樋端 久利雄(といばな くりお、1903年(明治36年)8月… 樋端 久利雄(といばな くりお、1903年(明治36年)8月1日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。海兵51期首席、海大甲種33期首席。海軍甲事件で戦死し、一階級特進で最終階級は海軍大佐。 1903年(明治36年)8月1日、香川県白鳥本町(現在の東かがわ市)で農業を営む父・樋端荒吉と母・モトの六人兄弟の第五子、三男として生れる。大川中学校を経て、1920年(大正9年)8月26日、海軍兵学校第51期入校。同期に小園安名、山本祐二、大井篤らがいる。樋端は兵学校の前後数クラスで群を抜いた秀才であり、将来を嘱望されていた。しかし、人柄は一見鋭さを感じさせないもので、思考に集中しているときは口元が締まらずぼんやりしているように見え、特に体力的に恵まれていたわけではなかった。
