決勝進出に貢献する。同年のプロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズから9位指名を受けるが入団を拒否し、会社に残留する。
もっと読む
柳田 敏雄(やなぎだ としお、1946年〈昭和21年〉10月… 柳田 敏雄(やなぎだ としお、1946年〈昭和21年〉10月10日 - )は、日本の物理学者(生物物理学)。学位は工学博士(大阪大学・1976年)。大阪大学栄誉教授・名誉教授。文化功労者。日本学士院会員。勲等は瑞宝重光章。 村田製作所勤務を経て、大阪大学基礎工学部教授、大阪大学医学部教授、大阪大学大学院生命機能研究科研究科長・同教授などを歴任した。 1946年10月10日生まれ、兵庫県出身。大阪大学に進学し、大沢文夫の直弟子となる。 生物物理学を専攻し、蛍光顕微鏡やレーザートラップ顕微鏡などを用いた一分子計測の先駆者である。大阪大学にて工学部、基礎工学部、医学部、大学院生命機能研究科などで教鞭を執った。
もっと読む
山名 靖英(やまな やすひで、1944年1月16日 - )は… 山名 靖英(やまな やすひで、1944年1月16日 - )は、日本の政治家。兵庫県氷上郡市島町(現丹波市)出身。立命館大学経営学部卒業。元衆議院議員(3期)。山名宗全の末裔で、全国山名氏一族会理事長を務めた。
もっと読む
小山 靖憲 (こやま やすのり、1941年1月1日 - 20… 小山 靖憲 (こやま やすのり、1941年1月1日 - 2005年5月14日)は、日本の歴史学者。専攻は日本中世史。和歌山大学名誉教授。兵庫県出身。 1964年、東京教育大学文学部史学科を卒業。1971年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 和歌山大学のちに帝塚山大学の教授として大学および大学院の指導にあたるほか、立命館大学(12ヵ年)、高野山大学(4ヵ年)、関西大学(3ヵ年)、大阪教育大学(2ヵ年)、大阪大学(2ヵ年)、大阪市立大学、新潟大学、岡山大学、関西学院大学、大阪樟蔭女子大学、堺女子短期大学、奈良女子大学、國學院大學(各1ヵ年)などに出講し、後進の研究者の多くに影響を与えた。 荘園絵図研究、熊野古道研究の第一人者として知られ、晩年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録に尽力した。
もっと読む
西本 道則(にしもと みちのり、1937年6月29日 - [… 西本 道則(にしもと みちのり、1937年6月29日 - [要出典])は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 1956年に柏原高を卒業するが、教師を志望して受験した関西学院大学を不合格となり浪人していた。同年7月に叔父の勧めで高橋ユニオンズの入団テストを受けると、遠投で1位になるなど、実力を認められて仮採用となる。3人の仮採用の一人に東映を退団していた小川健太郎もいた。その後、西本だけが本採用となって11月に正式に入団する。しかし、1957年のキャンプ中に高橋は大映スターズと合併したため、そのまま大映ユニオンズに移籍した。 大映では、開幕第2戦となる4月7日の東映フライヤーズ戦に2対2で同点の延長10回表からプロ初登板する。
もっと読む
岩槻 邦男(いわつき くにお、1934年7月15日 - )は… 岩槻 邦男(いわつき くにお、1934年7月15日 - )は、日本の植物学者。東京大学名誉教授、文化功労者。 兵庫県氷上郡柏原町(現・丹波市)生まれ。兵庫県立柏原高等学校を経て1957年京都大学理学部植物学科卒業。1965年同大学院理学研究科博士課程修了、「Taxonomy of the thelypteroid ferns with special reference to the species of Japan and adjacent regions」で理学博士。京都大学理学部助教授、1972年教授、1981年東京大学理学部附属植物園教授兼任、83年専任、植物園長、1994年植物の多様性の解析と保全生物学的研究で日本学士院エジンバラ公賞受賞、1995年定年退官、名誉教授、立教大学教授、2000年放送大学教授、兵庫県立人と自然の博物館館長、同名誉館長。
もっと読む
坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 20… 坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 2001年4月29日)は、日本の法学者。専門は、労働法・社会保障法。学位は、法学博士(旧東京都立大学)。静岡大学名誉教授。日本労働法学会代表理事、日本社会保障法学会代表理事等を歴任。大阪府大阪市出身。 1951年兵庫県立柏原高等学校卒業。1955年神戸大学法学部卒業。1958年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。吾妻光俊ゼミ出身。 1958年一橋大学法学部助手。1959年東京都立大学法経学部助手。1964年静岡大学文理学部助教授。1965年同人文学部助教授。1973年同人文学部教授。1979年静岡大学評議員(~1983年)。1983年同人文学部長(~1985年)。
もっと読む
大木 道則(おおき みちのり、1928年3月30日 - 20… 大木 道則(おおき みちのり、1928年3月30日 - 2016年11月23日)は、日本の化学者。 兵庫県氷上郡久下村(現・丹波市)出身。旧制柏原中学校、大阪高等学校、東京大学理学部卒。1953年「化学構造と発情作用の関係」で理学博士。 米国イリノイ大学留学。 東京都立大学助教授、 東大理学部助教授、教授、1989年定年退官、名誉教授、岡山理科大学教授。1990年紫綬褒章受章。1999年退職。
もっと読む
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
もっと読む
片山 桃史(かたやま とうし、1912年8月23日 - 19… 片山 桃史(かたやま とうし、1912年8月23日 - 1944年1月21日)は、兵庫県出身の俳人。本名・隆雄。 黒井村(現・丹波市春日町)生まれ。酒屋の次男。旧制柏原中学校(現・兵庫県立柏原高等学校)を卒業後、鴻池銀行(三菱東京UFJ銀行の前身)に入行。俳句は旧制中学在学中よりはじめ、「鬼灯」誌で西山泊雲に師事、「ホトトギス」を経て、1935年に日野草城の「旗艦」創刊に同人参加。1937年8月応召、中国大陸にて従軍しながら戦地で詠んだ前線俳句を本国に送り「旗艦」に発表した。1940年帰国、句集『北方兵団』(三省堂 俳苑叢刊)を刊行。1941年に再度応召し、東部ニューギニアで戦死した。戦後、宇多喜代子が遺稿などを集め、1984年に『片山桃史集』を編集刊行している。
もっと読む
大森 忠夫(おおもり ただお、1908年11月24日 - 1… 大森 忠夫(おおもり ただお、1908年11月24日 - 1972年12月3日)は、日本の法学者。専門は商法・保険法。学位は法学博士(京都大学・1953年)。京都大学名誉教授。竹田省門下。弟子に岩本慧、村田治美など。 兵庫県出身。1932年(昭和7年)京都帝国大学助手となるが、翌年の滝川事件で辞職。立命館大学助教授となる。1935年(同10年)京大に復帰して助教授、1943年(同18年)教授。保険法の権威として知られ、著作に「保険契約の法的構造」、「保険契約法の研究」、「保険法」などがある。 上柳克郎編『商法・保険法の諸問題:大森先生還暦記念』(有斐閣、1972)
もっと読む
藤原 岩市(ふじわら いわいち、1908年(明治41年)3月… 藤原 岩市(ふじわら いわいち、1908年(明治41年)3月1日 - 1986年(昭和61年)2月24日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。 太平洋戦争においてF機関を指示し、チャンドラ・ボースらと共にインド国民軍の編成や戦後のインド独立に大きな役割を果たした。そのため、インド独立運動に携わり「インド独立の父」と呼ばれるマハトマ・ガンディーに対して、藤原はボースと並び「インド独立の母」とも呼ばれる。 藤原為蔵の二男として兵庫県多可郡(現在の西脇市黒田庄町喜多)に生まれる。柏原中学校を卒業し、陸軍予科士官学校を経て、1931年7月、陸軍士官学校(43期)を卒業、同年10月、陸軍少尉任官、歩兵第37連隊付となった。
もっと読む
細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 199… 細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 1997年9月6日)は、兵庫県出身の俳人。松瀬青々に師事、「倦鳥」を経て「風」同人。夫は沢木欣一。 1907年(明治40年)、父・細見喜市、母・とりの長女として兵庫県氷上郡芦田村、現・兵庫県丹波市青垣町東芦田に生まれる。実家は江戸時代から名主をつとめた素封家。 1919年、柏原高等女学校に入学、寮生活を送る。1923年、日本女子大学校国文科入学。1927年(昭和2年)、同大学を卒業、同時に東京大学医学部助手の太田庄一と結婚。1929年、夫を結核で失い、秋に肋膜炎を発病したため帰郷。佐治町の医師でもあった俳人・田村菁斎の勧めで俳句を始め、松瀬青々の俳誌「倦鳥」に入会、その年に投句し初入選する。
もっと読む
荻田 庄五郎(おぎた しょうごろう、1903年(明治36年)… 荻田 庄五郎(おぎた しょうごろう、1903年(明治36年)5月9日 - 1983年11月2日)は、日本の英文学者、関西学院大学教授、旧制兵庫県立柏原中(現兵庫県立柏原高等学校)教諭。英国の詩人、パーシー・ビッシュ・シェリー研究の第一人者。 滋賀県彦根市生まれ。1928年、関西学院大学文学部英文学科卒業。青森県弘前市・東奥義塾を経て1930年、旧制兵庫県立柏原中(現兵庫県立柏原高等学校)の英語教諭となる。1946年、関西学院専門部教授、1969年、同商学部教授を退職し神戸海星女子学院大学英文学科教授となる。1981年同大を退職。 1928年に太田晃子と結婚後、1男5女をもうける。英国の詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーのほか、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)などの研究で知られる。
もっと読む
山本 茂斗萌(やまもと もとめ、1902年 - 1985年)… 山本 茂斗萌(やまもと もとめ、1902年 - 1985年)は東京生れの日本画家。本名は求。 1902年東京生まれ。東京美術学校日本画本科次席卒。1928年より旧制兵庫県立柏原中学校(現兵庫県立柏原高等学校)にて美術教師として勤務。1962年に定年退職するまで一度も異動がなかった。1935年、日本画家堂本印象の画塾東丘社に入塾。1936年、34歳の時に「小憩」で日展初入選。丹波市内に作品を多く残し、兵庫県立柏原高等学校、兵庫県立氷上西高等学校の校章デザインも手がけた。堂本印象のほか、三木翠山にも師事した。1985年逝去。
もっと読む
有田 喜一(ありた きいち、1901年4月30日 - 198… 有田 喜一(ありた きいち、1901年4月30日 - 1986年2月9日)は、日本の政治家、逓信及び運輸官僚。文部大臣(第87代)、科学技術庁長官(第17代)、防衛庁長官(第24代)、経済企画庁長官(第22代)、衆議院議員(9期)。 兵庫県氷上郡氷上町(現丹波市)出身。旧制兵庫県立柏原中学校、第八高等学校を経て、東京帝国大学経済学部卒業。逓信省大阪逓信局長や運輸省海運総局長を経て政界入り。政治家となってからは芦田均と行動をともにしたが、保守合同により自由民主党が結成されると旧芦田派の一部とともに岸派に入り、岸派の分裂後は福田派に属した。福田赳夫の右腕といわれ1966年8月、福田が大蔵大臣を務める第1次佐藤第2次改造内閣で文部大臣兼科学技術庁長官として初入閣。
もっと読む
近藤 憲二(こんどう けんじ、1895年2月22日 - 19… 近藤 憲二(こんどう けんじ、1895年2月22日 - 1969年8月6日)は、大正・昭和期の無政府主義者。 1895年2月22日、兵庫県氷上郡前山村に生まれる。兵庫県立柏原中学を卒業後、上京して早大政経科に入学。在学中の1914年、大杉栄の論文集『生の闘争』に感動し、大久保に大杉を訪ね同志に加わる。バクーニン主義をとる。1916年、荒畑寒村と『労組』を、続いて『青服』(囚人服の意)を発行する。1919年、大杉の『労働運動』同人となる。1920年、「日本社会主義同盟」準備会発起人となる。1921年、第2回メーデーで警察隊と激突、市ヶ谷刑務所に下獄。1923年、大杉の計画する全国アナキスト同盟結成を手伝い関西・九州をオルグにまわる。
もっと読む
後藤 正雄(ごとう まさお、1892年 - 1972年)は、… 後藤 正雄(ごとう まさお、1892年 - 1972年)は、日本の飛行機操縦士、政治家。 兵庫県有馬郡中野村下青野(現・三田市)の出身。兵庫県立柏原中学校(現・兵庫県立柏原高等学校)から歩兵第70連隊での軍務を経て帝国飛行協会の飛行士練習生試験に合格する。第二期生として入所。1917年5月帝国飛行協会兵庫支部の要請を受け篠山練兵場から三田(現三田市下田中)までモーリスファルマン式飛行機で郷里訪問飛行を行った。1918年4月1日、所沢飛行場から大阪練兵場までの単身長距離無着陸飛行に成功する。その後、四国一周および岡山県訪問飛行を同期生の佐藤要三と成功させた。 1919年帝国飛行協会を辞職、1927年2月に郷里の中野村の村長に就任する。
もっと読む
大城戸 三治(おおきど さんじ、1891年(明治24年)4月… 大城戸 三治(おおきど さんじ、1891年(明治24年)4月28日 - 1962年(昭和37年)3月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 兵庫県出身。農業・大城戸卯市の三男として生まれる。柏原中学校(現兵庫県立柏原高等学校)卒業を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第40連隊付となる。1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を優等で卒業。 1925年(大正14年)1月、歩兵第40連隊中隊長となり、参謀本部付勤務(支那班)、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)を務め、1930年(昭和5年)12月から1931(昭和6年)11月まで陸大で専攻学生として学んだ。
もっと読む
秋山 徳三郎(あきやま とくさぶろう、1891年(明治24年… 秋山 徳三郎(あきやま とくさぶろう、1891年(明治24年)2月22日 - 1968年(昭和43年)2月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 兵庫県青垣町(現:丹波市)おいて[要出典]、秋山宝右衛門の二男として生まれる。柏原中学校卒を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、工兵少尉に任官し工兵第10大隊付となる。1915年(大正4年)12月、陸軍砲工学校高等科を卒業。さらに陸軍派遣学生として東京帝国大学工科大学土木科で学び1919年(大正8年)7月に卒業した。その際、南清博士奨励記念賞を受賞している。 1920年(大正9年)4月、陸軍築城本部員となり、英仏駐在を経て、1924年(大正13年)10月、イギリス工兵校を卒業。
もっと読む
芦田 均(あしだ ひとし、1887年〈明治20年〉11月15… 芦田 均(あしだ ひとし、1887年〈明治20年〉11月15日 - 1959年〈昭和34年〉6月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。同国47代内閣総理大臣。 衆議院議員(11期)、厚生大臣(第13代)、外務大臣(第67・68代)を歴任した。 外交官を経て政界入り。立憲政友会に所属して外務省とのパイプ役を務めた。軍国主義が広まる議会においてリベラリストとして活動した。戦後は自由党の結成に関与した後、離党して民主党を結党し、副総理を経て芦田内閣を首班した。 芦田は1887年11月15日、京都府天田郡宮村(後に中六人部村を経て現在の福知山市)に生まれた。生家は豪農であった。社会・民主・国民協同3党連立内閣のパートナーであり、大学時代の同級生でもあった片山哲は、芦田の死後まもなく衆議院本会議で行った追悼演説で、芦田が政界に入るまでをこのように述べている。
もっと読む
永井 幸太郎(ながい こうたろう、1887年4月4日 - 1… 永井 幸太郎(ながい こうたろう、1887年4月4日 - 1983年1月23日)は、日本の実業家。高畑誠一とともに日商を設立し、同社代表取締役社長や、貿易庁長官、学校法人甲南学園理事長、日本発条代表取締役社長等を歴任した。藍綬褒章受章。 兵庫県氷上郡(現丹波市)山南町下滝出身。柏原中学校(現兵庫県立柏原高等学校)首席卒業を経て、1909年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。同期には高畑誠一や出光佐三、和田恒輔がいた。卒業後スタンダード石油入社。その後高畑の誘いを受け鈴木商店に入社。本店穀肥主任、取締役本店総支配人等を経て、日本商業に出向。鈴木商店破綻後、台湾銀行の森広蔵頭取や三菱財閥の各務鎌吉などの支援を得て、高畑らとともに日本商業を分離して日商を設立し取締役に就任した。
もっと読む
関 亀治(せき かめはる、1886年(明治19年)11月3日… 関 亀治(せき かめはる、1886年(明治19年)11月3日 - 1969年(昭和44年)4月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 兵庫県出身。柏原中学校を経て、1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第20連隊付となる。陸士生徒隊付などを経て、1918年(大正7年)11月、陸軍大学校(30期)を卒業した。 参謀本部付勤務、参謀本部員(兵站班)、陸軍兵器本廠付、アメリカ駐在、兵器本廠付、陸軍省整備局課員などを歴任し、1927年(昭和2年)7月、歩兵中佐に進級。1929年(昭和4年)12月、兵器本廠付に発令され陸大専攻学生となった。
もっと読む
有田 邦敬(ありた くによし、くにゆき、1883年9月17日… 有田 邦敬(ありた くによし、くにゆき、1883年9月17日 - 1941年12月21日)は、日本の官僚、経営者。大阪市助役、京阪電気鉄道社長を務めた。兵庫県出身。 旧制兵庫県立柏原中学校、第三高等学校を経て、1908年に京都帝国大学法科を卒業。内務省、逓信省に奉職の後、1915年12月から大阪市長の池上四郎の下で第二助役を務め、1923年12月から1927年12月までは関一の下で助役を務める。両市長の下で迎えた大大阪時代を助役として支えた。1928年4月に太田光凞社長の要請により、京阪電気鉄道副社長に就任し、1936年10月には社長(第5代)に昇格。厳しい経営状況にあった同社の再建を太田とともに進め、現場経験者を抜擢して役員に就任させるなど、次代を支える人材の登用と育成をも周到に行った。
もっと読む
畑 七右衛門(七右衞門、はた しちうえもん、1883年(明治… 畑 七右衛門(七右衞門、はた しちうえもん、1883年(明治16年)1月6日 - 1958年(昭和33年)5月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・長沢、前名・留治郎。和孝に改名。 京都府天田郡、のちの細見村(三和村、三和町を経て現福知山市)に長沢又三郎の六男として生まれる。兵庫県在住の先代畑七右衛門の養子となる。兵庫県立柏原中学校(現・兵庫県立柏原高等学校)を卒業し、その後日露戦争に従軍する。1916年に家督を相続して七右衛門を襲名する。春日部村収入役、同村長を務め、兵庫県議、同議長、県農会特別議員に選ばれる。ほか多利信用購買組合長、春日部村信用組合長、同農会長、黒井銀行、葛野銀行各取締役などを務める。
もっと読む
大西 瀧治郎 は、日本の海軍軍人。海兵40期。神風特別攻撃隊… 大西 瀧治郎 は、日本の海軍軍人。海兵40期。神風特別攻撃隊の創始者の一人。終戦時に自決。最終階級は海軍中将。
もっと読む
高岡 正人(たかおか まさと)は、日本の外交官。2012年(… 高岡 正人(たかおか まさと)は、日本の外交官。2012年(平成24年)9月11日から2013年(平成25年)までイラク駐箚特命全権大使。2013年からシドニー総領事、2016年(平成28年)からモンゴル駐箚特命全権大使、2019年(令和元年)からクウェート駐箚特命全権大使。2022年退官。 兵庫県氷上郡山南町(現在の丹波市山南町)出身。和田小学校、和田中学校、兵庫県立柏原高等学校で学ぶ。
もっと読む