スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
木村 敏靖(きむら としやす、1995年9月14日 - )は… 木村 敏靖(きむら としやす、1995年9月14日 - )は、奈良県葛城市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 小学時代は新庄ハッピーボーイズで、中学時代は天理シニアでプレー。高校は御所実業でプレーした。 履正社医療スポーツ専門学校時代は外野手兼投手としてプレーし、投手としては2年目の伊勢大会で球速152 km/hを計測した。この投球で関心を示したNPB球団があったものの、既にドラフト会議直前であったため各球団の指名の大枠は決まっており、この年は指名されることはなかった。木村は聴講生として専門学校に1年残って、指名を待つことを決断する。 2016年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから育成4巡目指名され、支度金200万円、年俸200万円(金額は推定)で契約した。
伊達 泰司(だて やすじ、1951年3月3日 - )は、奈良… 伊達 泰司(だて やすじ、1951年3月3日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)。右投右打。息子は元プロ野球選手の伊達昌司。 名前の読みは、1973年から1976年5月13日までは「いだて やすじ」であった。 御所工業高校では、1968年春の第40回選抜大会に中堅手として出場。1回戦で杉山茂、町田公雄らのいた銚子商に敗れた。高校時代の同期には、同じ法大を経て近鉄入りする松村彰士がいる。 法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1学年上のエース横山晴久らを擁し1969年秋季リーグから4季連続優勝を経験。全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会とも準優勝1回。当時の法大外野陣には、同期に長崎慶一、1年上に依田優一(大昭和製紙)、鈴木士郎(住友金属)が揃っており、なかなかレギュラーには届かなかった。
松村 彰士(まつむら しょうじ、1950年7月20日 - )… 松村 彰士(まつむら しょうじ、1950年7月20日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手(内野手)。 御所工業高では三塁手、控え投手として活躍。1968年の春の選抜に出場。1回戦で杉山茂、町田公雄らのいた銚子商に敗退。高校同期に伊達泰司がいる。 1968年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから5位指名されるが、これを拒否して伊達泰司とともに法政大学に進学。1969年秋季リーグから4季連続優勝を経験。全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会とも準優勝1回。1年上に藤村正美、高岡茂夫、森貞周治、1年下に山本功児がおり、なかなか活躍の機会はなかった。 大学卒業後は社会人野球のエアロマスターへ進むが1年目途中で会社倒産により辻和へ移籍するも、1974年オフにドラフト外で近鉄バファローズに入団。
忍 全功(しのぶ ぜんこう、1949年1月14日 - )は、… 忍 全功(しのぶ ぜんこう、1949年1月14日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。 御所工高では主将をつとめ、攻走守にバランスの取れた選手として知られる。2年秋の県大会決勝は延長12回引き分け再試合の末に敗退して準優勝すると近畿大会では優勝。三番打者・二塁手として1966年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で金沢高に敗退。同年夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、郡山高の植村秀明投手に0-1で完封負け、紀和大会への出場権を獲得できなかった。 社会人野球の日立製作所への就職が決まっていたものの、1966年の第1次ドラフト2位で指名され、大洋ホエールズへ入団。守備は安定していたが打撃が課題でなかなか一軍へ上がれず、1971年限りで退団。
山田 智千(やまだ としゆき、1946年9月21日 - )は… 山田 智千(やまだ としゆき、1946年9月21日 - )は、奈良県出身の日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手(中堅手)。 御所工業高校ではエースとして2年次の1962年に春の選抜に出場。1回戦は松谷栄司を擁する北海高との乱打戦の末に打ち勝つ。2回戦では松山商と対戦、好投するが山下律夫投手を攻略できず1-2で敗退した。3年次の1963年も春の選抜に2年連続出場を果たす。準々決勝に進み、この大会に優勝した下関商のエース池永正明と投げ合い2点をリードするが、9回に3点を失い逆転負けを喫した。同年の春季近畿大会では決勝でエース戸田善紀を擁するPL学園高を降して優勝。夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、高田高に惜敗した。
元田 昌義(もとだ まさよし、1946年1月5日 - )は、… 元田 昌義(もとだ まさよし、1946年1月5日 - )は、奈良県香芝市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 御所工では東田正義と同期で、2年次の1962年に春の選抜へ正捕手として出場。2回戦で松山商と対戦したが、山下律夫を攻略できず敗退。3年次の1963年も春の選抜に2年連続出場を果たして準々決勝に進むが、この大会に優勝した下関商の池永正明に抑えられて敗退。同年の春季近畿大会ではエース・戸田善紀を擁するPL学園を降して優勝し、夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、高田高に惜敗。 卒業後の1964年に南海ホークスへ入団。強打の選手ではあったが、入団時期が野村克也の全盛期と重なったため、一軍での出場機会はほとんどなかった。
東田 正義(ひがしだ まさよし、1945年8月1日 - 20… 東田 正義(ひがしだ まさよし、1945年8月1日 - 2016年1月2日)は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手(外野手)。 御所工業では3年次の1963年に中堅手として春の選抜へ出場し、準々決勝に進むが、池永正明を擁する下関商業に敗退。同年の春季近畿大会では、決勝でエース戸田善紀を擁するPL学園高を降し優勝。夏の奈良大会でも決勝に進むが、高田高に惜敗。高校同期に捕手の元田昌義がいた。 高校卒業後は1964年に三重交通へ入社し、円子宏監督の指導を受ける。 1966年の産業対抗では日通浦和に補強され準々決勝に進出し、日本石油の平松政次から2安打を放つが先発の金田留広が6回に枝松道輝に同点本塁打を喫し、9回サヨナラ負けを喫した。