スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤田 晃生(ふじた こうせい、2002年7月14日 - )は… 藤田 晃生(ふじた こうせい、2002年7月14日 - )は、日本の男性プロレスラー。愛媛県新居浜市出身。新日本プロレス所属。血液型A型。 小学3年生の時からプロレスに興味を持つようになった。2011年、東日本大震災の影響が色濃く残る中、鈴木みのるが語った『被災者への想い』に圧倒され、将来の夢をプロレスラーと決めた。 小学1年から中学まで少林寺拳法を習っていた。新居浜西中に進学後は、少林寺拳法を続けながら全国レベルの強豪である駅伝部に入部。 愛媛県立八幡浜工業高等学校時代はアマチュアレスリングを経験し、2019年にJOC中国・四国大会の71キロ級で優勝を果たす。 2020年12月に行なわれた新日本プロレスの新弟子テストに合格し、2021年4月に道場入りした。
兵頭 由教(ひょうどう よしのり、1979年9月19日 - … 兵頭 由教(ひょうどう よしのり、1979年9月19日 - )は、愛媛県出身で、愛媛県社会人リーグ・久枝フットボールクラブ所属のサッカー選手。
森岡 茂(もりおか しげる、1973年8月12日 - )は愛… 森岡 茂(もりおか しげる、1973年8月12日 - )は愛媛県大洲市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 愛媛県立八幡浜工業高等学校時代の1991年、全国高校サッカー選手権愛媛県大会の決勝で、南宇和を破り、全国大会に出場。決勝では自らゴールを挙げるなど、勝利に貢献。南宇和の大会6連覇を阻止した。全国選手権の初戦・山形中央戦でハットトリック達成。試合は3-3からPK戦で敗れた。高校卒業後、1992年にガンバ大阪に入団し、1996年アトランタオリンピック日本代表に選出される。1999年は京都パープルサンガ、2000年からはヴィッセル神戸でプレーした。
山部 太(やまべ ふとし、1971年1月4日 - )は、愛媛… 山部 太(やまべ ふとし、1971年1月4日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 愛媛県立八幡浜工業高等学校では、1988年の夏の甲子園県予選で準決勝に進出、同年春の選抜優勝校である宇和島東高を破る。決勝では松山商に大敗し甲子園出場を逸するが、好投手として注目を集めた。 プロ野球11球団からドラフト指名挨拶があるも、腰に不安がありNTT四国に進む。同期の西山一宇と左右の二本柱となり、1990年から4年連続で都市対抗に出場。1992年の日本選手権では先発で2勝をあげてベスト8進出に貢献し、優秀選手となった。1993年には第11回インターコンチネンタルカップ日本代表、第17回アジア野球選手権大会日本代表に選出される。
佐藤 辰男(さとう たつお、1958年10月17日 - )は… 佐藤 辰男(さとう たつお、1958年10月17日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはDF。愛媛県松山市出身。 第55回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、準決勝に進出し大会優秀選手に選ばれた。その後、木村和司、山本昌邦、長澤和明らとともにユース日本代表に招集された。高校卒業後、トヨタ自動車サッカー部へ加入。在籍中、日本代表に選ばれた。 Jリーグ発足の際には名古屋グランパスエイトへは移らず、トヨタ自動車東富士FCでプレーを続けたのち、引退。現在はトヨタ自動車に勤務している。
酒井 増夫(さかい ますお、1955年5月24日 - )は、… 酒井 増夫(さかい ますお、1955年5月24日 - )は、愛媛県西宇和郡保内町出身の元プロ野球選手(投手)。 愛媛県立八幡浜工業高等学校ではエース。速球主体のピッチングでカーブを武器とした。 1973年のドラフト5位で近鉄バファローズに入団。 1軍公式戦の出場がないまま1979年引退した。
河埜 敬幸(こうの たかゆき、1955年4月18日 - )… 河埜 敬幸(こうの たかゆき、1955年4月18日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ、解説者。2020年からは社会人野球・カナフレックスゼネラルマネージャー。 ニックネームは「カメ」、「シコ」。 元・巨人遊撃手の河埜和正は実兄である。 河埜家はスポーツ一家であったが、名前の「敬幸」の由来は1500gという超未熟児として生まれて生死の境をさまよったため、両親の「幸せに生きているだけでいい」という願いからであった。兄を追いかけるように八幡浜工高で野球部に入り、3年次の1973年、夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、八幡浜高にコールド負けを喫す。同年のドラフト3位で南海ホークスに入団。
河埜 和正(こうの かずまさ、1951年11月7日 - )は… 河埜 和正(こうの かずまさ、1951年11月7日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 実弟も元プロ野球選手で、元南海→ダイエー二塁手の河埜敬幸。2023年現在、日本プロ野球で共に1000試合出場、1000安打、4000打数を達成した唯一の日本人兄弟選手である。 ニックネームは「カメ」。これは若手時代、出塁してリードを取った際、自信なさげに首だけ伸ばした姿が亀に似ていたということで当時の首脳陣に命名された。 河埜家はスポーツ一家で、小学校ではソフトボールをやっていた。中学校で野球部に入った時は連帯責任でケツバットを食らって即退部したが、バレーボール部に転じて県大会で優勝。