スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
梶本 達哉(かじもと たつや、1986年8月21日 - )は… 梶本 達哉(かじもと たつや、1986年8月21日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 西脇高時代は、甲子園出場経験は無し。 高校卒業後は、天理大学へと進学するも休学し、2007年に四国・九州アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに入団。愛媛時代は29試合に登板し15勝6敗1セーブ、144奪三振、防御率2.27。最多勝のタイトルを獲得した。 2007年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから育成1巡目で指名を受け入団。 2008年5月30日、支配下選手登録される。ウエスタン・リーグでは24試合に登板し、0勝5敗で防御率4.29。勝ち星こそなかったが、チーム最多の投球回数となる77回2/3イニングを投げ、終盤にはクローザーも任された。
藤原 真(ふじわら まこと、1945年5月15日 - )は、… 藤原 真(ふじわら まこと、1945年5月15日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 西脇高校では当初、三塁手であったが、在学中に工業課程が西脇工業高校として独立したことで野球部も分離されると当時のエースは西脇工業の方へ移ったことで投手を始める。慶應義塾大学へ進学し投手へ転向。東京六大学野球リーグでは渡辺泰輔、佐藤元彦が卒業した2年生時から活躍。 1966年春季リーグでは慶大初の最下位という屈辱を味わう。 1967年春季リーグの優勝に貢献。121回を投げて、同季のベストナインに選出される。直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で中大の宮本幸信と投げ合うが、1-3で惜敗し準優勝にとどまる。
丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、… 丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ。 ファッションデザイナーの丸山敬太は実子。 西脇高校卒業後は1958年に立教大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは1年次の同年、2年次の1959年に3度の優勝を経験。3年次の1960年秋季リーグでは打率.365で首位打者となり、一塁手としてベストナインにも選出された。リーグ通算64試合出場、237打数68安打、打率.287、0本塁打、25打点を記録。大学同期に青野修三、寺本勇がいる。 1962年に国鉄スワローズへ入団。1年目の同年は開幕直後から一塁手、外野手として起用され、一番打者に定着。
宮崎 逸人(みやざき いつひと、1935年8月1日 - )は… 宮崎 逸人(みやざき いつひと、1935年8月1日 - )は、兵庫県多可郡中町(現:多可町)出身の元プロ野球選手。 兵庫県立西脇高等学校卒業後、1954年に大阪タイガースに入団。1955年に1軍初登板し、プロ初勝利を記録した。1956年にはウエスタン・リーグの防御率・勝率1位を記録するなど、若手のホープとして期待されたが、1軍最多登板は同年の9試合と伸び悩み、1958年オフに退団した。