スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
斉藤 薫(さいとう かおる、1952年12月21日 - 、7… 斉藤 薫(さいとう かおる、1952年12月21日 - 、73歳)は、日本の実業家。遠州鉄道相談役、浜松商工会議所会頭。 静岡県島田市出身。幼少期を島根県浜田市で過ごした。島根県立浜田高等学校在学中の1970年に父が死去したため、静岡県浜松市小沢渡町 (現:中央区小沢渡町) の親戚の農家に身を寄せる。1971年静岡県立浜松西高等学校卒業。1976年明治大学商学部卒業、遠州鉄道入社。2000年不動産事業部長。2002年遠鉄アシスト代表取締役社長。2005年取締役に昇格。2007年取締役保険事業本部長。2010年常務取締役グループ経営推進本部長。2012年専務取締役グループ経営推進本部長。2013年から代表取締役社長を務め、地域活性化などにあたっている。
久代 敏男(くしろ としお、1947年(昭和22年)9月3日… 久代 敏男(くしろ としお、1947年(昭和22年)9月3日 - )は、日本の実業家。マルハニチロホールディングス(現・マルハニチロ)代表取締役社長。島根県浜田市出身。 島根県立浜田高等学校を経て、1971年中央大学法学部卒業後、大洋漁業入社。 旧マルハ(現・マルハニチロ)プロパーで、興銀出身の五十嵐勇二社長の後継としてマルハニチロホールディングスの社長に副社長から昇格。 マルハニチログループの第2の再編で、HDの下に水産(現・マルハニチロ)・食品(現・マルハニチロ)などの中核企業を統合した会社の構築を検討するも、さらなる合理化が必要となり、マルハニチロ水産を存続会社とした6社合併によるマルハニチロ発足にも道筋をつけ、さらに、当初の再編後の社長就任から合併会社の取締役相談役就任が発表されるも、統合会社に含まれるHDの孫会社であるアクリフーズ(現・マルハニチロ)による「アクリフーズ農薬混入事件」の引責により、合併直前の2014年3月31日付でHD社長を辞職した。
坂根 正弘(さかね まさひろ、1941年1月7日 - )は、… 坂根 正弘(さかね まさひろ、1941年1月7日 - )は、日本の実業家。小松製作所代表取締役社長、産業革新投資機構取締役会議長、武田薬品工業取締役会議長、日本経団連副会長、経済産業省総合資源エネルギー調査会会長、公立大学法人大阪名誉特別顧問等を歴任。広島県広島市生まれ、島根県浜田市育ち。 広島市生まれ、1945年原爆投下の2ヵ月前に島根県浜田市に疎開しその後は同市で育つ。島根県立浜田高校を経て1963年、大阪市立大学工学部卒業。ブルドーザーの設計技術者として小松製作所入社。1989年取締役、1990年小松ドレッサーカンパニー(現コマツアメリカ)社長、1994年常務取締役 1997年専務取締役、1999年代表取締役副社長を経て2001年、同社代表取締役社長兼CEO就任、2007年同社代表取締役会長就任、2010年同社取締役会長就任、2013年同社取締役相談役就任。
小山 龍三(こやま りゅうぞう、1908年2月20日 - 1… 小山 龍三(こやま りゅうぞう、1908年2月20日 - 1984年7月26日)は、日本の実業家。中日新聞社社主。 養父は中日新聞の前身の1紙である名古屋新聞を経営した元衆議院議長の小山松寿。氏名に関しては「小山 竜三」表記もみられる。 1908年(明治41年)に判事・平井出嘉久松の五男として長野県北佐久郡小諸町(現在の小諸市)で出生。実父の転勤により中国地方で育ち、旧制浜田中学、旧制松江高等学校を経て1932年(昭和7年)に東京帝国大学法学部英法学科を卒業する。電通を経て1934年(昭和9年)に同郷の小山松寿が経営する名古屋新聞社に入社、経理・販売部門に在職し、婿養子として小山家に迎えられた。
小石 雄治(こいし ゆうじ、1894年9月5日- 1984年… 小石 雄治(こいし ゆうじ、1894年9月5日- 1984年1月28日 )は、日本の経営者。ダイハツ工業社長、会長を務めた。島根県浜田市出身。 1912年3月、旧制浜田中学(現在 島根県立浜田高等学校)卒業、1917年に大阪高等工業学校機械科(現在、大阪大学)を卒業し、同年にダイハツ工業の前身である発動機製造に入社。1939年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1950年12月にダイハツ工業社長に就任し、軽三輪車や電気自動車の開発に着手し、1967年にトヨタ自動車との業務提携を結ぶなど同社発展の礎を築いていた。1968年に会長を務め、1971年12月から相談役を務めた。 1960年に藍綬褒章を受章し、1973年に勲二等旭日重光章を受章した。