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石井 康雄(いしい やすお、1975年3月17日 - )は、… 石井 康雄(いしい やすお、1975年3月17日 - )は、日本の社会人野球選手。日産自動車九州所属の外野手(コーチ兼任)である。 幼少期を北九州市八幡西区で過ごす。同市立青山小学校時代は軟式野球「青山少年」に、同市立穴生中学校時代は軟式野球部に所属する。当時のポジションは捕手。小中学校時代はチームとしては目立った成績を残せなかったものの、その打棒、特に天性の長打力は県内外に広く知られ、高校進学の際は県内のみならず県外の強豪校からの誘いも複数受ける。 常磐高等学校では1992年センバツに外野手として出場。その年の準優勝校である東海大相模に対し初戦敗退を喫するも善戦した。この大会では石井の長打力に関して、「東の松井・西の石井」と並び評された。
千代丸 亮彦(ちよまる あきひこ、1970年12月25日 -… 千代丸 亮彦(ちよまる あきひこ、1970年12月25日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)。1996年から1997年までの登録名は千代丸 祥士(ちよまる しょうし)。 常磐高では1年秋に九州大会初戦で先発したが途中降板して敗退、3年春は北部県大会で優勝して九州大会へ進むが初戦で延長10回を完投したがサヨナラ負け。5月の高校NHK杯でノーヒットノーランを達成。夏の県大会は準々決勝で9回裏に二死満塁で登板すると初球で暴投によるサヨナラ負けを喫した。 1988年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団。同期のドラフト5位には江藤智がいる。 1年目の1989年春季キャンプでは打力を見込まれ打者に転向し、プロ3年目の1991年に一軍初出場を果たし、1993年には二軍で13本塁打を記録し、ウエスタン・リーグ本塁打王を獲得する。
小野 一也(おの かずや、1968年8月13日 - )は、福… 小野 一也(おの かずや、1968年8月13日 - )は、福岡県北九州市小倉南区出身の元プロ野球選手(投手)。 常磐高校時代はとにかく球速が速いことで知られ、1986年春の福岡県大会ではノーヒットノーランを含む4試合連続完封試合を記録した。無名校で甲子園出場は果たせなかったものの公式戦128イニングで155奪三振を奪うなど九州No.1左腕と評判も高く12球団が獲得に動くほどの注目を集めた。 1986年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団した。 プロ1年目の1987年は、高校3年生の最後の夏の大会で肘を痛めた影響でウエスタンリーグでもほとんど登板がなかった。秋のアメリカ教育リーグでは完封を記録するが、翌シーズンのオープン戦で再度肘痛を発症し、その後手術をした。
城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福… 城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 画家でタレントの城戸真亜子は姪に当たる。 常磐高校から1957年に西鉄ライオンズへ入団。大型内野手として期待され、1958年にはウエスタン・リーグの本塁打王と打点王を獲得。入団して2年間はあまり一軍の試合に出られなかったが、3年目の1959年には中西太の故障もあって開幕から三塁手として起用される。同年の近鉄戦で黒田勉に死球を受け、深刻なダメージを受けた影響で、後に極端に死球の少ない選手として知られる。打撃フォームも極端なクローズドスタンスから身体を開きつつ打つ独特なもので、死球を避ける工夫でもあった。
打越 敏彦(うちこし としひこ、1936年11月30日 - … 打越 敏彦(うちこし としひこ、1936年11月30日 - 2003年3月3日)は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手。 常磐高校から1956年に西鉄ライオンズへ入団。 1958年シーズン終了後トレードで中日ドラゴンズへ移籍。 1962年に近鉄バファローズへ移籍し、同年引退。 西鉄時代はバッティングピッチャーやブルペンキャッチャーとしての仕事が多く、出場機会はほぼなかった。1958年に西鉄が日本シリーズ三連覇を果たした際には、これまでの貢献を考慮して三原監督から金一封が送られた。