スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は、香… 三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は、香川県観音寺市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は中日ドラゴンズのスカウトを務めている。 香川県立観音寺第一高等学校入学時は外野手であったが、当時の監督に勧められ投手に転向。岡山理科大学は中国地区大学野球連盟の二部リーグで、本人曰く「うちの高校のほうが強いんじゃないかというぐらいのチーム」だった。当時は全くの無名選手だったため、高校は一般入試で、大学は野球とは関係ない指定校推薦でそれぞれ入学している。2年秋には2部リーグ優勝でMVP、ベストナインを獲得して3年からは主将も務めるとその春も優勝したがいずれも入替戦で敗れた。 大学卒業後は野球をやめるつもりで就職活動をしていたが、父親の知り合いの紹介で社会人野球のNTT四国のテストを受け高評価を得る。
大西 敏文(おおにし としふみ、1971年8月21日 - )… 大西 敏文(おおにし としふみ、1971年8月21日 - )は、香川県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 観音寺第一高校卒業後に立命館大学に入学する。1992年の春季リーグと秋季リーグでチームの優勝に貢献し、春季リーグでベストナインにも選ばれ、日本学生野球協会表彰選手にも選ばれた。同年の日米大学野球選手権大会の全日本メンバーにも選ばれた。 大学卒業後は、社会人野球の四国銀行に入り2003年からはコーチを兼任した。
織田 光正(おだ みつまさ、1941年4月30日 - )は、… 織田 光正(おだ みつまさ、1941年4月30日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手、一塁手、外野手)。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。 第41回全国高等学校野球選手権大会香川県予選に観音寺第一高校の主戦投手として出場する。1959年(昭和34年)7月21日、高松商業高校と2回戦で対戦。速球とカーブやドロップ、シンカーをおりまぜて力投、息詰まる[要出典]投手戦になったが、両校無得点で迎えた最終回の攻防で高松商業高校にタイムリーが出て0対1で敗退した。 1960年(昭和35年)観音寺第一高校から阪神タイガースに入団。投手として選手登録。一軍で投手として登板は無い一方で、足の速さを買われ代走や一塁手、外野手の守備固めとして一軍で通算28試合に出場、2盗塁を記録している。
三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、… 三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、日本の実業家、元プロ野球選手(外野手)。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。孫は、元タレントの三宅ひとみ(元アイドリング!!!)。 1956年(昭和31年)7月、第38回全国高等学校野球選手権大会香川県予選に観音寺第一高校の3番センターとして出場する。決勝戦まで勝ち進み、高松商業高校と対戦、0対2で敗れたが準優勝を果たした。香川県野球連盟から優秀選手として敢闘賞が贈られた。 同年8月2日、香川県予選の準優勝校として同選手権大会北四国大会に野球部創設以来初出場する。愛媛県予選の優勝校の西条高校と対戦、1対6で敗れ、甲子園出場は成らなかった。
佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は… 佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は、香川県出身の元プロ野球選手(投手)。 香川県立観音寺第一高等学校卒業。 1954年(昭和29年)観音寺第一高校を卒業後、倉敷レイヨン(現・クラレ)へ入社。同社の硬式野球部(1973年に廃部)に入部し、活躍する。 1955年(昭和30年)倉敷レイヨンを退社し、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)へ入団。同年3月31日、近鉄パールス戦(平和台球場)で、プロ初勝利を記録する。同年4月17日、大映スターズ戦(茨城県営球場)で、2勝目を挙げる。 1958年(昭和33年)広島カープ(現・広島東洋カープ)へ移籍。しかしここでは、1試合のみの登板に終わる。
大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年〈昭和10年〉7… 大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年〈昭和10年〉7月1日 - )は、香川県三豊郡仁尾町(現:三豊市仁尾町)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役時代はNPB(セントラル・リーグ)の中日ドラゴンズで先発投手として活躍し、在籍7年間(1954年 - 1960年)で84勝52敗を記録した。特に1956年には中日のエースとして20勝を挙げ、1958年には自己最多の24勝を挙げた。 中日時代の通算防御率は1.99、通算勝率は0.618。2020年シーズン終了時点で、前者は中日の球団記録であり、後者も杉下茂・服部受弘・吉見一起に次ぐ球団史上4位(いずれも通算投球回1000イニング以上の投手に限る)である。