スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高光 凌(たかみつ りょう、1998年3月31日 - )は、… 高光 凌(たかみつ りょう、1998年3月31日 - )は、山口県下松市出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)の大崎オーソル埼玉所属。 山口県立下松工業高等学校時代は2015年にユース世界選手権の日本代表U-19に選出された。 国士舘大学進学後は2016年に第4回U-22東アジア選手権の日本代表U-22、第7回ユースアジア選手権の日本代表U-19に選ばれた。 2017年は第7回ユース世界選手権の日本代表U-19に選出された。 2019年はアジアU-22選手権の日本代表U-22に選出。同年の春季リーグでは優秀選手、秋季リーグでは敢闘賞を受賞した。 2020年に日本ハンドボールリーグの大崎電気へ加入。
野村 喜亮(のむら よしあき、1987年1月22日 - )は… 野村 喜亮(のむら よしあき、1987年1月22日 - )は、山口県周南市出身の元ハンドボール選手。 周南市立住吉中学校時代は第10回JOCジュニアオリンピックカップで優秀選手に選出。中学卒業後は山口県立下松工業高等学校へ進学した。 高校卒業後は早稲田大学へ進学。2005年の第1回アジアユース選手権大会で日本代表U-19に選出された。2006年は関東学生ハンドボール・春季リーグで優秀新人賞を受賞。同年の第10回アジア男子ジュニア選手権の日本代表に選出された。2008年は全日本学生ハンドボール選手権大会(インカレ)で優秀選手に選ばれた。 2009年2月に日本ハンドボールリーグの大同特殊鋼へ加入。 2010年1月に行われた第14回男子アジア選手権で日本代表に初選出された。
東 佑三(ひがし ゆうぞう、1985年6月22日 - )は、… 東 佑三(ひがし ゆうぞう、1985年6月22日 - )は、山口県周南市出身の元ハンドボール選手。現在は女子実業団チームの山口銀行YMGUTSで監督を務めている。 実兄はハンドボール選手の東慶一。 周南市立住吉中学校、山口県立下松工業高等学校、大阪体育大学を経て、2008年1月に日本ハンドボールリーグの大崎電気へ加入。背番号は「22」。同年2月24日の北陸電力戦で初出場を果たした。 2008-09年シーズンはリーグトップの7mスロー阻止率(.435)を記録した。 2009-10年シーズンから背番号を「12」へ変更。 2012年に第17回ヒロシマ国際ハンドボール大会の日本代表に選出された。 2014-15年シーズンから背番号を「1」へ変更。
飯田 宏行(いいだ ひろゆき、1980年8月19日 - )は… 飯田 宏行(いいだ ひろゆき、1980年8月19日 - )は、山口県熊毛郡田布施町出身の元プロ野球選手(投手)、整体師、元大学野球監督。右投右打。 下松工業高校では2年秋の県大会で8強に入る。 徳山大学に進学し、2年春には岡山大戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。2、3年と明治神宮大会に出場し、いずれも先発したが2年時は優勝した慶大・長田秀一郎、中村泰広と投げ合うも9回サヨナラ本塁打を浴びる、3年時も初戦コールド負け。在学中には日本代表候補として阪神タイガースの春季キャンプ(2002年)に派遣された。大学通算成績は5勝6敗、防御率2.08、113奪三振。細身ながら長身から繰り出される速球は魅力十分で、日本の8球団が獲得に動いていたが、本人はメジャーリーグ志向から誘いを断り、ドラフトには指名されなかった。
高村 良嘉(こうむら よしかず、1971年2月10日 - )… 高村 良嘉(こうむら よしかず、1971年2月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学3年の時に野球を始める。下松工業高に進み、3年の夏は3回戦で敗退。卒業後に新日本製鐵光に入社。都市対抗野球には補強選手も含めて出場した。チームが休部したため、1994年に読売ジャイアンツの入団テストを受け合格し、同年ドラフト5位で入団した。50メートル走を5秒6で走る俊足が持ち味であった。 1年目の1995年に一軍に昇格し、8月には2番セカンドでのスタメン出場が多くなり注目を集め、それまで下位に沈んでいたチーム浮上に貢献した。徹底して叩きつける打撃が持ち味で、この年19安打を放ったがうち12本が内野安打だった。
石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年〈昭和14年〉4月… 石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年〈昭和14年〉4月4日 - )は、日本の元検察官、元弁護士(2023年5月15日付で法曹資格を喪失)。 山口県出身。1958年下松工業高校工業化学科卒業。1962年中央大学法学部を卒業後、同年に23歳で司法試験合格。司法修習生17期を経て、1965年に検事任官。任官同期に原田明夫(検事総長)ら。 1982年東京地検特捜部副部長に就任。岡田茂の三越事件、リッカー事件、平和相互銀行事件、新薬スパイ事件、撚糸工連事件などに関わる。 1986年10月、河井信太郎以来、私立大学出身者としては2人目の法務省刑事局刑事課長に就任。 その後、法務省大臣官房会計課長を経て、1989年に東京地検特捜部長に就任し、金丸信の巨額脱税事件、ゼネコン汚職事件などを指揮した。