スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
ドロンズ石本( - いしもと、本名:石本 武士(いしもと た… ドロンズ石本( - いしもと、本名:石本 武士(いしもと たけし)、1973年10月11日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、実業家。広島県出身。マセキ芸能社所属。いすみ大使(千葉県いすみ市、2015年12月13日委嘱)。 広島市立五月が丘中学校を経て広島県立広島工業高等学校卒業。身長175cm、体重115kg、足28.5cm。A型。父は元中国新聞報道記者 の石本利康。 1995年に大島直也とお笑いコンビ「D.R.U.G(ドラッグ)」を結成。その後、1996年に「ドロンズ」に改名。同年、『進め!電波少年』で「南北アメリカ大陸縦断の旅」に挑戦。そこでスペイン語を習得、後にNHK『スペイン語会話』に出演。
麻田 守孝(あさだ もりたか、1949年〈昭和24年〉5月3… 麻田 守孝(あさだ もりたか、1949年〈昭和24年〉5月30日 - )は日本の実業家。大東建託の代表取締役社長(第2代目)を務めた。 広島県出身。広島県立広島工業高等学校卒業。広島市の酒蔵勤務を経て、1986年に大東建託入社後、統括本部長や執行役員テナント営業統括本部長、常務、専務取締役や副社長、子会社の大東ファイナンス代表取締役社長を歴任し、2004年に多田勝美の後任として代表取締役社長に就任し、大東共済会や大東ファイナンスの代表取締役社長などを兼任した。 2006年に健康上の理由により代表取締役社長を辞任し、前社長で当時取締役会長であった多田勝美が再度代表取締役と社長に就任し、代表取締役会長兼社長となる。
小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - 2009年… 小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家。総会屋。「最後の総会屋」と呼ばれた。 広島市の歓楽街・弥生町の入口、下柳町(現中区銀山町)生まれ。当地は証券街で、かつ遊郭もあり、ヤクザの多い街でもあった。1945年、7歳国民学校二年の夏、爆心地から1.1キロの自宅で被爆。薫は釣りに行くため自宅を出る直前だった。幸い家族もみな軽傷で済んだ。1946年、戦場から父親が復員。戦前から経営していた電器店を再開したが、父は博徒岡組(のちの共政会)組長・岡敏夫と親しく野球賭博を始め店を潰し、その後は食堂を営んだ。 小川の兄・義夫と弟・明男の三人は喧嘩が滅法強く「小川三兄弟」と恐れられたが、叔父の田部武雄がプロ野球選手だったこともあり、野球もうまく、みな野球強豪高校でレギュラーとなった。
井関 章(いせき あきら、1919年〈大正8年〉9月16日 … 井関 章(いせき あきら、1919年〈大正8年〉9月16日 - 2011年〈平成23年〉1月7日)は、日本の実業家、1級建築士。フジタ工業(現在のフジタ)副社長、フジタ顧問を務めた。 広島県広島市出身。1936年、広島県立広島工業学校を卒業し、同年に当時の藤田組に入り広島支店次長を経て1967年に取締役広島支店長に就任する。 フジタ工業常務、同副社長、廿日市観光開発社長を務めた。2011年1月7日、多臓器不全のため死去した。 趣味はゴルフ、登山、園芸。住所は広島県広島市東区牛田本町1丁目、廿日市市阿品4丁目。
正坊地 隆美(しょうぼうじ たかみ、1910年12月9日 -… 正坊地 隆美(しょうぼうじ たかみ、1910年12月9日 - 2004年12月10日)は、日本の実業家。日本コロムビア元代表取締役社長。最大で64億円の累積赤字を出し、1970年前後に経営危機にあったレコード界の名門・日本コロムビアに日立製作所から送り込まれ、経営立て直しに成功させた。また日本レコード協会会長を二度にわたり務めた。 広島県高田郡白木町(現・広島市安佐北区)出身。白木小学校を経て、広島県立職工学校(広島県立広島工業高等学校)電気工学科を卒業後、日立製作所に入社。1960年代後半の日本コロムビアは、神崎丈二社長以下経営陣が内紛を繰り返し、バックアップしていた野村證券の奥村綱雄相談役(当時)と横田郁日本勧業銀行頭取(当時)は、たまりかねて日立製作所の駒井健一郎社長(当時)に駆け込み、1969年5月、日立製作所の西清専務が日本コロムビアに会長として送り込まれ、続いて1970年5月、正坊地が副社長として送り込まれた。