スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
今井 金太(いまい きんた、1994年6月19日 - )は、… 今井 金太(いまい きんた、1994年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学6年時に、広島東洋カープジュニアチームの一員として第2回NPB12球団ジュニアトーナメントに出場した。 広島市立国泰寺中学校時代は広島ジャガーズに所属。3年夏にNOMOジャパンに選出され、米国遠征を経験した。 広島国際学院高等学校では、1年秋に中国大会ベスト8進出。安来高を5安打13奪三振1失点の完投で、8年ぶりの初戦突破を達成。続く創志学園高戦でも6安打13奪三振2失点完投と好投を披露するも敗戦。3年時の夏は、初戦となる広島県予選2回戦の海田高戦で自己最多となる18奪三振を記録するが、準々決勝で宇佐美塁大擁する県立広島工業高に打ち込まれ12安打8四死球の乱調で8失点完投負けを喫した。
山下 峻(やました しゅん、1991年8月19日 - )は、… 山下 峻(やました しゅん、1991年8月19日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 府中南小学校4年生の時にソフトボールを始め、投手として府中南ソフトボールクラブに在籍。6年時には、チームを広島県大会の3位に導いた。緑ヶ丘中学校への進学後に、安芸イーグルスで野球をスタート。しかし、1年生夏に小児がん(白血病)と診断された(詳細後述)。 卒業後は広島国際学院高校へ進学。前述の病気のブランクで入学当初は球速90km/h程度だったが、練習や肉体改造に取り組んだ末、3年生夏の選手権広島大会で、背番号10ながら全試合で先発投手に起用。しかし、準々決勝で如水館高校に敗れた。
原 大輝(はら だいき、1988年6月2日 - )は、広島県… 原 大輝(はら だいき、1988年6月2日 - )は、広島県安芸郡海田町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 広島国際学院高では投手兼捕手を務め、2年夏に8強進出を達成した。3年夏は主戦として活躍したが、広島市立広島工業高等学校に7回コールド0対8で敗れ、広島県大会3回戦敗退。2回戦広島県立広島井口高等学校戦では11回1失点完投勝利、打者としても9回2死から同点適時打を記録している。 広島県大会準々決勝が最高成績。甲子園出場実績はなし。 北海道東海大学(現・東海大学北海道キャンパス)進学後は3年春に大学選手権を経験。 6番捕手で先発出場するも2打数ノーヒット、九州国際大学に1対3で敗れ初戦突破ならず。
隠善 智也(いんぜん ともや、1984年6月5日 - )は、… 隠善 智也(いんぜん ともや、1984年6月5日 - )は、広島県東広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、指導者。2025年に読売ジャイアンツ女子チームのコーチを務め、2026年から監督に就任。 2007年に育成選手として巨人へ入団し、2008年から2015年の現役引退まで支配下登録選手として同球団でプレー。現役時代の愛称は「インリン」だった。 東広島市立志和堀小学校3年の時、小・中学校の先輩にあたる礒部公一の父が監督を務めるチームでソフトボールを始める。 東広島市立志和中学校では投手兼外野手で3番を打った。広島国際学院高等学校時代は3番一塁手・外野手で控え投手も務め、左投げながら3年の春季大会準決勝ではショートを守ったこともある。
坂原 秀尚(さかはら ひでなお、1976年10月11日 - … 坂原 秀尚(さかはら ひでなお、1976年10月11日 - )は、山口県下関市生まれ、広島県広島市出身の日本の高校野球指導者、及び保健体育科教諭。 下関市で生まれ、物心つく前に広島市に引越しした。五日市東小のスポーツ少年団で野球を始める。中学時代は、元社会人選手の顧問に鍛えられ100人を超える部員の競争を勝ち抜きレギュラーの座をつかんだ。広島電機大学附属高校では投手で、最後の大会は4回戦敗退。広島電機大学を経て、実業団のワイテックで27歳までプレー、スライダーを武器に活躍した。その後母校の広島国際学院大学で2年間コーチを務めた後、高校野球指導者を志し、教員免許取得のため、東亜大学に編入学する。その近くの下関国際高が、夏の県大会の組み合わせ抽選会直前に、選手たちが集団万引をして3カ月間の対外試合禁止を受けた不祥事の影響で、指導者がいない、校長がひとりで指導しているという話を聞き、2年時編入で3年間は下関にいるので、「給料はいりませんから、野球の指導をさせてください」と手紙を書いた。