スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩渕 聡(いわぶち さとし, 1975年10月7日 - )は… 岩渕 聡(いわぶち さとし, 1975年10月7日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の日本の元男子プロテニス選手、指導者。身長175cm、体重73kg、左利き。ツアー通算でダブルスで1勝を挙げた。 9歳からテニスを始め、柳川高校在学中にインターハイ、全日本ジュニアなどジュニアタイトルを次々と獲得した。 高校卒業後プロ転向し、国内外を転戦する。デビスカップ代表にも選出され、オリンピックもダブルス部門でアトランタ・シドニーと2大会連続出場を果たした。 2005年のAIGオープンでは、鈴木貴男とのペアで日本人初のATPツアーダブルス優勝の快挙を成し遂げ、同年の全日本選手権では30歳にして単複優勝を果たす。
本村 剛一(もとむら ごういち、 1973年12月25日 -… 本村 剛一(もとむら ごういち、 1973年12月25日 - )は、日本の元男子プロテニス選手。千葉県習志野市出身。柳川高校卒業。自己最高ランキングはシングルス134位、ダブルス159位。身長173cm、体重64kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 柳川高校卒業後の1992年にプロ転向。1993年からデビスカップ日本代表に選出される。1994年の広島アジア大会では団体と混合ダブルスで銅メダルを獲得。全日本テニス選手権ではシングルスで4回、ダブルスで3回優勝を記録した。 グランドスラムではダブルスで1999年のウィンブルドン、シングルスで2000年、2003年の全豪オープンに本戦出場を果たすも、いずれも1回戦で敗退した。
土橋 登志久(つちはし としひさ、1966年10月18日 -… 土橋 登志久(つちはし としひさ、1966年10月18日 - )は、元男子テニス選手。早稲田大学教育学部卒。現在は早稲田大学庭球部総監督。自己最高世界ランキングはシングルス359位(1988年5月)。 鹿児島県鹿児島市出身。 柳川高校では2年でインターハイシングルス優勝。早稲田大学進学後、史上初となるインカレシングルス4連覇の偉業を成し遂げ、国内ランキングで自身最高の2位、ATPランキング359位に着けた。ソウルオリンピックやデビスカップの代表にも選ばれる。 卒業後も1991年全日本室内選手権シングルス準優勝など活躍。 現役引退後は早稲田大学の監督に就任するとともに、WOWOWのテニス解説も務める。
武鑓 正芳(たけやり まさよし、1963年7月30日 - )… 武鑓 正芳(たけやり まさよし、1963年7月30日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロテニス選手。自己最高ランクは国内ランキング7位。岡山大学教育学部附属中学を卒業し、柳川高等学校に進学。その後は東海大学教養学部へと入学し、東海大学大学院体育学部進学と同時にプロテニスプレーヤーとなった。1987年にはデビスカップ日本代表になり、香港戦と中国戦にダブルスで出場した。 世界ランクでは、上位に行けなかったが、1992年より2年間、澤松奈生子選手のツアーコーチを務め、ランキング維持をサポート。 以後、業界を離れ、1998年より業界に復帰。神奈川県厚木市・大和市の営業所を主にレッスン事業を展開するが、2019年、諸般の事情により整理。
福井 烈(ふくい つよし、1957年6月22日 - )は、福… 福井 烈(ふくい つよし、1957年6月22日 - )は、福岡県門司市(現北九州市門司区)出身の男子プロテニス選手。ヨネックスアドバイザリースタッフ。日本テニス協会常務理事。日本オリンピック委員会専務理事。柳川商業高等学校卒業。中央大学法学部中退。 小学校5年生の時に、兄の影響でテニスを始める。高校は強豪の柳川商業高校(現・柳川高校)に進学した。高校ではインターハイ3連覇を含む「169連勝」という記録を達成した。 アメリカにテニス留学をした後、中央大学に進学し、学生タイトルを総なめにした後、1977年に当時史上最年少の20歳で全日本テニス選手権を制覇した。その後1979年まで全日本3連覇を達成し、同年プロデビューした。