スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三東 洋(さんとう ひろし、1978年10月7日 - )は、… 三東 洋(さんとう ひろし、1978年10月7日 - )は、島根県鹿足郡津和野町出身の元プロ野球選手(投手)。 現在は柔道整復師の資格を取得し、パーソナルトレーナーとして活動。神戸市中央区にある「日常鍼灸整骨院」院長及び「パーソナルトレーニングジムBASE for」代表。 小学5年の時に野球を始め、津和野中学校時代は外野手兼任。私立益田東高校では1年の時からベンチ入りし、3年次は夏の島根大会でノーヒットノーラン達成、53奪三振を記録し、それまでの奪三振記録を塗り替えた。第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。 高校卒業後駒澤大学に進学するも肩と肘を相次いで手術し、通算2勝に止まる。同期に武田久がいる。
渡辺 伸彦(わたなべ のぶひこ、1966年3月22日 - )… 渡辺 伸彦(わたなべ のぶひこ、1966年3月22日 - )は、島根県邑智郡石見町(現:邑南町)出身の元プロ野球選手(投手)。阪神時代の愛称はコイト(後述)。 兵庫県尼崎市で生まれ、4歳まで過ごす。島根県の私立益田東高時代は捕手だったが、地肩の強さを見込まれて3年から投手に転向。1983年夏の甲子園県予選で準決勝に進むが、大田高に敗退し甲子園出場はならなかった。 高校野球引退後、王子製紙米子の社会人野球のテストを受けるも不合格であった。 高校卒業後は、広島県の社会人野球チームでもある常石鉄工に入団。 1988年、都市対抗野球大会県予選では強豪のNKKに完投勝利すると中国2次予選でのチーム初勝利にも貢献。
生越 三郎(おごし さぶろう、1897年(明治30年)4月1… 生越 三郎(おごし さぶろう、1897年(明治30年)4月1日 - 1969年(昭和44年)12月2日)は、大正から昭和期の技術者、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 島根県那賀郡、現在の浜田市で生まれる。1919年(大正8年)大阪工業専門学校機械科を卒業。 三菱造船に技師として入社した。1935年(昭和10年)に日本機械車両工業を設立し社長に就任。その他、東京大同商会代表社員、日本電気漂白専務取締役、三星工業取締役社長、日本化機工業取締役などを務めた。 1940年(昭和15年)財団法人石見工業専修学校を設立し理事長に就任。同校は石見工業学校、益田商工高等学校を経て益田工業高等学校(現益田東高等学校)となり各理事長を務めた。