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高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は… 高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県出身。ローマオリンピック日本代表。100m平泳ぎ・200m平泳ぎ元日本記録保持者。 伊都高校時代の高校総体で100m平泳ぎで3連覇を達成した。高1・高3では200m平泳ぎで優勝。個人種目で高校総体3連覇したのは女子史上初。 日本選手権では1955年から1960年にかけて100m平泳ぎ・200m平泳ぎで2冠かつ6連覇を達成した。100m平泳ぎでの6連覇は7連覇の長崎宏子に次ぐ歴代2位、6回の優勝は8回の田中雅美・7回の長崎宏子の次ぐ歴代3位の記録。200m平泳ぎでの6連覇は8連覇の長崎宏子・7連覇の前畑秀子に次ぐ歴代3位、6度の優勝は8度の長崎宏子・田中雅美、7度の前畑秀子に次ぐ歴代4位の記録。
青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9… 青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は東。 和歌山県伊都郡高野口町(現橋本市)出身。九度山町立九度山小学校卒業。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子200m平泳ぎに出場したが予選落ちに終わった。 1954年アジア競技大会では女子200m平泳ぎに出場し優勝した。 高校卒業後は、帝塚山学院短期大学を経て三冷社に入社。1958年アジア競技大会では主将として出場し、女子100m平泳ぎで準優勝した。
田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日… 田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は斉藤。 和歌山県伊都郡妙寺町(現かつらぎ町)出身。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子400m自由形に出場したが予選落ちに終わった。女子4×100m自由形リレーでは6位に入賞した。1954年アジア競技大会では女子400m自由形に出場し優勝した。 のちに、天理短期大学保健体育科に進学。 現役引退後は、トータル・オリンピック・レディース会の会計監査を務めた。