スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石橋 侑磨(いしばし ゆうま、1999年10月21日 - )… 石橋 侑磨(いしばし ゆうま、1999年10月21日 - )は、日本のプロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。 福岡県生まれ。柳川高等学校を経て東海大学九州へ進学し、在学中の2019年、男子U20日本代表候補に選出された。 2021年12月27日、石井智大とともにライジングゼファーフクオカと特別指定選手契約を締結。 2022年5月27日、福岡と新規選手契約を締結。レギュラーシーズン40回に出場し(うちスターター4回)、総プレイタイム368分59秒(平均9分13秒)。スリーポイントシュートを得意とし、2.6PPGを挙げた。 2023年6月12日、熊本ヴォルターズへ移籍。レギュラーシーズン55回出場、総プレイタイム885分28秒(平均16分5秒)と出場機会をつかみ、攻撃精度も向上して5.3PPGを挙げる活躍を見せたほか、キャリア初となるプレーオフ出場経験を得た。
今野 大喜(いまの だいき、1997年3月29日 - )は、… 今野 大喜(いまの だいき、1997年3月29日 - )は、岐阜県出身の日本のプロゴルファー。フロンティアの介護所属。同じプロゴルファーの今野康晴は母方の伯父。 子供のころは野球をしていたが伯父である今野康晴の活躍でゴルフに興味を持ち、中学1年頃、祖父に教わってクラブを握った。中学3年で『中部ジュニア』を制し、高校は故郷の岐阜を離れて福岡県の柳川高等学校に進学後、伯父と同じ日本大学へ進み主将も務めた。同期には大澤和也がいる。大学1年時の2015年にはプロを抑えて『中部オープン』に優勝。同大会は2018年にもアマで優勝している。2017年の『日本アマ』は大澤に1打差2位タイ。翌2018年の同大会は7打差の首位だったが豪雨で競技不成立に泣いた。
柿木 映二(かきのき えいじ、1997年1月6日 - )は、… 柿木 映二(かきのき えいじ、1997年1月6日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手・育成選手(投手)。
坂井 聖人(さかい まさと、1995年6月6日 - )は、日… 坂井 聖人(さかい まさと、1995年6月6日 - )は、日本の競泳選手。リオデジャネイロオリンピック競泳200メートルバタフライ銀メダリスト。セイコーホールディングス所属。 兄の影響で3歳で競泳を始めた。地元の柳川スイミングクラブに高校まで所属。最初は個人メドレーをやっていたが、平泳ぎが遅かったため、コーチに「バタフライをやった方がいい」と勧められ、小学6年生の時にバタフライに転向。 柳川高等学校1年生の時に、100mバタフライで高校総体優勝。3年生の時には200mバタフライで高校総体優勝、世界ジュニア選手権2位、国体優勝。「憧れの瀬戸大也がいるから」という理由で早稲田大学に進学。 2016年リオデジャネイロオリンピック200mバタフライ準決勝では6位。
高橋 大輔(たかはし だいすけ、1983年9月18日 - )… 高橋 大輔(たかはし だいすけ、1983年9月18日 - )は、福岡県八女市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代の登録ポジションはミッドフィールダー。 実弟の高橋祐太郎も元プロサッカー選手。 2006年、福岡大学から大分トリニータに加入。フォワードとして入団したが、監督のペリクレス・シャムスカに右ウィングバックとして抜擢される。4月22日のJ1第9節・大宮アルディージャ戦でプロデビューを果たし、7月22日のJ1第14節・アルビレックス新潟戦では初得点を記録。2006年天皇杯でのザスパ草津戦にてハットトリックを達成した。 2007年シーズンは前年と同じ右WBというポジションながらチーム得点王、自己最高となるリーグ10得点(そのうち4得点はヴィッセル神戸戦で記録)を挙げるが、10月27日のJ1第30節鹿島アントラーズ戦で負傷、左ひざ内側側副じん帯を損傷[要出典]し、全治2カ月と診断されシーズンを終えた。
香月 良太(かつき りょうた、1982年7月27日 - )は… 香月 良太(かつき りょうた、1982年7月27日 - )は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手(投手)。
八田 康介(やつだ こうすけ、1982年3月17日 - )は… 八田 康介(やつだ こうすけ、1982年3月17日 - )は、福岡県大川市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック)。 小学校4年生の時にサッカーを始める。中学生時は隣県のJFLクラブ・鳥栖フューチャーズの下部組織でプレーした。1997年にスポーツ特待生として柳川高等学校に進学。目立った実績は挙げられなかったが、1999年には国体に出場し、Jリーグ・アビスパ福岡の強化指定選手として登録されたことで注目を集めた。 2000年、サンフレッチェ広島へ入団。プロ同期入団は、森崎和幸・浩司兄弟、駒野友一、松下裕樹、山形恭平、中山元気。高いポテンシャルを見せたが、公式戦ではそれを発揮できなかった。
田中 瑞季(たなか みずき、1980年9月21日 - )は、… 田中 瑞季(たなか みずき、1980年9月21日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(内野手)。2003年から2006年までの登録名は「瑞季」。
笑福亭 呂好(しょうふくてい ろこう、1980年9月17日 … 笑福亭 呂好(しょうふくてい ろこう、1980年9月17日 - )は、兵庫県宝塚市出身の落語家。 本名は間 真次。出生名は阪上 真次。個人事務所はオフィスハザマ。 父は元宝塚市長の阪上善秀。5人兄弟(姉、兄、本人、弟、弟)。兄は劇団いちびり一家代表の阪上洋光。第4子の弟の桑原健三郎は宝塚市議会議員。 柳川高等学校卒業(サッカー留学)、佛教大学文学部仏教学科中退。 2007年、兵庫県議会議員選挙宝塚市選挙区に立候補し、落選。 2008年4月1日に笑福亭呂鶴に入門。上方落語協会会員。 既婚者。キャッチフレーズおよび高座での開口一番は「女風呂の呂に、好きと書いて呂好です。」と挨拶するのがお約束。
林 威助(リン・ウェイツゥ、英文表記:Lin Weichu,… 林 威助(リン・ウェイツゥ、英文表記:Lin Weichu, 1979年1月22日 - )は、台湾の台中市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。現在は、台湾の野球リーグである中華職業棒球大聯盟(CPBL)の中信兄弟に所属し、2015年からチームのキャプテンを努める。
開田 成幸(ひらきだ なるゆき、1979年1月11日 - )… 開田 成幸(ひらきだ なるゆき、1979年1月11日 - )は、福岡県柳川市出身の元社会人野球選手(内野手、外野手)、監督。兄は同じく元社会人野球選手の開田博勝。 柳川高等学校では2年夏に1学年上のエース花田真人を擁して甲子園へ出場し3回戦で敦賀気比高に延長15回の末に敗れた。同年秋の国体では全試合に登板し、準々決勝では夏の甲子園で準優勝した星稜高の山本省吾と投げ合って完投勝利、準決勝は智弁学園を完封して決勝のPL学園戦も先発したが途中で花田へ交代して惜敗。早稲田大学に進学、2年から野手となって一塁手としてプレーし1999年の秋季リーグでベストナインに選ばれた。同期に鎌田祐哉、2学年下に和田毅がいた。
大石 いづみ(おおいし いづみ、1978年9月27日 -)は… 大石 いづみ(おおいし いづみ、1978年9月27日 -)は愛知県大府市出身の日本の柔道家。52kg級及び57kg級の選手。現役時代の身長は158cm。 バルセロナオリンピック78kg級金メダリストの吉田秀彦や63kg級でオリンピック2連覇の谷本歩実を輩出したことで知られる大石道場の指導者である大石康の次女。姉の大石愛子は広島アジア大会の66kg級で優勝している。兄の大石公平は大成高校女子柔道部の監督を務める。 大府北中学3年の時には全国中学校柔道大会の52kg級決勝で松葉中学3年の小坂知己を破って優勝した。1994年には福岡県の柳川高校へ進んだ。2年先輩には後のアテネオリンピック78kg級金メダリストの阿武教子がいた。
五味川 みどり(ごみかわ みどり、1978年8月5日 -)は… 五味川 みどり(ごみかわ みどり、1978年8月5日 -)は、日本の柔道家。福岡県出身。現役時代の階級は52kg級。身長は155cm。得意技は体落。 甘木中学1年の時に初開催となった全国中学校柔道大会の56kg級で決勝まで進むが、明光中学3年の柳田恭子に敗れて2位だった。2年の時には52kg級に出場して3位となった。1994年には柳川高校へ進んだ。2年先輩には後のアテネオリンピック78kg級金メダリストの阿武教子がいた。1年の時には高校選手権52kg級の3回戦で敗れた。2年の時には金鷲旗で同級生の大石いづみや南千草などとともに活躍してチームの大会6連覇に貢献した。高校選手権では2回戦で敗れた。 1997年には純真女子短大へ進学した。
花田 真人(はなだ まさと、1977年10月25日 - )は… 花田 真人(はなだ まさと、1977年10月25日 - )は、福岡県福岡市東区出身の元プロ野球選手(投手)。
猿渡 琢海(さるわたり たくみ、1976年10月16日 - … 猿渡 琢海(さるわたり たくみ、1976年10月16日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。身長188cm。体重120kg。 小学校1年の時に柔道を始めた。柳川高校ではアテネオリンピック78kg級金メダリストの阿武教子と同級生だった。2年の時にはインターハイ県予選でライバルの大牟田高校2年の高森啓吾を破って本戦に出場するも、予選リーグで敗れた。3年の時には全日本ジュニアに出場して2位となった。1995年には阿武と同じく明治大学に進んだ。2年の時には全日本学生柔道優勝大会で2位となった。正力杯では決勝で日本大学2年の上口孝太に敗れた。講道館杯でも決勝で警視庁の真喜志慶治に敗れた。
川口 憲史(かわぐち けんし、1976年6月28日 - )は… 川口 憲史(かわぐち けんし、1976年6月28日 - )は、福岡県八女市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。現在は野球解説者、タレント、製パン店オーナー。
阿武 教子(あんの のりこ、1976年5月23日 - )は、… 阿武 教子(あんの のりこ、1976年5月23日 - )は、山口県阿武郡福栄村(のちの萩市)出身の女子柔道家。女子72kg超級、78kg級で活躍。2004年アテネオリンピック柔道女子78kg級金メダリスト。 現役引退後に結婚し、園田教子に。 小学生のころから3歳年上の姉である美和ともども、柔道界では有名な選手であった。明治大学文学部卒業。学位は学士(文学)(明治大学)。その後、警視庁に入庁。警官としての階級は警部補であり、オリンピック金メダリストとなった後に昇進した。栄典は紫綬褒章受章。その他の賞歴は世界柔道選手権優勝記録多数、アテネオリンピック柔道女子78kg級金メダル、警察功労章受章など。1996年までは当時の最重量級である72kg超級の選手だったが、その後階級の区切りが変更となったことに伴い、1997年は72kg級、1998年以降は78kg級の選手となった。
岩渕 聡(いわぶち さとし, 1975年10月7日 - )は… 岩渕 聡(いわぶち さとし, 1975年10月7日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の日本の元男子プロテニス選手、指導者。身長175cm、体重73kg、左利き。ツアー通算でダブルスで1勝を挙げた。 9歳からテニスを始め、柳川高校在学中にインターハイ、全日本ジュニアなどジュニアタイトルを次々と獲得した。 高校卒業後プロ転向し、国内外を転戦する。デビスカップ代表にも選出され、オリンピックもダブルス部門でアトランタ・シドニーと2大会連続出場を果たした。 2005年のAIGオープンでは、鈴木貴男とのペアで日本人初のATPツアーダブルス優勝の快挙を成し遂げ、同年の全日本選手権では30歳にして単複優勝を果たす。
妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児… 妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児島県阿久根市出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。足のサイズは30cm。兄は伊勢ノ海部屋の元力士であった。 阿久根小学校5年の時に兄の影響で三笠少年柔道団で柔道を始めた。阿久根中学時代は九州大会で3位になるが、その当時の体重は実に173kgもあったという。私立柳川高校に入学すると体重は120~130kgで落ち着くことになったが、2年までは巨体をもてあまして練習も捗らず、また部内の層が厚いこともあって控えだった。3年になってようやくレギュラー選手になり、金鷲旗とインターハイ団体戦では同級生の全国高校選手権72kg級チャンピオンの佐藤和恵や、1年後輩で超高校級の全日本選手権チャンピオンの阿武教子らとともに活躍して優勝に貢献した。
大畑 裕勝(おおはた ひろかつ、1975年5月13日 - )… 大畑 裕勝(おおはた ひろかつ、1975年5月13日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。
佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長… 佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級と70kg級の選手。身長171cm。なお、48kg級で活躍していた長井淳子とはいとこにあたる。 三井楽中学から柳川高校へ進むと、1年の時には早くも先輩の松永真里子や国吉真子らとともに、金鷲旗での優勝に貢献した。新設されたインターハイ女子団体戦決勝の夙川学院高校戦では1年生ながら代表戦に出場して、同じく1年生の吉田早希と対戦するが判定で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の66kg級では優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。
北山たけし(きたやま たけし、1974年2月25日 - )は… 北山たけし(きたやま たけし、1974年2月25日 - )は、福岡県柳川市出身の演歌歌手である。本名は渡辺 毅(わたなべ たけし)。北山は、北島三郎の北と山本譲二の山を取ったものである。身長168cm、体重60kg。血液型はA型。
本村 剛一(もとむら ごういち、 1973年12月25日 -… 本村 剛一(もとむら ごういち、 1973年12月25日 - )は、日本の元男子プロテニス選手。千葉県習志野市出身。柳川高校卒業。自己最高ランキングはシングルス134位、ダブルス159位。身長173cm、体重64kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 柳川高校卒業後の1992年にプロ転向。1993年からデビスカップ日本代表に選出される。1994年の広島アジア大会では団体と混合ダブルスで銅メダルを獲得。全日本テニス選手権ではシングルスで4回、ダブルスで3回優勝を記録した。 グランドスラムではダブルスで1999年のウィンブルドン、シングルスで2000年、2003年の全豪オープンに本戦出場を果たすも、いずれも1回戦で敗退した。
園田 隆二(そのだ りゅうじ、1973年9月16日 - )は… 園田 隆二(そのだ りゅうじ、1973年9月16日 - )は、福岡県大牟田市出身の柔道家。明治大学経営学部卒業。柔道全日本女子代表監督、警視庁警察官(役職は警視庁警務部教養課柔道指導室助教、階級は巡査部長)を務めた。2023年現在はパーク24柔道部の女子監督。 福岡県大牟田市三里町に生まれる。大牟田市立中友小学校1年生の時、道場に通う友人の縁で尚武館道場にて柔道を始めた。1986年の春に大牟田市立船津中学に進学するが、この中学に柔道部はなかったため、引き続き尚武館で稽古に励む。日本中学校体育連盟の大会に出るため船津中に形だけの柔道部を作ってもらい、1人で個人戦に出場。中学3年の時に全国大会の軽量級で優勝した。
国吉 真子(くによし まこ、1973年9月4日 -)は日本の… 国吉 真子(くによし まこ、1973年9月4日 -)は日本の柔道家。沖縄県出身。72kg超級の選手。現役時代は身長174cm、体重90kg。 柳川高校へ進むと、2年の時には新設された女子団体戦の金鷲旗で3年の松永真里子や1年の佐野奈津子とともに活躍して優勝を勝ち取った。同じく新設されたインターハイ女子団体戦では決勝で夙川学院高校と対戦すると、代表戦で佐野が吉田早希に判定で敗れて2位にとどまった。高校選手権の72kg超級では優勝を飾った。3年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。
中嶋 靖宏(なかしま やすひろ、1973年4月16日 - )… 中嶋 靖宏(なかしま やすひろ、1973年4月16日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長172cm。 甘木中学から柳川高校へ進むと、後に60kg級の世界チャンピオンとなる園田隆二の同期となった。2年の時には新人体重別78kg級で3位に入った。1992年に福岡大学へ進学すると、1年の時にジュニア体重別で3位、2年の時には2位となった。3年の時には講道館杯で決勝まで進むが、名張高校教員の堀越英範に敗れて2位だった。グッドウィルゲームズでは2位、体重別と正力杯では3位となった。国別団体世界一を決める第一回のワールドカップ国別団体戦のメンバーにも選ばれるが、2回戦でロシアに敗れるも、その後敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。
池田 宇隆(いけだ いえたか、1973年3月29日 -)はロ… 池田 宇隆(いけだ いえたか、1973年3月29日 -)はロッテオリオンズに在籍していた元プロ野球選手。
衛藤 由佳(えとう ゆか、1973年2月9日 - )は、福岡… 衛藤 由佳(えとう ゆか、1973年2月9日 - )は、福岡県甘木市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長155cm。姉の衛藤裕美子も48kg級で活躍していた。 3姉妹の次女として、柔道は小学校1年の時に始めた。甘木中学から1つ年上の姉の裕美子が在籍していた柳川高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権48kg級で3位になった。3年の時には強化選手選考会の3回戦で城香中学3年の田村亮子に技ありで敗れると、その後の3位決定戦でも姉の裕美子に判定で敗れた。1991年に高校を卒業してミキハウス所属となるが、最初の2年間は結果を残せずにいた。しかし、1993年にフランスから帰国した村上清がミキハウスのコーチに就任したことから、村上の徹底的な指導を受けて打倒田村を目指すことになった。
角田 華子(すみだ はなこ、1971年9月17日 - )は、… 角田 華子(すみだ はなこ、1971年9月17日 - )は、セント・フォース所属のキャスター、タレント。本名:古賀 華子(こが はなこ)。 兵庫県出身。大阪芸術大学工芸学科在学中、1992年から1993年まで朝日放送の早朝情報番組『おはよう朝日です』のアシスタントキャスターを担当した。 1994年の大学卒業後上京し、女性タレント・キャスター専門事務所であるセント・フォースに所属。フジテレビの早朝報道番組『めざましテレビ』初代お天気キャスターとしてレギュラー出演したほか、ラジオパーソナリティなども務めた。 その後、柳川高等学校を経営する学校法人の副理事長を務めていた古賀賢氏(テニス選手としては松岡修造の同期生だった。
衛藤 裕美子(えとう ゆみこ、1971年7月17日 -)は、… 衛藤 裕美子(えとう ゆみこ、1971年7月17日 -)は、福岡県甘木市出身の日本の女性柔道家。現役時代は48kg級の選手だった。身長151cm。妹の衛藤由佳も48kg級で活躍していた。 甘木中学校2年の時、早くも体重別48kg級で3位になった。柳川高校1年の時には強化選手選考会で2位となると、体重別でも3位に入った。2年の時には強化選手選考会で昨年に続いて2位となった。全国高校選手権では、決勝で成安女子高校1年の永井和恵に判定で敗れた。3年の時には体重別の九州予選準決勝で城香中学2年の田村亮子と対戦すると、ポイントでリードされていたものの終了間際に送襟絞で逆転勝ちするなどして優勝した。この当時の田村は、まだ駆け出しの中学生選手に過ぎなかったものの衛藤はシニアの公式戦で田村を破った最初の選手となった(その後は、田村に4連敗している。
樽見 金典(たるみ かねのり、1968年7月20日 - )は… 樽見 金典(たるみ かねのり、1968年7月20日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
西村 英嗣(にしむら ひでつぐ、本名:西村 秀嗣(読み同じ)… 西村 英嗣(にしむら ひでつぐ、本名:西村 秀嗣(読み同じ)、1968年7月16日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
西里 幸喜(にしざと こうき、1968年4月21日 - )は… 西里 幸喜(にしざと こうき、1968年4月21日 - )は熊本県熊本市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
岡 幸二郎(おか こうじろう、1967年10月10日 - )… 岡 幸二郎(おか こうじろう、1967年10月10日 - )は、福岡県大川市出身のミュージカル俳優。柳川高等学校、大東文化大学外国語学部中国語学科卒業。元劇団四季所属。九州大谷短期大学表現学科客員教授。大川市ふるさと大使。
樋口 一紀(ひぐち かずとし、1967年9月9日 - )は、… 樋口 一紀(ひぐち かずとし、1967年9月9日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(内野手)。大阪府生まれ。
土橋 登志久(つちはし としひさ、1966年10月18日 -… 土橋 登志久(つちはし としひさ、1966年10月18日 - )は、元男子テニス選手。早稲田大学教育学部卒。現在は早稲田大学庭球部総監督。自己最高世界ランキングはシングルス359位(1988年5月)。 鹿児島県鹿児島市出身。 柳川高校では2年でインターハイシングルス優勝。早稲田大学進学後、史上初となるインカレシングルス4連覇の偉業を成し遂げ、国内ランキングで自身最高の2位、ATPランキング359位に着けた。ソウルオリンピックやデビスカップの代表にも選ばれる。 卒業後も1991年全日本室内選手権シングルス準優勝など活躍。 現役引退後は早稲田大学の監督に就任するとともに、WOWOWのテニス解説も務める。
馬場 敏史(ばば としふみ、1965年2月10日 - )は、… 馬場 敏史(ばば としふみ、1965年2月10日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
安藤 強(あんどう つよし、1963年12月27日 - )は… 安藤 強(あんどう つよし、1963年12月27日 - )は、神奈川県横浜市出身の野球指導者、元社会人野球選手(内野手)。 NPBの現役選手を経ずに、NPB球団のコーチとなった。 柳川高等学校時の1980年の選抜大会に三塁手として出場。エースは中島輝士であった。 その後、東海大学へ進み4年春にベストナイン受賞。同期に酒井勉、渡辺伸治。卒業後は本田技研でプレー。 2007年からはHondaの監督に就任し、2009年に長野久義らを擁して、都市対抗野球大会で優勝。2015年からは社会人野球の日本代表監督も務めた。 2017年2月1日からは母校の東海大学の監督に就任。しかし、2020年12月に部内での不祥事により、同校のコーチでHondaでの後輩でもあった西郷泰之とともに監督を引責辞任した。
武鑓 正芳(たけやり まさよし、1963年7月30日 - )… 武鑓 正芳(たけやり まさよし、1963年7月30日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロテニス選手。自己最高ランクは国内ランキング7位。岡山大学教育学部附属中学を卒業し、柳川高等学校に進学。その後は東海大学教養学部へと入学し、東海大学大学院体育学部進学と同時にプロテニスプレーヤーとなった。1987年にはデビスカップ日本代表になり、香港戦と中国戦にダブルスで出場した。 世界ランクでは、上位に行けなかったが、1992年より2年間、澤松奈生子選手のツアーコーチを務め、ランキング維持をサポート。 以後、業界を離れ、1998年より業界に復帰。神奈川県厚木市・大和市の営業所を主にレッスン事業を展開するが、2019年、諸般の事情により整理。
高杢 禎彦(たかもく よしひこ、1962年〈昭和37年〉9月… 高杢 禎彦(たかもく よしひこ、1962年〈昭和37年〉9月9日 - )は、日本の歌手、タレント、俳優、著述家。元チェッカーズのサイドボーカル。通称はモク。福岡県久留米市出身。私立柳川高等学校卒業。血液型はA型。現在の所属事務所は地元福岡県にあるフリーダム。 理容室を自営していた夫婦の下に出生。兄弟は他に姉が1人いた。藤井郁弥(現・藤井フミヤ)・尚之兄弟の幼馴染み。この事については両人「物心ついた頃から隣にいた」と語っている。当時未成年だったが酒に酔っていた郁弥にチェッカーズ加入を頼み、2度のテストを経て加入。この間、高杢は2回審査に落とされている。又、アマチュア時代のチェッカーズにデビューの話が持ち込まれた際に高杢が無理矢理加入してきたと噂されたが実際は大土井裕二を勧誘しに大土井の自宅までフミヤ、武内と共に出向いてること、徳永善也を車に連れ込み加入を強要した際に車を運転していたのが高杢であることからこの噂はデマと考えられる。
中島 輝士(なかしま てるし、1962年7月27日 - )は… 中島 輝士(なかしま てるし、1962年7月27日 - )は、佐賀県神埼郡三田川町(現:吉野ヶ里町)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、プロ野球コーチ、プロ野球監督。
金山 晃士(かなやま こうじ、1960年12月15日 - )… 金山 晃士(かなやま こうじ、1960年12月15日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。
野田 雲平(のだ うんぺい、1960年1月16日 - )は、… 野田 雲平(のだ うんぺい、1960年1月16日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。
清家 政和(せいけ まさかず、1959年10月7日 - )は… 清家 政和(せいけ まさかず、1959年10月7日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
田中 和博(たなか かずひろ、1959年9月15日- )は、… 田中 和博(たなか かずひろ、1959年9月15日- )は、福岡県大川市出身の元プロ野球選手(投手)である。
立花 義家(たちばな よしいえ、1958年10月27日 - … 立花 義家(たちばな よしいえ、1958年10月27日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス一軍打撃コーチ。
久保 康生(くぼ やすお、1958年4月8日 - )は、19… 久保 康生(くぼ やすお、1958年4月8日 - )は、1970年代後半から1990年代後半にかけて活躍した元プロ野球選手(投手)。現役引退後は、大阪近鉄バファローズや阪神タイガースで投手コーチを務めている。
古賀 潤一郎(こが じゅんいちろう、1958年〈昭和33年〉… 古賀 潤一郎(こが じゅんいちろう、1958年〈昭和33年〉3月22日 - )は、日本の元政治家。元ダーツバー経営者。 衆議院議員(1期)、福岡県議会議員(2期)を務めた。 福岡県福岡市出身。重富吉之助参議院議員や福岡市議会議員の秘書を務めた後、1995年の福岡県議会議員選挙にて初当選。当選後、自民党に入党。再選後、自民党福岡県連青年局長などを務めたが、2期目の任期途中、自由党の小沢一郎党首の強い勧めで自由党に入党し、2001年に県議を辞職し同党公認で第19回参議院議員通常選挙に立候補するも落選。その後は小沢の側近の平野貞夫参議院議員の公設第一秘書を務めた。 自由党が民主党と合併し、2003年の第43回衆議院議員総選挙において民主党公認で福岡2区に出馬。
加倉 一馬(かくら かずま、1957年10月19日 - )は… 加倉 一馬(かくら かずま、1957年10月19日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(外野手)。1979年から1981年途中までの登録名は加倉 克馬(読み同じ)。
福井 烈(ふくい つよし、1957年6月22日 - )は、福… 福井 烈(ふくい つよし、1957年6月22日 - )は、福岡県門司市(現北九州市門司区)出身の男子プロテニス選手。ヨネックスアドバイザリースタッフ。日本テニス協会常務理事。日本オリンピック委員会専務理事。柳川商業高等学校卒業。中央大学法学部中退。 小学校5年生の時に、兄の影響でテニスを始める。高校は強豪の柳川商業高校(現・柳川高校)に進学した。高校ではインターハイ3連覇を含む「169連勝」という記録を達成した。 アメリカにテニス留学をした後、中央大学に進学し、学生タイトルを総なめにした後、1977年に当時史上最年少の20歳で全日本テニス選手権を制覇した。その後1979年まで全日本3連覇を達成し、同年プロデビューした。