スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
姜 暢雄(きょう のぶお、1979年3月23日 - )は、日… 姜 暢雄(きょう のぶお、1979年3月23日 - )は、日本の俳優。キューブ所属。兵庫県姫路市出身。市川高等学校卒業。身長181 cm、体重61 kg。 在日韓国人として生まれたが、日本に帰化したことを公表している。 1998年、自身の姉が応募した第11回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」にて、フォトジェニック賞・Pメールグランプリを受賞。 父親が経営する会社を継ぐ予定だったが、このコンテストで多数のスカウトを受けて進路変更、上京し芸能事務所キューブに所属。当時キューブがマネージメントしていた劇団であるSTUDIO LIFEに所属し、初舞台を踏む。 2002年2月から2003年2月まで放送された、スーパー戦隊シリーズ『忍風戦隊ハリケンジャー』にて、霞一鍬 / クワガライジャー 役で初めてテレビドラマに出演。
小田 幸平(おだ こうへい、1977年3月15日 - )は、… 小田 幸平(おだ こうへい、1977年3月15日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手(捕手)、現在は愛媛マンダリンパイレーツ野手コーチ、YouTuber。 兵庫・市川高校では甲子園に出場することはなく、卒業後は社会人野球の三菱重工神戸へ進み、3年連続で都市対抗野球出場、3年目の秋には日本選手権で優勝に貢献して優秀選手を受賞。 1997年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受けて、入団。 守備は即戦力級であり、ルーキーイヤーの1998年から毎年一軍での出場機会を得る。桑田真澄もルーキーの小田を『キャッチングがうまいね』と評価したという。しかし打撃に難があり、3番手以降の捕手という評価に止まり、一軍で定着出来ないシーズンがしばらく続く。
松下 幸広(まつした ゆきひろ、1973年6月5日 - )は… 松下 幸広(まつした ゆきひろ、1973年6月5日 - )は、日本の元競泳選手。1996年アトランタオリンピック日本代表。100m自由形の元日本記録保持者。 兵庫県市川高校、中央大学卒。 1994年アジア競技大会では100m自由形・400mフリーリレー・400mメドレーリレーの三冠を達成した。 1995年パンパシフィック水泳選手権の400mメドレーリレーでは銅メダルを獲得した。 アトランタオリンピック選考会の100mバタフライで2位に入り、オリンピック日本代表に選出された。1996年アトランタオリンピックでは50m自由形と100mバタフライに出場し、予選落ちとなった。
皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日 - … 皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日 - )は、兵庫県三木市福井出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士、現若藤親方。得意手は突き、押し、寄り、いなし、猫騙し。アマチュア相撲出身。最高位は西前頭4枚目(2001年7月場所)。身長175cm、体重152kg。趣味はビデオ鑑賞。本名は大内 信英(おおうち のぶひで)、血液型はA型。 兵庫県三木市福井出身の金属加工業の二男である。祖父と父が相撲好きだった影響で三木市立三樹小学校6年の時からの時から相撲好きで力士を志し、三木市立三木中学校で相撲を始め、相撲部(現在は廃部)に入部し、全国大会に出場した。市川高校相撲部では国民体育大会や全国高等学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献し、日本大学相撲部では全日本相撲選手権大会で活躍した。
大日ノ出 崇揚(おおひので たかあき、1970年1月19日 … 大日ノ出 崇揚(おおひので たかあき、1970年1月19日 - )は、兵庫県宍粟郡千種町(現:兵庫県宍粟市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は西田 崇晃(にしだ たかあき)。最高位は西前頭9枚目(1999年5月場所)。 1970年1月19日に兵庫県宍粟郡千種町(現:兵庫県宍粟市)で、税理士として勤務している家に長男として生まれる。西田家の親戚に阪神タイガースの二塁手がいたために、千種町立千種南小学校3年生の時にリトルリーグへ入団、投手兼4番打者として活躍し、千種町立千種中学校では硬式野球部に所属した。 これまで野球一筋で活躍していたことで相撲の経験は全く無かったが、中学3年生の時に中学校側が試し半分で宍粟郡の相撲大会に出場したところ、順調に勝ち進んで兵庫県大会へ出場、さらに近畿大会で活躍したことで市川高等学校から勧誘された。
名倉 潤(なぐら じゅん、1968年〈昭和43年〉11月4日… 名倉 潤(なぐら じゅん、1968年〈昭和43年〉11月4日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、実業家、俳優。お笑いトリオ・ネプチューンのリーダー及びツッコミ担当。愛称は、潤ちゃん、リーダーなど。ワタナベエンターテインメント所属。妻はおニャン子クラブの元メンバーでタレントの渡辺満里奈。 兵庫県姫路市出身。姫路市立大津小学校、姫路市立広畑中学校、市川高等学校を卒業。男4人兄弟の末子で、長兄は7歳年上。[要出典] 1986年に芸能活動を開始。当初は俳優志望だったが、3年後の1989年にお笑いに転向。渡辺勝彦と「ジュンカッツ」としてコンビを組み、ツッコミを担当した。駆け出しの頃はバラエティ番組に出演するほか、『東京フレンドパーク』で前説を務めるなど下積みを重ねた。
金城 信夫(かねしろ のぶお、1963年7月6日 - )は、… 金城 信夫(かねしろ のぶお、1963年7月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 兵庫県市川町の市川高では3年夏の県大会準決勝で全国制覇することとなる金村義明(報徳学園中学校・高等学校)と投げ合って敗退、1981年のNPBプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから1位指名を受け入団。甲子園には未出場のため無名だが各スカウト間ではドラフト1位の「隠し玉」的存在だったが、ヒジの使い方がうまいオーバースローで高卒ながら1~2年後には戦力になると期待されていた。 しかし、一軍登板のないまま1985年オフに退団。 1986年に韓国へ渡り、KBOの青宝ピントゥス(1988年より、太平洋ドルフィンズ)へ入団。
所 憲佐(ところ けんすけ、1951年7月11日 - )は、… 所 憲佐(ところ けんすけ、1951年7月11日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 市川高等学校では、高校の通算打率.350、通算本塁打3本、盗塁刺殺率9割という強肩の持ち主だった。 1969年のドラフト会議で読売ジャイアンツに13位で指名され入団したが、一軍公式戦には出場できず。1980年に引退。 引退後、ブルペン捕手、一軍サブマネージャーを務め、長嶋茂雄・藤田元司・王貞治の各監督をサポートした。 現在は終身名誉監督付球団職員として、長嶋終身名誉監督のマネージャー役を務めている。