スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三好 大倫(みよし ひろのり、1997年9月28日 - )は… 三好 大倫(みよし ひろのり、1997年9月28日 - )は、香川県大川郡白鳥町(現:東かがわ市)出身の元プロ野球選手(外野手)、YouTuber。左投左打。 兄はJR四国に所属する社会人野球選手の三好大輝。 東かがわ市立白鳥小学校2年時に「白鳥ジュニアファイターズ」で野球を始め、東かがわ市立白鳥中学校時代までは軟式野球をプレーする。 香川県立三本松高等学校へ進学すると、投げては最速144km/h、打っては高校通算26本塁打を記録し、二刀流の投手としてプロから注目される。しかし、甲子園出場は無かった。 高校卒業後はJFEスチールに入社し、同社の社会人野球チームであるJFE西日本でプレーをする。入社3年目まで投手としてプレーし、4年目からは外野手に転向した。
池本 宗太朗(いけもと そうたろう、1988年8月19日 -… 池本 宗太朗(いけもと そうたろう、1988年8月19日 - )は、日本のバスケットボール選手である。香川県東かがわ市(旧引田町)出身。ポジションはフォワード。 東かがわ市立引田中学校1年生の時、部活見学をしたことがきっかけでバスケットボールを始める。 香川県立三本松高等学校を経て進学した流通科学大学を2011年3月に卒業。プロ選手になる夢はあったが就職し、香川県リーグ1部のクラブチーム・リコークリッパーに所属。2011年と2012年の国民体育大会香川県選抜チームのメンバーに選出されている。2013年1月には四国クラブバスケットボール選手権大会で香川県勢16年ぶりの優勝に貢献し、3月に全日本クラブバスケットボール選手権大会に出場した。
林 史乃(はやし みな、1986年7月14日-)は、日本の実… 林 史乃(はやし みな、1986年7月14日-)は、日本の実業家。2010年度ミス日本グランプリ受賞者。ROCIO JAPAN合同会社設立者の一人。 1986年、香川県東かがわ市に生まれる。東かがわ市立白鳥中学校を経て、2005年、香川県立三本松高等学校卒業。 2010年1月25日、大学4年生のとき、3,663人の応募者の中からミス日本グランプリに選ばれる(香川県代表として初)。『広報東かがわ』の取材に対し、将来の夢は女優(『ローマの休日』を見たことがきっかけ)と答えている。 2010年2月26日、東かがわ市長を表敬訪問。 同年、埼玉県鴻巣市役所で「鴻巣びっくりひなまつり2010」のオープニングに参加。
森高 一真(もりたか かずま、1978年6月3日 - )は、… 森高 一真(もりたか かずま、1978年6月3日 - )は、香川県大川郡引田町(現・東かがわ市)出身の競艇選手。 登録番号4030。身長170cm。血液型AB型。85期。師匠は出晴政信(登録番号2677、引退)。 香川県立三本松高等学校を卒業後、4回目の試験で合格し第85期で本栖研修所に入所。卒業後は隣町(鳴門市)でもある鳴門競艇場でデビュー戦を果たしている。デビュー当時はフライングを恐れ無茶なスタートはしていなかった。その後は同期の田村隆信、井口佳典、湯川浩司らとともに「銀河系軍団」と呼ばれ注目されるようになり、宮島競艇場でGI初優勝。また、2010年10月10日に行われた桐生全日本選手権準優勝戦11Rにおいて魚谷智之に次いで2着に入り、SG初優出を果たしている(優勝戦は5号艇・結果は瓜生正義に次いで2着)。
川畑 勇一(かわばた ゆういち、1972年10月6日 - )… 川畑 勇一(かわばた ゆういち、1972年10月6日 - )は、香川県東かがわ市出身の元プロ野球選手(捕手)、スポーツトレーナー。1996年以降の登録名は川畑 勇市。 三本松高校では1年秋に4番・捕手として県大会決勝へ進出したが宮地克彦が先発した尽誠学園に大敗し、四国大会も初戦敗退。JR四国へ進み1993年の都市対抗野球にNTT四国の補強選手として出場、ドラフトで同期入団の山部太とバッテリーを組んだ。同年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団したものの、一軍の公式戦には出場することなく1997年に引退。 その後は鍼灸師・柔道整復師に転身。四国アイランドリーグ発足1年目の2005年3月から香川オリーブガイナーズのトレーナーとなる(本名で活動)。
住田 修(すみだ おさむ、1969年10月14日 - )は、… 住田 修(すみだ おさむ、1969年10月14日 - )は、香川県出身の自転車ロードレース選手である。182cm、65kg。 香川県立三本松高等学校在学中に自転車競技を始め、立命館大学卒業後、シマノに入社。1996年アトランタオリンピック日本代表に選ばれる。個人ロードレースに出場し、結果は棄権。 その後はCCDキナン・バイクシステム、NEX-COLNAGOなど移籍を繰り返しつつ国内で活躍。 2006年、同じくアトランタ五輪代表だった安原昌弘が設立したマトリックスへ移籍。 2007年退団。自転車雑誌「ファンライド」に連載記事を持っていた。
高見 広春(たかみ こうしゅん、1969年1月10日 - )… 高見 広春(たかみ こうしゅん、1969年1月10日 - )は、日本の小説家。本名:高見 宏治(たかみ ひろはる)。兵庫県神戸市灘区出身。香川県立三本松高等学校卒業、大阪大学文学部美学科卒業、日本大学通信教育部文理学部中退。 四国新聞社に5年間勤務。1997年に「バトル・ロワイアル」で第5回日本ホラー小説大賞に応募し、最終選考まで残るが(この時の同期に戸梶圭太がいる)、中学生どうしが国家命令により殺し合いをするという衝撃的な内容だったため、選考委員からは作品としての面白さを認められつつも猛烈な非難を受け落選する。 しかし、このことが却って業界内で注目を集めることとなり、「このミステリーがすごい! 1999」で行われた覆面座談会では「いったいどんな小説なんだ、ぜひ読んでみたい」と言及されることになった。
高木 智視(たかぎ ともみ、1967年3月18日 - )は、… 高木 智視(たかぎ ともみ、1967年3月18日 - )は、日本の小説家。香川県さぬき市出身。香川県立三本松高等学校卒業。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。 2005年に「KASAGAMI」で第12回三田文学新人賞受賞。作家デビュー。2007年に和歌山県にて、大桑文化奨励賞を受賞。 2009年、作品集「かさがみ」を出版。
吉井 憲治(よしい けんじ、1966年1月24日 - )は、… 吉井 憲治(よしい けんじ、1966年1月24日 - )は、香川県出身の元社会人野球選手(投手)・コーチ。 三本松高校では、エースとして1982年秋季四国大会1回戦に進むが、池田高の水野雄仁に完封を喫する。翌1983年春季四国大会県予選では決勝で尽誠学園に惜敗。夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。高校同期に東哲也がいる。 高校卒業後、西濃運輸に入社し硬式野球部でプレー。サイドスローの好投手として11年間活躍したが、1994年に世代交代のために戦力外通告を受け、翌1995年に当時結成2年目だったシダックスに転籍。シダックスでは主にリリーフ投手として起用され、1球ごとに雄叫びを上げる投球スタイルで「調布魔神」と呼ばれた。
東 哲也(あずま てつや、1965年7月7日 - )は、香川… 東 哲也(あずま てつや、1965年7月7日 - )は、香川県大川郡大内町(現:東かがわ市)出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 三本松高校では、エース吉井憲治を擁し1982年秋季四国大会1回戦に進むが、池田高の水野雄仁に完封を喫する。翌1983年春季県大会では決勝で尽誠学園に惜敗。夏も県大会で敗れ、甲子園には出場できなかった。 1983年のドラフト会議で阪急ブレーブスへ4位指名で入団。外野手に転向したが1軍に出場したのは1987年の1試合だけに留まり1989年を最後に引退した。
山本 伸二(やまもと しんじ、1953年9月17日 - )は… 山本 伸二(やまもと しんじ、1953年9月17日 - )は、香川県出身の元ハンドボール選手、指導者。1984年ロサンゼルスオリンピックハンドボール全日本男子代表。幻の1980年モスクワオリンピック代表でもあった。 香川県立三本松高等学校、名城大学出身。 卒業後、湧永製薬に入社。同社ハンドボール部に所属。2011年現在、日本リーグ通算得点413は第41位 全日本では、1980年のモスクワ五輪、1982年西ドイツで行われた世界選手権代表、1984年ロサンゼルス五輪男子代表に選ばれている。 また指導者としても活躍、1986年から湧永ハンドボール部監督に就任した。2005年から湧永ハンドボール部部長を務めた。
藤井 秀城(ふじい ひでき、1952年(昭和27年)2月1日… 藤井 秀城(ふじい ひでき、1952年(昭和27年)2月1日 - )は、日本の政治家。元香川県東かがわ市長(3期)、元東かがわ市議会議員(1期)。 香川県白鳥町(現・東かがわ市)出身。1970年(昭和45年)3月、香川県立三本松高等学校卒業。1974年(昭和49年)3月、明治大学工学部卒業。 2003年(平成15年)、東かがわ市議会議員選挙に初当選。2006年(平成18年)12月31日、市議を辞職。 2007年(平成19年)4月22日に行われた東かがわ市長選挙に立候補し初当選。4月27日、市長に就任。2011年(平成23年)、再選。2015年(平成27年)、3選。2019年(平成31年)の市長選挙には立候補せず勇退。
原 文彦(はら ふみひこ、1952年 - )は、日本の作詞家… 原 文彦(はら ふみひこ、1952年 - )は、日本の作詞家。 一般社団法人日本作詩家協会副会長。 公益社団法人日本空手協会 香川県本部 本部長。 香川県東かがわ市ふるさと大使。 香川県出身。三本松高校卒業。法政大学卒業。大学在学中から本格的に作詞を始めて、西沢爽に師事。一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)監事・理事を歴任。
帖佐 寛章(ちょうさ ひろあき、1930年6月7日 - )は… 帖佐 寛章(ちょうさ ひろあき、1930年6月7日 - )は、陸上競技の元選手で中長距離選手の指導者。香川県小豆郡土庄町豊島出身。 香川県立三本松高等学校卒業後、東京教育大学に入学。 東京教育大学在学中の1953年日本陸上競技選手権大会800m、1500mで優勝。 卒業後、野口源三郎・久内武の勧めで順天堂大学で教鞭をとり、山田宏臣、小出義雄、澤木啓祐らを育てた。 その後、日本陸上競技連盟理事・強化委員長、日本陸上競技連盟専務理事、日本陸上競技連盟副会長、日本体育協会副会長などを歴任。現在、順天堂大学名誉教授。 神戸市で行われた1985年夏季ユニバーシアードの日本選手団団長を務めた。 2010年、東京マラソン財団理事長に就任し、2012年6月に退任後、同年12月、名誉顧問に就任。
和田 卓一郎(わだ たくいちろう、1929年〈昭和4年〉 -… 和田 卓一郎(わだ たくいちろう、1929年〈昭和4年〉 - 2010年〈平成22年〉)は、日本の実業家。境港商工会議所名誉会頭。共和水産代表取締役会長。 大韓民国慶尚北道に生まれる。香川県大川郡津田町(現・さぬき市)出身で、日本水産に勤めていた和田富士一の長男。1945年の終戦に伴い内地へ引き揚げる。1946年に香川県立大川中学校(現・香川県立三本松高等学校)を卒業後、父・富士一の創業による境港の共和水産に入社する。1984年に同社社長に就任、同年に境港商工会議所副会頭、1986年に会頭に就任する。 住所は鳥取県境港市明治町。
浜口 喜博(はまぐち よしひろ、1926年〈大正15年〉6月… 浜口 喜博(はまぐち よしひろ、1926年〈大正15年〉6月23日 - 2011年〈平成23年〉8月10日)は、香川県出身の競泳選手、俳優。 1952年ヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレー銀メダリスト。引退後は俳優に転向するも、その後は日本水泳連盟役員を歴任、死去時は顧問を務めていた。 1926年6月13日、香川県香川郡雌雄島村大字男木(男木島、現・香川県高松市男木町)にて出生。香川県立大川中学校(現・香川県立三本松高等学校)、日本大学卒業。 1952年のヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレーで鈴木弘、後藤暢、谷川禎次郎とともに銀メダルを獲得。自由形100mでも準決勝に進出し、わずかの差で決勝進出を逃している。
神風 正一(かみかぜ しょういち、1921年10月19日 -… 神風 正一(かみかぜ しょういち、1921年10月19日 - 1990年5月15日)は、香川県大川郡三本松町(のちの東かがわ市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。相撲解説者。本名は赤沢 正一(あかざわ しょういち)。最高位は東関脇。身長179cm、体重98kg。得意手は左四つ、上手投げ、外掛け。 小学校時代は朝日新聞社の健康優良児に選ばれたという経歴をもち、運動神経抜群にして頭脳明晰、噂を聞きつけた横綱玉錦の熱心な勧誘に折れて1937年(昭和12年)5月場所に初土俵を踏む。福住(のちの玉乃海)と同期だった。入門に当たって玉錦には「勉強がしたければ大学だって行かせてやる」とも言われていたが、その玉錦の死後流石に大学は諦めた。
衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 200… 衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 2004年9月18日)は、日本の詩人・翻訳家。高校教諭(英語科)。本名は鎌田 進(かまだ すすむ)。香川県大川郡白鳥村(現・東かがわ市)出身。 県立大川中学(現・香川県立三本松高等学校)在学中の1935年頃から詩作を始め、詩誌『若草』に投稿。明治学院高等商業部に進学して上京し、鮎川信夫らとともに『荒地』の前身である『LUNA』の創刊に参加。以後『ル・バル』『詩集』『荒地』に作品を発表。50歳まで地元の香川で高校教諭としての職務と並立して活動していたが、退職後は詩作・翻訳活動に専念した。1976年、『庚申その他の詩』(書肆季節社)で、第1回地球賞を受賞。
宮武 一夫(みやたけ かずお、1914年9月20日 - 20… 宮武 一夫(みやたけ かずお、1914年9月20日 - 2009年10月10日 )は、日本の経営者、薬学博士。 香川県大川郡長尾町出身。1935年に徳島高等工業学校応用化学科製薬化学部を卒業し、同年に第一製薬に入社。1965年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1976年6月に社長に就任した。1985年6月に会長に就任し、1989年7月から相談役を務めた。 1990年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2009年10月10日肺癌のために死去。95歳没。
木村 武千代(きむら たけちよ、1910年〈明治43年〉4月… 木村 武千代(きむら たけちよ、1910年〈明治43年〉4月5日 - 2000年〈平成12年〉11月28日)は、昭和期の官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階は正四位。 香川県大川郡津田町(現さぬき市)で生まれた。1937年(昭和12年)東京帝国大学法学部を卒業。高等試験行政科試験に合格し拓務省に入省。外務省に移り外務書記生となりメキシコ公使館などで勤務。その後、陸軍中野学校を卒業し、陸軍大尉に進み除隊した。 三土忠造代議士の秘書を経て、大映に入社。永田雅一の社長秘書、外国部長などを務めた。東瀝青建設取締役も務めた。 1963年(昭和38年)、第30回衆議院議員総選挙に旧香川1区から自由民主党公認で出馬し初当選。
田中 香苗(たなか かなえ、1904年(明治37年)10月1… 田中 香苗(たなか かなえ、1904年(明治37年)10月15日 - 1985年(昭和60年)10月13日)は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社社長、日本国際連合協会理事長。東亜国内航空会長。 香川県大川郡白鳥町(現・東かがわ市)生まれ。 東亜同文書院卒業後、大阪毎日新聞社に入社。満洲事変や西安事件報道などを手掛け、戦中は東亜部長を務め、敗戦後は海外特派員の引揚げ業務を担当した。その後、ラジオ東京(現・TBSラジオ)など放送事業畑で活躍し、同郷の政治家平井太郎が民間放送を設立する際、協力し、1953年(昭和28年)にラジオ四国(現・西日本放送)が開局している。 西部本社代表を経て、1956年(昭和31年)に取締役に選任され、代表取締役・編集主幹、代表取締役会長・主筆を経て、1974年11月から76年2月までに社長を務めた。
藤井 松太郎(ふじい まつたろう、1903年(明治36年)1… 藤井 松太郎(ふじい まつたろう、1903年(明治36年)10月5日 - 1988年(昭和63年)2月4日)は、日本の鉄道技術者。第7代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1973年 - 1976年)。太っ腹の親分肌といわれ、トンネルや橋梁の技術に精通していたことから“トンネル松”と呼ばれていた。 北海道雨竜郡一已(いちゃん)村(現在の深川市)の農家藤井豊吉・チエの長男として生まれる。農家の次男であった父豊吉と母チエは1900年5月に香川県大川郡福栄村から、当時開拓が始まったばかりの一已村に親戚を頼って娘2人を連れて移住している。移住してしばらくは極貧の生活であったが、1914年から始まった第一次世界大戦による豆需要により生活が安定。
樋端 久利雄(といばな くりお、1903年(明治36年)8月… 樋端 久利雄(といばな くりお、1903年(明治36年)8月1日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。海兵51期首席、海大甲種33期首席。海軍甲事件で戦死し、一階級特進で最終階級は海軍大佐。 1903年(明治36年)8月1日、香川県白鳥本町(現在の東かがわ市)で農業を営む父・樋端荒吉と母・モトの六人兄弟の第五子、三男として生れる。大川中学校を経て、1920年(大正9年)8月26日、海軍兵学校第51期入校。同期に小園安名、山本祐二、大井篤らがいる。樋端は兵学校の前後数クラスで群を抜いた秀才であり、将来を嘱望されていた。しかし、人柄は一見鋭さを感じさせないもので、思考に集中しているときは口元が締まらずぼんやりしているように見え、特に体力的に恵まれていたわけではなかった。
藤井 新一(ふじい しんいち、1892年(明治25年)8月2… 藤井 新一(ふじい しんいち、1892年(明治25年)8月2日 – 1971年(昭和46年)3月4日)は、大正末から昭和期の政治学者、法学者、政治家。参議院議員(1期)。 香川県三木郡平井村井上(木田郡平井村、平井町を経て現三木町井上)で、藤井宇平の三男として生まれる。平井村北尋常小学校、木田郡五ケ村組合立白山高等小学校高等科、香川県立大川中学校(現香川県立三本松高等学校)を経て、1917年(大正6年)7月、早稲田大学高等師範部英語科を卒業した。アメリカ合衆国に留学し、同年9月、語学習得のためカリフォルニア州サンタバーバラ郡ユバチノ公立小学校第1学年に入学し、1918年(大正7年)1月に同州サンノゼ市公立ヘスター第1小学校に転校し、同年7月、小学課程を9ヶ月で卒業した。
南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日… 南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学の総長を務めた。位階は従二位。 無教会主義の立場から国家主義とマルクス主義を批判。サンフランシスコ講和条約をめぐっては全面講和を主張して内閣総理大臣吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた。
真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1… 真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1974年4月28日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。元東京理科大学学長。元日本学士院会員。元日本金属学会会長。元応用物理学会会長。文化功労者。日本学士院賞受賞。 香川県大川郡神前村(現さぬき市)生まれ。日本における応用物理学分野の権威であり、金属、木材、摩擦、衝撃、燃焼等、多方面に亘って物理現象を研究する。1965年文化功労者。主著に『応用物理学実験法』、『圧力測定法』等。
鈴木 清太郎(すずき せいたろう、1886年(明治19年)3… 鈴木 清太郎(すずき せいたろう、1886年(明治19年)3月10日 - 1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の物理学者。農業気象の研究者。 1886年(明治19年)3月10日、香川県生まれ。東京帝国大学を卒業し、欧米に留学。1925年(大正14年)に九州帝国大学の教授となる。1942年(昭和17年)から1957年(昭和32年)まで日本農業気象学会会長を務めた。 1961年(昭和36年)、日本気象学会岡田賞を受賞。 1962年(昭和37年)、日本農業気象学会 永年功労会員(フェロー)。 1977年(昭和52年)3月3日、死去。90歳没。