スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
菊池 満(きくち みつる、1980年10月 - )は、日本の… 菊池 満(きくち みつる、1980年10月 - )は、日本の歴史学者。 小倉郷土会世話人、朝日カルチャーセンター北九州教室講師、福岡県地方史研究連絡協議会監事などを歴任。 現在は、北九州市立年長者研修大学校周望学舎・穴生学舎講師、北九州市の文化財を守る会副会長。 専門は、日本近世・近現代史。 福岡県北九州市小倉北区出身。常磐高等学校、九州国際大学法学部卒業。 小倉陸軍造兵廠史研究の第一人者である。中学・高校時代に元従業員や動員学徒など約30名の証言を集めて「小倉陸軍造兵廠備忘録」を発表。 2010年頃から、北九州市内の市民センターや北九州市立八幡図書館などの公的施設の郷土史講座で講演。 また北九州市のコミュニティFMラジオ局AIR STATION HIBIKIのパーソナリティも務めており、毎週火曜日正午から放送される地域学系の番組や毎月第2・第4火曜日に放送される郷土史の番組を担当している。
工藤 政宏(くどう まさひろ、1977年〈昭和52年〉9月1… 工藤 政宏(くどう まさひろ、1977年〈昭和52年〉9月18日 - )は、日本の政治家、福岡県行橋市長(2期)、元行橋市議会議員(3期)。 福岡県行橋市生まれ。行橋市立泉小学校、行橋市立泉中学校、常磐高等学校を経て、2002年日本大学法学部政治経済学科卒。卒業後は学習塾勤務、愛知県犬山市長インターン、茨城県議会議員秘書を経て、帰郷し、2012年、行橋市議会議員に当選し、3期務めた。この間美夜古青年会議所に入り、理事長となる。 2022年2月27日に行われた行橋市長選挙に立候補し、立憲民主党・国民民主党の推薦を受けた現職の田中純と、元副市長の松本英樹を破り初当選した。 2026年(令和8年)2月22日投開票の市長選に再選。
原口 あきまさ(はらぐち あきまさ、1975年〈昭和50年〉… 原口 あきまさ(はらぐち あきまさ、1975年〈昭和50年〉11月3日 - )は、日本のものまねタレント、お笑いタレント、YouTuber。福岡県北九州市出身。ケイダッシュステージ所属。本名は原口 晶匡(読み同じ)。専門学校東京アナウンス学院卒業。 常磐高等学校に剣道のスポーツ推薦で入学。剣道二段。しかし剣道部は高1で退部、時間の余った原口が友人3人組で訪れた北九州市民球場で、福岡ダイエーホークスの応援団から声をかけられ、高2から応援団に正式に参加、高3になると外野席の応援リーダーとして「お立ち台」に上がらせてもらうようになった。応援団所属はその2年間のみであったが、それ以来現在の福岡ソフトバンクホークスの熱狂的なファンであり、時折芸人仲間や自身の子供らと球場の外野席で観戦している。
石井 康雄(いしい やすお、1975年3月17日 - )は、… 石井 康雄(いしい やすお、1975年3月17日 - )は、日本の社会人野球選手。日産自動車九州所属の外野手(コーチ兼任)である。 幼少期を北九州市八幡西区で過ごす。同市立青山小学校時代は軟式野球「青山少年」に、同市立穴生中学校時代は軟式野球部に所属する。当時のポジションは捕手。小中学校時代はチームとしては目立った成績を残せなかったものの、その打棒、特に天性の長打力は県内外に広く知られ、高校進学の際は県内のみならず県外の強豪校からの誘いも複数受ける。 常磐高等学校では1992年センバツに外野手として出場。その年の準優勝校である東海大相模に対し初戦敗退を喫するも善戦した。この大会では石井の長打力に関して、「東の松井・西の石井」と並び評された。
千代丸 亮彦(ちよまる あきひこ、1970年12月25日 -… 千代丸 亮彦(ちよまる あきひこ、1970年12月25日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)。1996年から1997年までの登録名は千代丸 祥士(ちよまる しょうし)。 常磐高では1年秋に九州大会初戦で先発したが途中降板して敗退、3年春は北部県大会で優勝して九州大会へ進むが初戦で延長10回を完投したがサヨナラ負け。5月の高校NHK杯でノーヒットノーランを達成。夏の県大会は準々決勝で9回裏に二死満塁で登板すると初球で暴投によるサヨナラ負けを喫した。 1988年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団。同期のドラフト5位には江藤智がいる。 1年目の1989年春季キャンプでは打力を見込まれ打者に転向し、プロ3年目の1991年に一軍初出場を果たし、1993年には二軍で13本塁打を記録し、ウエスタン・リーグ本塁打王を獲得する。
小野 一也(おの かずや、1968年8月13日 - )は、福… 小野 一也(おの かずや、1968年8月13日 - )は、福岡県北九州市小倉南区出身の元プロ野球選手(投手)。 常磐高校時代はとにかく球速が速いことで知られ、1986年春の福岡県大会ではノーヒットノーランを含む4試合連続完封試合を記録した。無名校で甲子園出場は果たせなかったものの公式戦128イニングで155奪三振を奪うなど九州No.1左腕と評判も高く12球団が獲得に動くほどの注目を集めた。 1986年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団した。 プロ1年目の1987年は、高校3年生の最後の夏の大会で肘を痛めた影響でウエスタンリーグでもほとんど登板がなかった。秋のアメリカ教育リーグでは完封を記録するが、翌シーズンのオープン戦で再度肘痛を発症し、その後手術をした。
押川 剛(おしかわ たけし、1968年 - )は、日本のノン… 押川 剛(おしかわ たけし、1968年 - )は、日本のノンフィクション作家で、社会福祉法人の理事長。 福岡県北九州市生まれ。私立常磐高等学校卒業、専修大学商学部中退。大学在学中に警備業のアルバイト経験を活かして、1992年、神奈川県川崎市にて個人事業主としてトキワ警備(現・トキワ精神保健事務所)を創業。会社設立当初は、交通誘導や身辺警護等を行っていたが、従業員の一人が精神疾患を発症したことをきっかけに1996年より精神障害者移送サービスを開始し、強制拘束を否定した対話と説得によって患者を医療につなげるスタイルを確立していく。 1999年には全国万引き防止協会を設立し、自ら会長をつとめて青少年の育成および非行防止に尽力し、2001年には「子供部屋に入れない親たち」を上梓。
小山 隆治(こやま たかはる、1948年7月8日 - 201… 小山 隆治(こやま たかはる、1948年7月8日 - 2018年9月11日)は、日本の陸上競技(中距離走・長距離走)選手。3000メートル障害の元日本記録保持者であり、日本選手権6連覇、オリンピック出場2回。1972年ミュンヘンオリンピックでは決勝進出を果たした。ロードレースでも箱根駅伝や全日本実業団駅伝で成績を残している。 福岡県出身。常磐高等学校を経て順天堂大学に入学。順天堂大学では、箱根駅伝に4年連続出場、区間賞1回。 1971年、大学を卒業してクラレに入社。日本選手権では1971年から1976年まで3000メートル障害で6連覇を達成した。 1972年ミュンヘンオリンピックでは3000メートル障害と5000メートル競走に出場。
川野 一成(かわの かずなり、1944年1月25日 - )は… 川野 一成(かわの かずなり、1944年1月25日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。段位は七段。 柔道は中学3年の時に始めた。常磐高校から国士舘大学へ進学するが、この当時大きな実績はあげていない。大学時代には指導者の上野孫吉から「オマエはもう柔道やめてくれ、邪魔だ!」と言われたこともあった。大学を卒業すると、地元に帰らずもう少し東京に留まっていたかったことから国士舘高校の教員になると、先輩から頼まれて柔道部監督にも就任した。最初はそれほど乗り気でなかったものの、柔道部を指導していくうちに勝てない悔しさからどんどん指導にのめりこんでいった。 後のロサンゼルスオリンピック及びソウルオリンピック95kg超級金メダリストの斎藤仁をスカウトした際には、直前に柔道部の寮が火事になってしまったことから着る物もなくて、やむを得ずペラペラのヤッケを重ね着して斉藤の住む青森県まで赴いた。
城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福… 城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 画家でタレントの城戸真亜子は姪に当たる。 常磐高校から1957年に西鉄ライオンズへ入団。大型内野手として期待され、1958年にはウエスタン・リーグの本塁打王と打点王を獲得。入団して2年間はあまり一軍の試合に出られなかったが、3年目の1959年には中西太の故障もあって開幕から三塁手として起用される。同年の近鉄戦で黒田勉に死球を受け、深刻なダメージを受けた影響で、後に極端に死球の少ない選手として知られる。打撃フォームも極端なクローズドスタンスから身体を開きつつ打つ独特なもので、死球を避ける工夫でもあった。
打越 敏彦(うちこし としひこ、1936年11月30日 - … 打越 敏彦(うちこし としひこ、1936年11月30日 - 2003年3月3日)は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手。 常磐高校から1956年に西鉄ライオンズへ入団。 1958年シーズン終了後トレードで中日ドラゴンズへ移籍。 1962年に近鉄バファローズへ移籍し、同年引退。 西鉄時代はバッティングピッチャーやブルペンキャッチャーとしての仕事が多く、出場機会はほぼなかった。1958年に西鉄が日本シリーズ三連覇を果たした際には、これまでの貢献を考慮して三原監督から金一封が送られた。
桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月2… 桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 2023年〈令和5年〉8月10日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。本名:九原 一三(くはら かずみ)。吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属し、一時は座長も務めた。座長退任後は専科や若手育成も兼ねた座長格の主演、重鎮クラスなどの形で出演し、生き字引のような存在で吉本新喜劇を支え続けた。 1955年に地元の常磐高等学校を卒業。教師を志望していたため福岡の教育大学を受験し、その後夢路いとし・喜味こいしに師事する。初舞台は1956年で、「原あち郎・こち郎」の芸名で漫才の舞台に立った。漫才脚本家秋田實が立ち上げた劇団「宝塚新芸座」に所属した後、漫才活動を経て、1961年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団する。
川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年〈昭和7年〉3… 川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年〈昭和7年〉3月1日 - 2024年〈令和6年〉2月12日)は、日本の実業家。銀座や中洲、小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有していた。日本の億万長者の1人であった。 1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった。 地元小倉の私立常磐高等学校を卒業。1953年、慶應義塾大学経済学部を中退し家業の呉服店を継ぐ。このもうけの大半を不動産に投資し、木造アパートやマーケットの建築からはじめて高度経済成長による不動産価格の高騰で莫大な利益を上げた。 1960年には呉服屋を廃業し、本格的に貸しビル業へ転じる。
内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月… 内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉8月21日)は、日本の俳優、ナレーター。本名は同じ。 福岡県小倉市出身。旧制常磐中学校、日本大学予科卒業。劇団民藝、其田事務所を経て、さいど事務所に所属していた。 血液型はAB型。身長165cm、体重60kg。 映画制作を志し、俳優養成所へ入所。当初は演出家希望だったが、指導者の勧めで演劇コースへ進む。 1950年、宇野重吉・加藤嘉・北林谷栄・鈴木瑞穂らと共に劇団民藝の創立に参画するも、1970年に退団。 1952年に公開された吉村公三郎監督の『暴力』でスクリーンデビュー。 大河ドラマへ多数出演したほか、山口百恵主演の赤いシリーズでは3作品でナレーションを担当していた。
権堂 義幸(ごんどう よしゆき、1925年7月 - 2012… 権堂 義幸(ごんどう よしゆき、1925年7月 - 2012年2月25日)は日本の学校法人経営者、理事長、政治家。 1925年(大正14年)7月、福岡県小倉市生まれ。1944年(昭和19年)旧制常磐中学校(現・常磐高等学校)卒業(第11期生)。1943年(昭和18年)相撲部にて全国大会出場、個人戦で準優勝。1951年(昭和26年)の小倉市議選で初当選、以来小倉市議並びに北九州市議を通算5期。 会社役員を経て、1967年(昭和42年)学校法人常磐学園(常磐高等学校)理事に就任。1969年(昭和44年)には、学校法人常磐学園常磐高等学校理事長に就任し、その後、学校法人明経学園美萩野臨床医学専門学校、学校法人美萩野学園美萩野女子高等学校・小倉日新館中学校、学校法人飯塚学園飯塚日新館中学校・日新館高等学校 (福岡県)(廃校)、学校法人若松学園高稜高等学校、学校法人萩学園萩国際大学(現・至誠館大学)、財団法人創生奨学会の理事長を歴任。